ガラスの靴を探して3


「僕はガラスの靴の在処を知っとる」


 桃太郎のそんな言葉にシンデレラは絶句した。

 そののち、


「はあぁぁぁあああああ!?」


 と桃太郎に掴みかかった。


「ど、どこよ! 吐きなさいよ! だいたいなんで黙ってたの! もしや、やっぱりあんたが盗んだのね! このすっとこどっこい!」

「違う」


 桃太郎は冷静にシンデレラの細腕を掴んだ。


「心が汚い奴には見えない――って、だけの話だ」

「なによ……。私のことディスってんの?」


 生まれた国も育った時代も違うふたりの主人公は見つめ合った。


「説明するんじゃ」


 すると何の前触れもなく、桃太郎はシンデレラをお姫様抱っこした。


「キャッ!? な、なにすんのよ。……私なんかに触ったら、あんたのお召し物が汚れるわよ」


 先ほどの威勢はどこに行ってしまったのか。

 桃太郎は呆れた。

 服装が変わったくらいで性格まで豹変するんか。

 女というものはよくわからん。


「シンデレラは僕と初めてうたとき、後ずさろうとしてこけそうになったじゃろ?」

「あんたが驚かすからでしょ。全部オニ見られたし……このアンポンタン」

「僕も驚いて、気が動転してたんじゃ」


 でも、今はそれはええ。

 と、桃太郎は仕切り直した。


「要は、なぜ足下はフラついたかということなんじゃ。焦点はそこなんよ」


 裸を見られただのは、正直どうでもええ。

 けして焦点ずらしをしているわけでもラッキースケベを正当化しているわけでもない。


「それはあんたが脅かすから……。それに水の抵抗もあって滑ったんでしょ」

「ほんまにそれだけか?」


 桃太郎は抱えたシンデレラに視線を落とした。


「僕が見たところ、あんたはいい体つきをしとった」

「へ、変態! 今すぐ離しなさい!」

「そんで、そげーな水の抵抗ごときでバランスを崩すほどヤワじゃないはずなんよ。おそらくは長年の肉体労働によって培われたもんじゃろう」

「……まあ、雑用はお手の物だけどさ」

「それからもう一点。さっき僕は噴水の中を隅々まで調べたけど苔ひとつなかった。当然、ガラスの靴もなかった。でも、その代わりに――純然たる美しさを発見したんじゃ」


 ただの水が綺麗だということを桃太郎は思い出した。


「打って変わって、シンデレラ、おめえの心は汚いんよ」

「うるさいわね。余計なお世話よ」

「おめえの目は曇っとんじゃ」

「だから、何が言いたいのよ!」


 たまらずシンデレラは怒鳴った。

 しかし動じた様子もなく、桃太郎は訴える。


「シンデレラ。おめえは噴水から出たとき、第一に僕をうたごうたじゃろ」


 シンデレラは申し訳なさそうな顔になった。


「悪かったわよ。貧乏臭い外見で判断して……。掲げてる旗も妙にダサかったしさ」

「そうじゃ。あんたは見た目ばかりに囚われとる。だから、ほんまに大切なものを見失うんよ」


 桃太郎は諭すように説明した。


「心まで貧しくなんなや。心を豊かにして思い出すんよ。与えられるんじゃのーて勝ち取れ。そうすりゃあ、おのずとガラスの靴は見つかるはずなんじゃ」


 桃太郎に言われたとおりに、シンデレラは目を閉じて心を澄ませた。

 ドレスもなくなって、馬車もお釈迦になって、ガラスの靴も消えた。

 こんな姿で見目麗しい王子様に会えるわけもない。


 すると瞑目したままのシンデレラを、あろうことか桃太郎は噴水に浸けた。

 じんわりとボロ布に水が染みこみ、シンデレラは透明な水の中を揺蕩たゆたっていた。

 いっそのこと、このまま溺れてしまいたかった。

 思い返せば、つらいことばかりの人生だ。

 自分の手の中には一握りの灰しかない。

 心が満たされたことなど一度もない。

 他人の何もかもが喉から手が出るほどにうらやましかった。

 私には、飽くなき渇望しかなかった。

 でも、もういいの。

 神様、私はすべてを諦めます。


 シンデレラは息を止めた。1秒、2秒、3秒。

 そして、次の瞬間。


「ココシャネル・ルイヴィトン・ダイヤモンド……!」


 魔法の呪文を唱えると、シンデレラはブクブクと息を吹き返した。

 こんな死に様……私らしくない。

 死ぬときは肥溜めに前のめりで死んで、畑の肥料になってやる。

 泥臭く貧乏臭く。

 灰を被ろうが泥にまみれようが、這いつくばって生きてやる!

 見くびるな。

 鐚一文びたいちもんも負けてたまるか。

 命をタダで捨てるのなんてもったいないじゃない。


「貧乏人なめんな!」


 シンデレラはそう叫ぶと目が澄んでいく心地がした。

 目蓋を開けると、落ちてきそうなほど満天の星が綺麗だった。

 そして。


 ――ついにガラスの靴を発見した。


 シンデレラが噴水から這い出るとびちゃびちゃの濡れ鼠だった。

 しかし、気分は爽快である。


「お探しのガラスの靴は見つかったんか?」


 そんな水も滴るシンデレラを見て、桃太郎は満足げに尋ねた。


「ええ」


 と、彼女は血色のいい顔で一言答えた。


 桃太郎はシンデレラの話の中で気になっていたことがある。

 それは王子様へのアプローチとして、シンデレラがガラスの靴を舞踏会に残そうとしていたことだ。

 でもそれだと計画が破綻している。

 真夜中の12時で魔法が解けてしまうのなら、なのだから。

 つまりは、そういうことだ。



「私は最初から、ガラスの靴を履いていた」



 噴水の縁に座り込んだシンデレラは透明な水の靴を脱ぐ。ガラスの靴を逆さまにして溜まった水を吐き出させた。


「魔法が解けた今ならわかるわ。このガラスの靴は魔女から与えられた物じゃなくて、他の誰の物でもない――私の宝物よ」


 シンデレラは大切そうにガラスの靴を胸に抱きしめると、頬から透徹の雫がガラスを伝った。


「会う人会う人に私はいつも裸足だって蔑まれてた……。でもそんなお姉様たちやお母様にはけして見えない。――ガラスの靴は、心の綺麗な人の目にしか映らない」


 要するに、シンデレラはお姫様願望というある種の魔法にかかっていた。

 悲劇のヒロイン症候群シンデレラ・シンドローム

 王子様と結婚してお金持ちになりたい。

 権力を手にしたい。

 地位と名誉が欲しい。

 いいものを食べたい。

 馬車を乗り回したい。

 綺麗なものを身につけたい。


 しかし綺麗なものを追い求めるあまり、いつしかシンデレラの心は濁り、目は曇った。

 ついには元から自分の持っていた、ガラスの靴さえも見失ってしまった。


『シンデレラ』とは。

 私欲という魔法にかかり自前のガラスの靴を見失ってしまった――ヒロインの御伽噺おとぎばなし


「目から鱗が落ちたわ。サンキュー、ピーチマン」

「……桃太郎やけどな」


 軽く訂正してから、桃太郎は次のことを聞いた。


「というかやー、舞踏会のほうはもうええんか?」

「どうせもう終わっちゃったでしょ。ここがどこかもわかんないし王子様もそんな気が長いわけでもないだろうし……。それに、そういうのはもういいのよ」


 何か吹っ切れた感じのシンデレラ。


「ねえ、ものは相談なんだけど一緒に踊らない? Shall we dance? 桃色の王子様」

「……誰が王子様じゃ」

「いいじゃない。王子様の代役なんて光栄なことなのよ?」

「いや、知らんけどやー……。つーか誰やねん、王子様」


 結局、ただの当て馬やん。

 桃太郎はかぶりを振ってから、改めて名乗った。


「僕は王子様じゃのーて――日本一の桃太郎なんじゃ」

「ふふん」

 

 このとき、シンデレラは目の前の男に第一印象とはまた違った感情を抱いていた。


「じゃあ日本一の桃太郎。あんたはダンスはお嫌いなのかしらん?」

「別に……好きでも嫌いでもねえわ。腹踊りとドジョウすくいなら得意やけどやー」


 しかし社交ダンスともなると桃太郎はズブの素人だった。


「まあ、でも……そうよね。私なんかと一緒に踊りたくはないわよね」


 シンデレラはビチョ濡れの衣服を汚らしそうにまんだ。


「こんな小汚い恰好かっこじゃ、どんな男だって尻尾巻いて逃げ出すわ」


 そんなシンデレラの落ち込んだ様子を見て、桃太郎は頭をガシガシと掻いた。


「おめえはいちおう現代ではそれなりの有名人らしいぞ。今は貧乏かもしれん。でも、後世に語り継がれる立派な女がそげーな泣きそうな顔すなよ」


 桃太郎は後ろめたかった。

 なんせ噴水に投げ込んだのは自分なのだから。

 女子おなごに風邪を引かれても寝覚めが悪りぃわな。


「わかった。僕で良ければ一緒に踊っちゃる」

「え? でも……私はこんな恰好よ?」

「ふん」


 桃太郎は鼻で笑った。


「そうじゃけえ、とっておきのええ服があるんじゃ」


 そう言って、桃太郎は噴水のブロック塀に立てかけてある通学バッグを指差した。

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