階層ジレンマ 前



「彼氏のふりぃ!?」

「便利屋、なんでしょ!!」


 沢村麻耶まや、二十六歳。丁寧にヘアアイロンで巻いた茶髪のロングヘア、バサバサと音がしそうなくらいのアイラッシュ、そしてとんがった先でボタンは押せるのか疑問なぐらいの、整えられた長いネイルはピンクベージュ。ネイビーのロングワンピースに、ホワイトのカーディガン。見るからに意識高い系OLの彼女が鬼気迫ってくるのに、便利屋のふたりはタジタジである。

 

「いやぁ、この店、俺かコイツしかいないんですけど」

 天が眉尻を下げ、人差し指で自分と奏斗を交互に差しながら、言う。


 身長百九十五センチ、燃えるような赤髪の、無駄にガタイの良いおっさん。タトゥー入り。ニヤケ顔。

 身長百八十二センチ、金髪メッシュのツーブロックでボディピアスばちばちの大学一年生。コワモテ。


 麻耶は、ふたりを何度も何度も見比べてから

「高身長のエリートサラリーマン! 探してきて! 来週末までに!」

 と絶叫した。

 

 天と奏斗は、顔を見合わせる。


「心当たりが一人だけいるなぁ」

「……同感すけど……受けてくれる気ぃしないっす」

「だなぁ」


 とりあえず努力だけはします、と無理やり麻耶の背中を押して、お引き取り願った。


 

 ――そんな二人が、雁首がんくび揃えてやってきたのが、便利屋ブルーヘブンから徒歩二分。同じアーケード商店街にある、『ねこしょカフェ』だ。猫と古書を楽しめるというこのカフェは、レトロな店内もさることながら『多数の人懐こい猫たちに癒される』と、老若男女問わず人気の店である。


「え? ボク、ですか?」


 そのねこしょカフェに日曜日なら必ずいる、大企業の営業職、二神にかみ そう

 

 側面を若干刈っている清潔感のあるツーブロックに、整った顔立ち。百八十センチの高身長、所作も洗練されているまさにエリートサラリーマンな彼は、ねこしょカフェの常連である。というのも、ある事件をきっかけとして、ここの二階に住むかすみ蓮花れんかに一目惚れをしたから。

 毎週熱心に通い詰めており、自他ともに認める、蓮花のストーカー(!?)である。

 

「ご遠慮します」

 分かっていたが、即答である。

「だよなぁ」

 天も、頭を抱えるしかない。

「蓮花さんが、ヤキモチ妬くとか?」

 奏斗が言ってみるも

「それはないですね。フリだけでも嫌だなって思っただけです」

 と二神は即答である。さらに

「……あー。自分で言いましたけど、切ない」

 などと言って、頭を抱えてテーブルに突っ伏してしまった。

 

 無駄に落ち込ませてしまった、と罪悪感が半端なくなってきた奏斗。どう声を掛けようか迷っていると、そんな二神の背中に、銀毛で琥珀色の瞳の猫が飛び乗る。人懐っこそうな若い猫で、その尾はだ。

 

「なあん」

「あああ、シオンさん! あの、今日、蓮花さんて……?」

「にゃ~」

「そう、ですか……うう、せめてお顔だけでも見たかった……」


 天も奏斗も、いつの間にか猫のシオンと会話ができている二神に目をまたたかせた。

 テーブルに突っ伏したままの横顔に、シオンが気遣うように身を摺り寄せると、二神も遠慮なく吸っているのだ。


「え、いつの間にそんな仲良くなったんすか?」

 奏斗の問いに、二神は顔だけをこちらへ向けて

「あ~その。出張先で、日本にそこしかないっていう高級メロンケーキ屋さんがありましてね……行くたびに買う約束してまして……」

 もそもそと答える。

 

「「なるほど」」


 とはいえ、便利屋ブルーヘブン、最大の危機である。

 開業以来初めて、依頼を断ろうとしているのだ。


「しゃあねえ。断るかあ」

「でも天さん。依頼は全部受けるってのがモットーでしょ」

「そうだけどよぉ」

「……あの。僕ならどうでしょうか?」

「「!?」」


 ぎゅいん、とふたりそろって後ろを振り返ると、カフェ店員の光晴こうせいがニコニコ笑顔で立っていた。


「みっちー! ……でもよ」

「気にしないでください、天さん。僕、これでもエリートサラリーマンですよ」

「え!」


 こんなゆるふわなのに? というセリフは、かろうじて吞み込んだ奏斗である。


「あ~、光晴さん元〇〇商事って言ってましたね。ボクのとこより、全然すごいですよ。エリート中のエリート」

 二神がそれに便乗する。

「まじすか!」

 

 目を輝かせる奏斗だったが、天はなぜか煮え切らない。


「光晴、言っとくけどなぁ、そのぉ」

「察するに、ろくでもない依頼なんでしょ? から」

「そういう問題じゃねーよ」

「お困りなんでしょう?」

「お前が傷つくのは、もう見たくねえ」

「傷つかないですよ。だって、仕事ですから。僕自身じゃない」


 この芯の強さは、普段見たことがない光晴の一部だ、と奏斗は感心した。

 きっとものすごく仕事ができる人だったに違いない。なぜ辞めてしまったのかは……奏斗はまだ知らない。


「ああでも高身長、ではないかなあ。百七十七センチじゃ、微妙ですよね?」

 するといつの間にか起き上がっていた二神が肩にシオンを乗せたまま

「光晴さん、足何センチです?」

 と唐突に尋ねる。

「二十七、てん五」

「俺二十八なんで。厚め靴下ならいけるかな。ソールがごつくて、ヒール三センチの靴あります」

「あ、じゃあ百八十だね! どうですか天さん」

 

 天は、降参とばかりに両手を万歳した。


「わーった。頼むよ光晴。スーツまだ持ってるか?」

「はい。何着か」

「んじゃ土曜日。出勤スーツでうちの店来てくれ。朝八時」

「はい」

「んなああん!」

「わかったってシオン。なるべく厄介事にはさせねえよ」


 どうだか、という顔をして、シオンはぷいっと二神の肩から飛び降りて行ってしまった。


 


 ◇ ◇ ◇




「はじめまして。ミツハルです」

「っ!!」

「今はそこのカフェ店員ですけど、元〇〇商事の社員です。お役に立てますでしょうか」


 細身のダークグレーのスーツに、薄い水色のシャツ。黄色地に細かい水色ドットのネクタイ。こじゃれたエリートサラリーマンの装いでやって来た光晴に、天は「あーあ。化けやがった」と笑った。足元は、二神に借りた濃いブラウンのダブルモンクストラップ。確かにソールがごつい。いつもより光晴の目線が高い。

 少し伸びた襟足は丁寧に整えられていて、長めの髪を後ろに流すヘアスタイル。

 優しげな垂れ目で、普段は少し幼く見える顔が、今はただひたすらに『さわやか』である。

 

 上から下まで何度も首を動かして見続ける麻耶に、さすがにどうしたものかと光晴が苦笑していると

「あ、あ、あの! か、彼女さんとかはその! だいじょぶですか! 怒らないですか!」

 と興奮した顔で言われた。

「大丈夫ですよ。いないです」

 さらりと答える光晴に、

「ではぜひ! お願いしたいです!」

 がばり、と大きくお辞儀をする麻耶。

「ふふ。はい」

「あーじゃあ、沢村さん? これ、注文書になります。説明するんで座ってください」

 奏斗が、ねずみ色の事務机の前に、麻耶を招いた。


 その隙に、天が気遣う。

 

「みっちーお前、ほんとに大丈夫か?」

「……ええ。今のところあやかしの気配もないですしね」

「それならいいんだが。こんなこと頼んじまって、わりいなぁ」

「いいえ。僕が勝手に、助けになりたいだけだから」

「はー。とにかく、無理すんなよ」

「ふふ! 優しい。天さん」

 

 んなこたねえよ、と天は後頭部をがりがり掻く。


「でもなあんか、嫌な予感がすんだよなあ」

「そう、ですか」

「一応あの子の勤め先に、蓮花潜らせてある。俺も会場の外で待機すっから」

「分かりました。僕の護衛ですね。それこそ申し訳ないな」

「それぐらいさせろよ、みっちー」

 

 麻耶は、注文書にサインをすると、上機嫌で去っていった。

 今月末、某有名ホテルの宴会場。そこで開催される会社の創立イベントに、光晴同伴で出席するのが依頼内容だ。

 大学時代からの友人に『彼氏を連れて来い、でなければ別の男をパーティで紹介する』と迫られて困っているのだという。


「お節介だけじゃねえ、な~んか、悪意を感じんだよなぁ。普通そんなん強制するか?」

「……女性の考えることは、分からないです」

「だなあ。おいカナト。お前もスーツ作りに行くぞ」

「え? なんで!?」

「蓮花の同伴」

「いや俺パーティとか絶対無理ですって! それこそ二神さんは……? ほら、みっちーさんのフォローもできそうだし」

「「あ」」


 というわけで、蓮花の同伴は二神になった。もちろん二神、これには即決・二つ返事である。


「てーーーーーんっ! でてこいっ!!」


 

 ――その日の夜。便利屋ブルーヘブンに、日本刀を持った女性が押し入った、という噂が流れたとかなんとか。




 ◇ ◇ ◇




 今から数年前。


 目的地から帰る途中に、某県境にある道の駅に立ち寄った、大学の旅行サークルの面々。

 思い思いにトイレ休憩や買い物をする中、梨乃りのはふらりと誘われるように、独りで裏山へ入り――小さな足湯を見つけた。

 周囲の様子を探るが、不思議と誰もおらず、静かだ。


 ちょろちょろと源泉が流れる、屋根付きの小さな足湯場に、靴と靴下を脱いでそろりと足を差し入れると――


「はあぁ~気持ちい~~~」

「だろう?」


 いつの間にか、真向かいに男が座っていた。足湯につかってはおらず、胡坐あぐらをかいたその上に肘を突いて、梨乃をまっすぐ見ている。


「っ」


 まさに、息を忘れるほどの美丈夫だ。

 豊かな青い髪は無造作に胸もとまで伸ばされていて、白いシャツのはだけた前合わせからは、胸筋がちらりと見える。涼し気な目元と、妙に赤い唇。一言だけでも耳触りの良いその声が、梨乃の心にするりと入って来た。

 

 その男は、艶めかしい微笑みを浮かべ、梨乃を目線だけで誘う。


「ウクックック。良いねえ良いねえ」


 梨乃は、ゆっくりと目を閉じた。――そうして気づくと、いつの間にか男の膝の上に横抱きになっている。

 

「はぁ……」


 たくましい胸板に頬を摺り寄せると、男は梨乃の頭頂に鼻を埋めて言った。

 

「その願い。この俺様が叶えてやろう」

 


 むせかえるような、芳醇な香りがする。



 ――梨乃は、上気した頬で、うっとりと頷いた。

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