恋と沼 中



 日野恵舞えま、二十九歳。某企業の受付嬢を経て、今は役員秘書をしている。

 普通の会社員と違うのは、かなりの美貌だということ。


 受付嬢時代に、商談に来た営業たちをことのごとく惚れさせ、彼女の参加する飲み会では血みどろの争いになったとか。

 普通なら蹴落としにかかる周囲の女性たちも、彼女ほどの見た目と器量であれば仕方がない、と爪をひっこめる始末。


 そんな恵舞は実は、飛縁魔ひのえんまという妖怪である。


 外見はたぐいまれな美しさでありながら中身は夜叉のように恐ろしく、この姿に魅入られた男は心を狂わせ、財産を捧げ身を滅ぼし、ついには命を失うと言われている。

 とはいえそんなのはやり尽くした。正直、男遊びも豪遊も何百年もしてきて飽きに飽きているし、どの時代もすることは同じなのだな、としか思っていない。落とせない男はいないし、貢がれた財産も使いきれない。常に退屈しのぎを探しているようなものだ。

 

「なんて思っていた時期が、私にもあったよね~」


 恵舞は、スマホ画面を見てしかめっ面をしていた。あまりにも腹立たしいので、わざと盛大な独り言を発している。


「また無視!?」


 恵舞の勤める会社へ商談に来ていた、高橋優大という男。

 彼は中小企業の営業職で、いつもサイズが合っていないだぼついたスーツを身に着けている。磨けば光る素材なのにもったいないな、などと思いつつ応対していたら、気が付いた。

 

 優大は、恵舞に興味がない。

 

 どんな男も篭絡ろうらくしてきた手練手管てれんてくだをもってしても、全然まったく、

 だから意地になって。なんとか押し切って。

 交際を了承させたのが半年前。


 高橋の会社は非常に小さな機械部品の製造メーカーで、今は人手不足のため多忙を極めている。土日も接待や社長の気まぐれに付き合い、ほぼ休みなしにも関わらず、手当も昇給もないのだという。

 最近は会う時間も取ることができず、ほぼスマホでのやり取りだ。

 さすがに不健全な生活が心配になり、『結婚して支えたい』と送ってみたら――二日既読無視の後『今は考える余裕なくて。ごめんね』とかろうじて返って来た。


 今日もせっかくの土曜日だと言うのに、連絡が取れない。

 前日の金曜日は接待だと聞いていたが、翌日の昼近くになっても送ったメッセージは未読のままだ。――別れた男たちや連絡先を交換した男たちからは、未だに何度もしつこく連絡が来ると言うのに。優大からだけ、来ない。うんともすんとも、これっぽっちもない。送るのはいつも恵舞からだ。


「うっそでしょ……この私が、こんなにないがしろにされるだなんて」

 

 イライラする。けれども、楽しい。

 

「仕方ないわ。最終手段ね」


 前回会った時、優大のスマホにこっそり位置情報共有アプリを入れておいた。それを起動すると、なんと見知らぬ場所にいるではないか。

 履歴を追うと、昨夜から動いていない。

 パソコンからストリートビューでその場所を見てみると、 

「……商店街……?」

 なんともレトロな、アーケード商店街が出てきた。接待で飲んで、そのまま泊まったということか。

「まさか、浮気じゃないわよね……」


 

 いてもたってもいられず、恵舞は家を出た。




 ◇ ◇ ◇

 



 優大が朝食を終えて帰ろうとすると

「ユーダイ……お前すんげークサイぞ。風呂入ってけ」

 天が止めた。

「クサイ!?」

 がばっとシャツの襟元に鼻を突っ込んで、自分の匂いを嗅いでみた後の、優大の視線の先。光晴がお茶を飲みながら、クスクス笑っている。

 

「みっちーさん! 僕、くさい!?」

「あはは! 正直、ちょっと匂います」

「ガーン!」

 

 食器をシンクへ運びながら、奏斗が呆れた顔をする。


「ゴミ置き場で寝てましたからね。ジャケット、はやくクリーニング出した方がいいすよ」

「げげげ! ほんと拾ってくださって感謝しかないですね……でも当たり前ですけど、着替えがないんです」

「あ、じゃあ僕の服をお貸ししましょうか。ふたりのだと大きすぎますよね。すぐ取ってきますよ?」


 光晴のその申し出に優大が嬉しそうな顔をすると

「俺の貸すんで。いっす」

 奏斗がぶっきらぼうに遮った。

「そう?」

「はい。ユーダイさん、風呂場こっちっす」

「え、え、はい」

 不安そうな顔で振り向いた優大に、天がウインクでサムズアップした。

「さっぱりしてこい」

「そんなに臭いの!? ひーん!」


 不思議そうな顔をしてそれを見送る光晴に

「くくく。こっちも、すこーしずつ、だなあ。みっちー、お茶お代わり」

 天は優しい笑顔を向けた。

 

「? はい。天さん……あの人、すごく匂いましたね」

「しゃあねえよ、よっぱら……」

「違います。夜叉やしゃの匂い」

「おめーも気づいたかあ。そらそうだよなあ」

「カナト君は同族だから、惹かれたのかもしれないですね」


 光晴の冷えた目は、大天狗にすら、そら恐ろしく見える。かつての宿敵に瓜二つだからか。

 

「コウセイ」

「分かっています。今はまだ、本人に言うべきではないですよね。れんちゃんにもまだ?」


 蓮花れんかは自身の追う仇を討つため、『ねこしょカフェ』で退魔師をしている。

 

「ああまだだ……俺は、因果ってやつが恐ろしいよ」

崇徳院すとくいんでもですか」

「その名を言うな、安倍あべの

「ごめんなさい」


 ずずず、と天は光晴の入れた熱いお茶をすする。

 こんなに短い間に昔の名を続けて二回も呼ばれるなどと――背筋が寒くなる思いを味わったからだ。


「やーれやれ。噂をすれば影とは良く言ったもんだ。その夜叉が近づいてきてんじゃねーか」

「あ。だから帰るの、止めたんですね?」

「まーな」


 相変わらずこの天狗は心優しいなとばかりに、光晴は眉尻を下げる。


「じゃあ僕は、戻っておきます」

「その方がいい。念のため、しばらくシオンから離れるな」

「……分かりました」


 光晴は湯呑をシンクで水に漬けると、ねこしょカフェに帰っていった。

 土曜日の営業は十一時から。これから開店準備をしても、十分間に合うだろう。

 

 それに――

 

 大陰陽師の生まれ変わりといえど、今はただの人間である。猫又がの命令を忠実に守っているから、ちょっとやそっとのことでは、とも思うが念には念を入れてだ。

 やはりしゅと因果はこれほどまでに強いか、と天は奏斗のことを想う。彼の『鬼の血』、それは――

 

 

 ――ちりりん。



 便利屋ブルーヘブンのドアベルの音だ。

 天は顔を上げる。時刻は十時過ぎ。優大を風呂場へ送っていった奏斗が、ついでに店を開けたのだろう。

 

「ついにおでましかぁ。拾ったからには、最後まで責任をだなあ」


 えっこらせっと、と大げさな掛け声をかけて椅子から立ち上がる。

 それぐらい気合を入れないと、腰が重い相手だ。


「女夜叉は、こえぇ上にしつけぇからなあ、昔っから……」


 かつて自身に降りかかった数々の災難を、色々思い出してしまった、天なのであった。


 

 

 ◇ ◇ ◇



 

「どうしたの、コウセイ」

 

 いつもの特等席で絵本を読んでいたシオンが、顔を上げた。

 土日はたくさんの客がやってくるので、猫たちの様子をくまなく見るため、彼はなるべく人の姿でいつもの席にいることにしている。

 

「うんとね……天さんとこに、怖いのが来てるみたい」


 言われてシオンは目を閉じ、ピクピクと耳と鼻を動かす。

 

「なるほどね。カナトのことが心配?」

「うん。なんだか、胸騒ぎがするんだ。こんなの初めてで」

「天がいれば大丈夫だよ。でもそういうことじゃないんだね?」


 ぽ、と赤くなる光晴に、シオンは思わず微笑む。


 ――やっぱり、好きだなぁ。


 汚い欲をまき散らす者ばかり見てきたシオンにとって、光晴はまぶしくて、いとおしい。

 例えこの先、どんなに過酷なことが待っていようとも、命を懸けて守ってあげたいと思うぐらいに。


「僕も、カナトを護るよ」

「え……いいの?」


 主人がなぜ人を選んだのか。

 

 はじめは疑問に思い反発することもあったが、今では納得している。

 限られた命の中で、誰かを愛して生きること。それこそが、主人にとって至高の喜びだと分かったからだ。

 それに、だからこそ、しゅも力を増す。


「うん。光晴の大事なものは、僕にとっても大事」

 

 命は、八つあるから。

 

 ――あとで、たくさん撫でてもらおう。


「ありがとう、紫音しおん

「ううん」


 縁側で、紫の狩衣かりぎぬが気ままに奏でる笛の音が大好きだった。庭を勝手に訪れては、その膝に乗ってその音を楽しんでいたら、琥珀の目が美しいと褒められ――その名を戴いた。

 

 ただの野良だった自分が、今や。

 

「夜叉も愛されたいだけなんだ。とっても悲しい存在なんだよ」

「そっか」

 


 そんな光晴の不安は、別の意味で的中する。




 ◇ ◇ ◇

 



「あなた、名前は?」

「え。カナトっすけど……てか、なんすか?」

「見てたでしょ。振られちゃったの。慰めて?」

「はあああ!?」


 奏斗の首根っこにぶら下がる恵舞。

 それを苦笑いで見る天と――号泣している優大。


「……光晴帰らせて正解だったなぁ。あんだよこれ」

「一生来んなって、一生会うなってこと!? やだあああうああああん!!」

「だーもう! はなせって!」

「いやん! かわいい! すきっ」

「うっぜえええええ!」


 天は、がっくりと肩を落とす。

 

「俺ぁこういうの、苦手なんだよ……」



 便利屋ブルーヘブン、恋愛沙汰で修羅場突入は、創業以来初めてのことだった。




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 お読み頂き、ありがとうございました。

 光晴、大陰陽師、安倍晴明の生まれ変わりでした。


 ちなみに城 光という名前は、突然脳内に降ってきました。

 今は、運命のようなものを感じております。

  

 猫の魂は九つあるらしいですよ。

 紫音の失った一つは……

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