第16話 メンヘラちゃんは携帯が鳴らないか気にしている




【中性的な女 ゆう


 こんな超が付くほど高級なレストランで行事が悪いとは知っていたが、私は右の肘をテーブルにのせて体重をかけた。


「お前がどんなに凄い医者だろうが、金持っていようが、家柄が良かろうがそんなの興味ない。そうなるために努力はしたのかも知れないけど、だからなんだって言うんだ。お前に見下される覚えない。私には関係がない。不愉快だ。人を玩具にして悦に浸る最低野郎じゃないか」


 優越感に浸り切り、他人の気持ちをまるで理解しようともしない。理解する価値もないと考えている。そんなひょろメガネと話していても、私のことを人間的な動物か何かを相手にしているようにしているんだ。いや、それよりもっと悪い。私をアクセサリーのように使っている。美しく着飾らせ、自分を引き立てる装飾品扱い。だからこんなに心無い言葉ばかりが出てくるんだ。

 言い終わった私は慣れないヒールで立ち上がり、ひょろメガネに背を向けて歩き出した。


「私は帰る」

「待て!」


 余程その言葉が受け入れられないのか、ひょろメガネは私に対して待つように言う。

 だが、私はその言葉を当然無視をする。ひょろメガネが話しを聞かない私の腕を強引に掴んだ。

 その腕を思いっきり振り払い、ひょろメガネの方を振り返る。


「気安く触んな」

「おい、私に恥をかかせるな!」

「この期に及んでまだそんなこと言ってんのか!?」


 これだけ大声で怒鳴り合っていれば自然に視線が集まる。

 衆人環視のこの状況。もう慣れたものだ。

 ただ、こんな状況になってもピアノの演奏者だけはピアノの演奏をやめることなく仕事に従事している。プロの仕事人だ。私はそういう人を尊敬している。

 こんな、権力ばかり金ばかりで殴ってくるひょろメガネなんて、私の中の人間検定では人間失格だ。


「私はお前のお飾りになる気はねぇんだよ。他の女をそうしろ」


 流れる曲が、心なしか激しさを増している気がした。まるで昼のメロドラマのよう。この地獄のような空気をなんとか変えようと演奏しているように聞こえる。

 私はスタスタと歩いて出口へと向かう。ひょろメガネが私をなんとか引き留めようとするが、私はことごとくそれを振り払い、赤い絨毯の敷かれている階段を下りていく。


「こんなことをして、後悔するぞ!」

「お前が後悔しろ」


 私は荷物を管理していると思しき係のところへ行き、着替えたものを出すように言った。


「待て、出すな。食事も会話もまだ済んでいない!」


 会話が済んでいないと言っても、何か建設的な話をしていたとは到底思えない。これからこの世の行く末の話でもするのか? そんな話して何になる。私の意見など聞き入れようともしないのに、私に饒舌じょうぜつにこの世の行く末を語って何になるというのだ。


「私はもう帰る。出してください」

「私の言うことがきけないのか!」

「しつこいな! お前何様なんだよ一体!?」


 こんな喧嘩をされてはお店の人も迷惑だろう。とは、思ったけれどどうしようもなかった。早く帰らないと、こいつをぶん殴ってしまいそうだった。流石にチンピラでも何でもない人を殴ったら私が逮捕されてしまう。


「なんなんだ、お前。なぜ私の言うことを聞かないんだ? 理解できない!」

「ならお互い様だな!」


 係の人がおずおずと出してきた私の荷物を強引に奪い取り、私は着替えるスペースに入った。


「待てと言っているだろう!?」


 ひょろメガネは更衣室の前にまで入って来て掴み合いの喧嘩が始まる。

 もう、ここ最近は連日このありさまだ。暴力を振るいたくないのに、暴力を振るわざるを得ない状態に追い込まれる。


「出ていけこのド変態が……!」

「お前の身体など興味ないわ……話を聞け……!」


 係員もこれには動揺を隠せない。立ち入っていいのかどうか解らないが、止めないといけないと思ってはいるのだろう。

 係員はおずおずとクソひょろメガネに話しかける。


「お客様、落ち着いてください……」

「下がっていろ! これは私とこいつの問題だ!」


 蹴り飛ばしてやろうか相当悩んで、私がブチ切れる寸前のところで、突然腕が横から現れてひょろメガネを掴み、後ろに投げ飛ばした。


「うわっ……!」


 ひょろメガネが倒れこみ、何が何だか解らない状態で私は唖然としていた。

 目の前に現れたのは、肩につく程度の黒い長髪の男性だ。その男性が私の方を見た。

 その顔や風貌に、私は見覚えがあった。


「なぁ…………お前。悠か?」


 聞き間違えかと思った。見間違えかと思った。そんな訳ないと思った。

 長い髪、黒いスーツ、緩めのネクタイ、白い肌、気の強そうな目、低い痺れる声。


「たか……や……さん…………?」


 かつて私の愛した男がそこに立っていた。

 

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