さくら と てん



 天はいつも通り、ダイキチの散歩をしに小さな公園にやって来た。


 夏の朝は、まだ朝だというのに、蝉が鼓膜を突き破る勢いで鳴いている。

 今日も暑くなりそうだと、立ち止まってぼんやり空を見ていたら――ドン! とすねに衝撃を受けた。

 

「……なんだぁ?」

 

 下を見ると、三歳くらいの女の子がいた。

 天のスニーカーの甲の部分に尻もちをつく形で、背中を脛にあずけている。つまり、天の足の上に座っている。なぜそんなことになったのかは、分からない。

 

「おやぁ」

 

 その声に反応して、彼女は天を仰ぎ見た。

 とん、と彼女の頭頂が天の膝を突く。

 ぱっちりとした大きな瞳に、バラ色の頬はふっくらしている。二つ結びの髪の毛は肩くらいの長さ。そして――


「ふえ」


 みるみる瞳に涙が溜まっていくので、すかさずダイキチがすり寄った。ふわふわのしっぽをブンブン振っている。その動きに、女の子は夢中になった。


「わんわん?」

「くぅ〜ん」

「ふふ」


 天は心の中で『ナイス、ダイキチ!』と絶叫している。幼女に泣かれたら一発アウト、即時派出所へ連行もやむ無しだからだ。


「おめぇ、ひとりか? んなわけ……」


 きょろりと公園内を見渡すと、屋根付きベンチに足を組んで座って、スマホに夢中な男がひとり。


「あれ、お前のパパ?」


 天が指さすと、女の子はこくんと頷いた。

 

「そうかぁ……犬、好きか?」

「うん」

「こいつは、ダイキチ」

「だいきち」

「そ。俺は、天」

「てん?」

「そそ」

「さくら」

「さくら?」

「ん」


 また、こくん。

 その間、男はやはり、スマホしか見ていない。


「さくら、ちょいと抱っこしてもいいか?」


 足の上に座られたままなので、致し方なく本人に聞いてみると

「ん!」

 輝く笑顔で、両手をバンザイされた。


「はは」


 脇の下を両手で掴んで、天は一気にさくらを抱きあげそして、肩に座らせてやる。


「きゃあああっ」


 さくらの歓声でようやく男は顔を上げ、キョロキョロし、天を見つけて――硬直した。


 赤髪でタトゥー入りの大きな男が、自分の娘を抱き上げている。にも関わらず、さくらのパパはベンチから微動だにせず、その代わりにものすごい勢いでスマホに何か文字を打っている。


「……おいあれ、本当にさくらのパパか?」

「うん」

「パパ、好きか?」

「んー……うん」

「そうかい」


 どうしたもんかなぁ、と天は迷う。

 このままだと通報されるだろうし、引き渡すにもアレじゃあなぁと憂鬱でしかない。だがこのままにするわけにもいかず、ベンチに向かうことにした。


「さくら、パパんとこ行くぞ」

「や!」

「えぇ……」


 決心したというのに、まさかのご本人の拒絶である。


「てんちゃんがいい!」

「えぇ……」

 


 ――おいおい、一瞬で俺に負けるパパ、どうなんだい。

 


「けどよぉ」

 

 肩から降ろそうとすると、

「やーの!」

 顔にギュッと横から抱きつかれた。

 髪を握り締められて、これではどうしようもない。腕で目を塞がれて、前も見えない。


 頭部を、幼女に占領されている。


「わん!」

 ――遊んであげなよ!


「ダイキチまで、そう言うなよ……」


 完全に、形勢は不利である。

 通報されるか、ギャン泣きされてでも引っペがすか(しかも多くの髪の毛を犠牲にして)。

 この究極の選択をどうすべきか。


 頭部を幼女に羽交い締めにされたまま、大天狗は公園のど真ん中、仁王立ちで悩むこと数分。


 キキィーー!


 甲高いブレーキ音の後で

「さくら! ……天さんっ!?」

 女性の声がした。


「ママ!」


 救世主、あらわる。




 ◇ ◇ ◇


 


「ほんっとうに、すみません!」


 さくらのママは、アーケード商店街に店を構える肉屋の娘だった。天は肉屋のコロッケの常連客だし、すれ違うと挨拶を交わすくらいの顔見知りだ。


「いやいや、あんたも大変だねぇ」

「……情けないです……」


 眉根を寄せる彼女が振り向く先には、ベンチでスマホを握りしめ立ち尽くしている、さくらパパ。

 休みの朝ぐらい、公園でも連れて行きなよ、と無理やり頼んだらしいのだが――洗濯物を干し終わってさあ久しぶりに少しのんびりするか、と思ったところに「変なやつが、さくらを連れ去ろうとしてる!」とメッセージが来たんだそうだ。

 

「慌てて自転車を走らせて来てみれば、これです」とさくらママは怒りにワナワナ震えている。

 ちなみに大人同士が話している間、リードから一時解放されたダイキチが、さくらと追いかけっこしてくれている。


「まあ、他人の俺がどうこう言うアレじゃねえ。気にすんな」


 ふう、と天は後頭部をガリガリかきながら、さくらパパに言う。


「なあ、あんたさ。娘の人生より大事なもんが、その中にあるんだなあ」

「え」

「だってよ。あんな可愛いの、一瞬だぜぇ? それに俺がワルモンなら、とっくにさくら――死んでらあ」

「っ」

「天さ……」

「あんなほっせえ首、一瞬」


 めきゃ、と天は空中で何かを握りしめるフリをする。

 その甲には青筋が走り、天の二の腕の筋肉が、袖の布を押し上げた。


「ま。俺にゃ関係ねえ」

 

 そしてその手から人差し指を出すと、さくらパパのスマホを指さす。


「それ、だーいじにしろよぉ。な!」

「……」


 何も言わない男の横で、さくらママは静かに震えていた。

 天は、それに気づかないフリをして、笑顔を作って振り返る。


「さくらー! 俺ともあそぼーぜー!」


 さくらとダイキチの追いかけっこに、全力で混ざった。


 

 

 ◇ ◇ ◇



 

「あだだ、あだだだだ」

「ったく、年寄りのくせに無理するからですよ」


 畳の上の敷布団に、うつ伏せになる天の腰に、湿布を容赦なくベシベシ貼る奏斗。


「あんなぁ、筋力使うってことは、あんまねえのよ」

「こんな体格で? 宝の持ち腐れすね」

「ぐうの音も出ねえ!」


 さくらを全力で抱っこしすぎて、腰にきている大天狗に、奏斗は眉尻を下げる。やはりこの人はどんな人間より人情家だなぁと。


 あれからさくらは

「パパより、てんちゃんがいい!」

 キャンペーンを発動。

 パパは、今さら必死にご機嫌取りをしているらしい。仕事が忙しく構ってやれなかったため、どう接したら良いのか分からなかったのだそうだ。

 ママからは感謝のコロッケが差し入れられ、どうやらさくらの初恋の人は天さんみたいです、と微笑まれた。


「光栄だねぇ」

「いいから早く治してくださいよ」

「……ちったあ優しくしてくれよぉ、カナト」

「ウザキモイ」



 ――それから数ヶ月後。


 

「てんちゃん、おはよー!」

「おう、さくら。今日も元気だなあ」

 

 幼稚園の園バス乗り場にいく途中のさくらと挨拶を交わすのが、天の日課に加わった。

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