恋と沼 中
日野
普通の会社員と違うのは、かなりの美貌だということ。
受付嬢時代に、商談に来た営業たちをことのごとく惚れさせ、彼女の参加する飲み会では血みどろの争いになったとか。
普通なら蹴落としにかかる周囲の女性たちも、彼女ほどの見た目と器量であれば仕方がない、と爪をひっこめる始末。
そんな恵舞は実は、
外見は
とはいえそんなのはやり尽くした。正直、男遊びも豪遊も何百年もしてきて飽きに飽きているし、どの時代もすることは同じなのだな、としか思っていない。落とせない男はいないし、貢がれた財産も使いきれない。常に退屈しのぎを探しているようなものだ。
「なんて思っていた時期が、私にもあったよね~」
恵舞は、スマホ画面を見てしかめっ面をしていた。あまりにも腹立たしいので、わざと盛大な独り言を発している。
「また無視!?」
恵舞の勤める会社へ商談に来ていた、高橋優大という男。
彼は中小企業の営業職で、いつもサイズが合っていないだぼついたスーツを身に着けている。磨けば光る素材なのにもったいないな、などと思いつつ応対していたら、気が付いた。
優大は、恵舞に興味がない。
どんな男も
だから意地になって。なんとか押し切って。
交際を了承させたのが半年前。
高橋の会社は非常に小さな機械部品の製造メーカーで、今は人手不足のため多忙を極めている。土日も接待や社長の気まぐれに付き合い、ほぼ休みなしにも関わらず、手当も昇給もないのだという。
最近は会う時間も取ることができず、ほぼスマホでのやり取りだ。
さすがに不健全な生活が心配になり、『結婚して支えたい』と送ってみたら――二日既読無視の後『今は考える余裕なくて。ごめんね』とかろうじて返って来た。
今日もせっかくの土曜日だと言うのに、連絡が取れない。
前日の金曜日は接待だと聞いていたが、翌日の昼近くになっても送ったメッセージは未読のままだ。――別れた男たちや連絡先を交換した男たちからは、未だに何度もしつこく連絡が来ると言うのに。優大からだけ、来ない。うんともすんとも、これっぽっちもない。送るのはいつも恵舞からだ。
「うっそでしょ……この私が、こんなに
イライラする。けれども、楽しい。
「仕方ないわ。最終手段ね」
前回会った時、優大のスマホにこっそり位置情報共有アプリを入れておいた。それを起動すると、なんと見知らぬ場所にいるではないか。
履歴を追うと、昨夜から動いていない。
パソコンからストリートビューでその場所を見てみると、
「……商店街……?」
なんともレトロな、アーケード商店街が出てきた。接待で飲んで、そのまま泊まったということか。
「まさか、浮気じゃないわよね……」
いてもたってもいられず、恵舞は家を出た。
◇ ◇ ◇
優大が朝食を終えて帰ろうとすると
「ユーダイ……お前すんげークサイぞ。風呂入ってけ」
天が止めた。
「クサイ!?」
がばっとシャツの襟元に鼻を突っ込んで、自分の匂いを嗅いでみた後の、優大の視線の先。光晴がお茶を飲みながら、クスクス笑っている。
「みっちーさん! 僕、くさい!?」
「あはは! 正直、ちょっと匂います」
「ガーン!」
食器をシンクへ運びながら、奏斗が呆れた顔をする。
「ゴミ置き場で寝てましたからね。ジャケット、はやくクリーニング出した方がいいすよ」
「げげげ! ほんと拾ってくださって感謝しかないですね……でも当たり前ですけど、着替えがないんです」
「あ、じゃあ僕の服をお貸ししましょうか。ふたりのだと大きすぎますよね。すぐ取ってきますよ?」
光晴のその申し出に優大が嬉しそうな顔をすると
「俺の貸すんで。いっす」
奏斗がぶっきらぼうに遮った。
「そう?」
「はい。ユーダイさん、風呂場こっちっす」
「え、え、はい」
不安そうな顔で振り向いた優大に、天がウインクでサムズアップした。
「さっぱりしてこい」
「そんなに臭いの!? ひーん!」
不思議そうな顔をしてそれを見送る光晴に
「くくく。こっちも、すこーしずつ、だなあ。みっちー、お茶お代わり」
天は優しい笑顔を向けた。
「? はい。天さん……あの人、すごく匂いましたね」
「しゃあねえよ、よっぱら……」
「違います。
「おめーも気づいたかあ。そらそうだよなあ」
「カナト君は同族だから、惹かれたのかもしれないですね」
光晴の冷えた目は、大天狗にすら、そら恐ろしく見える。かつての宿敵に瓜二つだからか。
「コウセイ」
「分かっています。今はまだ、本人に言うべきではないですよね。れんちゃんにもまだ?」
「ああまだだ……俺は、因果ってやつが恐ろしいよ」
「
「その名を言うな、
「ごめんなさい」
ずずず、と天は光晴の入れた熱いお茶をすする。
こんなに短い間に昔の名を続けて二回も呼ばれるなどと――背筋が寒くなる思いを味わったからだ。
「やーれやれ。噂をすれば影とは良く言ったもんだ。その夜叉が近づいてきてんじゃねーか」
「あ。だから帰るの、止めたんですね?」
「まーな」
相変わらずこの天狗は心優しいなとばかりに、光晴は眉尻を下げる。
「じゃあ僕は、戻っておきます」
「その方がいい。念のため、しばらくシオンから離れるな」
「……分かりました」
光晴は湯呑をシンクで水に漬けると、ねこしょカフェに帰っていった。
土曜日の営業は十一時から。これから開店準備をしても、十分間に合うだろう。
それに――
大陰陽師の生まれ変わりといえど、今はただの人間である。猫又が
やはり
――ちりりん。
便利屋ブルーヘブンのドアベルの音だ。
天は顔を上げる。時刻は十時過ぎ。優大を風呂場へ送っていった奏斗が、ついでに店を開けたのだろう。
「ついにおでましかぁ。拾ったからには、最後まで責任をだなあ」
えっこらせっと、と大げさな掛け声をかけて椅子から立ち上がる。
それぐらい気合を入れないと、腰が重い相手だ。
「女夜叉は、こえぇ上にしつけぇからなあ、昔っから……」
かつて自身に降りかかった数々の災難を、色々思い出してしまった、天なのであった。
◇ ◇ ◇
「どうしたの、コウセイ」
いつもの特等席で絵本を読んでいたシオンが、顔を上げた。
土日はたくさんの客がやってくるので、猫たちの様子をくまなく見るため、彼はなるべく人の姿でいつもの席にいることにしている。
「うんとね……天さんとこに、怖いのが来てるみたい」
言われてシオンは目を閉じ、ピクピクと耳と鼻を動かす。
「なるほどね。カナトのことが心配?」
「うん。なんだか、胸騒ぎがするんだ。こんなの初めてで」
「天がいれば大丈夫だよ。でもそういうことじゃないんだね?」
ぽ、と赤くなる光晴に、シオンは思わず微笑む。
――やっぱり、好きだなぁ。
汚い欲をまき散らす者ばかり見てきたシオンにとって、光晴はまぶしくて、いとおしい。
例えこの先、どんなに過酷なことが待っていようとも、命を懸けて守ってあげたいと思うぐらいに。
「僕も、カナトを護るよ」
「え……いいの?」
主人がなぜ
はじめは疑問に思い反発することもあったが、今では納得している。
限られた命の中で、誰かを愛して生きること。それこそが、主人にとって至高の喜びだと分かったからだ。
それに、
「うん。光晴の大事なものは、僕にとっても大事」
命は
――あとで、たくさん撫でてもらおう。
「ありがとう、
「ううん」
縁側で、紫の
ただの野良だった自分が、今や。
「夜叉も愛されたいだけなんだ。とっても悲しい存在なんだよ」
「そっか」
そんな光晴の不安は、別の意味で的中する。
◇ ◇ ◇
「あなた、名前は?」
「え。カナトっすけど……てか、なんすか?」
「見てたでしょ。振られちゃったの。慰めて?」
「はあああ!?」
奏斗の首根っこにぶら下がる恵舞。
それを苦笑いで見る天と――号泣している優大。
「……光晴帰らせて正解だったなぁ。あんだよこれ」
「一生来んなって、一生会うなってこと!? やだあああうああああん!!」
「だーもう! はなせって!」
「いやん! かわいい! すきっ」
「うっぜえええええ!」
天は、がっくりと肩を落とす。
「俺ぁこういうの、苦手なんだよ……」
便利屋ブルーヘブン、恋愛沙汰で修羅場突入は、創業以来初めてのことだった。
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お読み頂き、ありがとうございました。
光晴、大陰陽師、安倍晴明の生まれ変わりでした。
ちなみに
今は、運命のようなものを感じております。
猫の魂は九つあるらしいですよ。
紫音の失った一つは……
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