ガラスの靴を探して1

 そもさん。

 さっそく、桃太郎は迷子になった。

『おとぎマップ』とにらめっこしながら探索したが、思い通りにいかない。

 無人の校舎をさまよった挙げ句、日はとっぷりと暮れてしまった。


「だいたいこの学園は広すぎなんじゃ」


 桃太郎の片腕には制服の入ったバッグを提げており、背中には『日本一』と書かれた旗。

 グレーのはかまに汗が滲む。

 どっちも教室に置いてくればよかったんじゃ。

 しかし、後の祭りである。


「こういうとき、家来のイヌ・サル・キジが傍にいてくれりゃあ……」


 桃太郎が途方に暮れていると、どこかから幽かに水の音が聞こえてきた。


「そうじゃ。わざわざこんな機械に頼らずとも、僕には鍛え抜かれた五感が備わっとるんよ」


 スマホを懐に仕舞うと、耳を澄ませて、水の音の聞こえる方向へ桃太郎は駆け出した。

 雪駄の鼻緒が足の親指と人差し指の間に食い込み、校舎の間をイヌのように疾駆しっくした。

 するとほどなく、噴水が見えてきた。

 傍にはオレンジ色のカボチャの馬車がある。

 2匹の白馬がカボチャに悠然と繋がれていた。

 そして噴水に人影が見えた。


 なんとそこでは――ちょうど全裸の美少女が水浴びをしている最中だった。


「…………」


 しばし、桃太郎と美少女は見つめ合った。

 月光は美少女の肌をまぶしく照らす。ブロンドに水が滴り、透明度の高い琥珀色の瞳は驚いたように見開いていた。

 そのあまりの美しさに、桃太郎は目を奪われた。

 しかし、魔法にかかったような時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。

 みるみるうちに美少女の処女雪のような頬は朱に染まった。

 後ずさりしようとして、ガコンッと足を滑らせた。


「ひぇやあっ!?」


 その美少女が噴水に倒れる直前、桃太郎は持ち前の俊足で彼女の元まで駆けた。

 間一髪、その華奢な肩を支えた。


「おめえがシンデレラなんじゃろ。僕は探しとったんよ」

「そう、ですけれど……。もしや、あなたが王子様なの?」


 シンデレラは上目遣いで尋ねる。

 長いまつげを瞬かせ、頬を上気させた。

 期待の眼差しというやつである。

 しかし、どうも桃太郎はその期待に添えそうにない。


「違う」


 そして桃太郎は自己紹介した。


「僕は桃から生まれた――日本一の桃太郎じゃ」

「…………」


 シンデレラは黙って端整な顔を伏せたあと、たっぷりと時間を使う。

 それから、



「誰えええええええええええええええええええええええええええええ!?」



 と、びっくり仰天した。


「は、離して! この変態! 私を襲うつもりなのね!」

「違う。やめえやめえ! 僕のまげを引っぱるな。それから桃のデザインされたハチマキをみょーんすな!」

「だいたい何よ? 桃から生まれたって? そんなわけないじゃない。この人、絶対おかしいわ! しかも腰に武器みたいなもの持ってるじゃない! 助けて、ポリスメ~ン!」

「頼むから、ちーたー落ち着け。きび団子でも食うか?」


 桃太郎は自身の腰をまさぐった。


「ひぃぃぃいいい! サイコパスに変なもの食べさせられるぅ!」

「変なものって……おばぁに失礼やぞ」


 そして誰がサイコパスじゃ。


「ええい、しゃらくせえ。僕は日本一の桃太郎じゃ」

「そもそも、日本ってどこよ!?」


 まさか日本を知らんとは……。

 このじゃじゃ馬娘め。

 桃太郎は億劫になったので、噴水の中にシンデレラを放り込んだ。

 ザブーンと噴水の水は石段から溢れた。


「お嬢さんやー。これですこしは頭が冷えたじゃろ?」

「この悪魔……」


 シンデレラは裸を見られないように水面からワニのように恨みがましい視線を桃太郎に向けた。

 ふたりの主人公の第一印象ファーストインプレッションは最悪だった。


 しばしのお着替えタイムを挟み。

 シンデレラは純白のドレスに身を包むと、やはりため息の出るほどに美しかった。


「で、舞踏会はどこでもよおされているのよ?」


 藪から棒に、シンデレラは桃太郎に問うた。


「私は今日の12時までに、王子様と恋に落ちないといけないってーのに……」


 そこで桃太郎は思い出した。

 そういや12時までに魔法がどうたら、アマテラス先生が言うとったな。


「じゃけど、舞踏会なんて僕は知らん。だいたい、どうしてこんなところで水浴びなんてしとったんよ?」

「身を清めてたのよ……。初めてを捧げる覚悟を決めていたの。大人の階段を昇るためにね」


 シンデレラは決然と言った。


「ふうん。王子様ってのは、そげーなええ男なんか?」

「さあ?」


 桃太郎の質問に、シンデレラは肩をすくめた。


「まだ会ったことないわ。顔も知らないもの」

「いわゆる政略結婚……って、やつか」

「それは違うわ」


 シンデレラは一刀両断した。


「私はただの貧乏人。こうやってドレスで着飾ってるけど、実際はみすぼらしくて誰も見ちゃいられない」

「……そうなんか」


 シンデレラという女はとても貧乏らしい。

 桃太郎にはとてもそうは見えなかったが。


「ミセス・ウィッチに土下座までして、カボチャの馬車と純白ドレスを用意してもらったのに……」

「ミセス・ウィッチ?」

「そう。私は魔女の末弟子だったの。でも、姉妹の中じゃ私だけ魔法が使えない落ちこぼれだったけど……」


 見習い魔法使いのシンデレラは自嘲的に笑った。


「そのせいでいじめられたし、雑用もたくさん押し付けられたわ。私自身も魔法の使えない自分が悪いんだってずっと思い込もうとしてた。でもやっぱり、このままじゃダメだと私は一念発起して、王子様に会いにここまで来たのに……。こんなザマじゃ成り上がれないわね」


 なんとも野心の強い女である。

 桃太郎がある種感心しかけていると、シンデレラは奇声を発する。


「って、あぎゃぁぁぁあああ!」

「シンデレラ、どうしたんじゃ? いきなし大声なんか上げて……」

「どうしたも、こうしたもないわよ!」


 シンデレラはパニックに陥った。


「私のガラスの靴がないじゃないのよぉぉぉおおお!」

「いや、知らんけどやー」


 桃太郎は興味の欠片かけらもなかった。


「これじゃ舞踏会に行ったところで、王子様が私を見つける手掛かりが残せないじゃない!」

「うーん。……ほんじゃ、僕の足袋と雪駄を貸そうかいのう?」

「そんなクソダサい履き物なんて、死んでも嫌よ! 貧乏臭い!」

「日本人を貧乏人扱いすなよ……」

「だから、日本ってどこよ!?」


 シンデレラはオーバーリアクションで金髪をわしゃわしゃと掻きむしった。

 なんだか聞いた話と違うじゃないか。

 桃太郎はおかしみを感じた。

 未来の日本は結構な技術大国になったんじゃないんか?

 それとも、シンデレラなにがしのいた時代が古いんか?

 あるいは無知なだけか?

 もしや、すでに日本は亡国の危機に瀕しとるなんてこともありえるんか。


 日本人、しっかりせえよ。


 食べ物はともかく、文化は腐らすな。

 大和魂を絶やすなよ。


「あーもう最低! このピーチマンのせいで、ガラスの靴が失くなっちゃったわ!」

「ピーチマン言うな。直訳で誰が『桃男』じゃ。くそが」


 毒づきながら、桃太郎は弱った。

 アマテラス先生に乗せられてここまで来たけど、どうするん。

 このシンデレラを仲間にしろってことよな。

 ……こいつ、戦力になるんか?

 魔法も使えん玉の輿スナイパー女やぞ。


「ガラスの靴、ガラスの靴……。もうこの噴水の縁に置いてたと思ったのに……って、まさか――」


 シンデレラの瞳に懐疑の色が浮かぶと桃太郎を見据えた。


「その貧乏な身なり。あんた、私と同じ匂いがするわ。まさかとは思うけどピーチマン、私のガラスの靴を盗んだんじゃないでしょうね?」

「盗むかぁ!」

「だって、あんた見るからに、他人の金銀財宝を盗みそうな顔してるじゃない」

「……無駄に鋭い観察眼」


 当たらずとも遠からず。

 やな感じ。


「だいたい、あんたのせいで失くしたんだから責任とりなさいよ!」


 しかし、この女、生意気である。


「……は、裸まで見られたし。……バカじゃないの」


 シンデレラは赤面してから、両腕で慎ましい胸を隠した。

 桃太郎は視線を下にずらして彼女の下半身を凝視する。


「そういや、おめえ大事なところの毛が生えとらんかったな」

「大事なところとか言うなあ!」


 シンデレラは恥ずかしさと怒りで、さらに赤くなった。

 鬼のように真っ赤っかである。


「やっぱり、しっかり見てたんじゃん! もういや……お嫁にいけない」


 膝から崩れ落ちるシンデレラを見て、さすがの桃太郎も申し訳なくなった。


「わかったわかった。そこまで言うなら、僕がガラスの靴を見つけてやらぁ」


 しぶしぶ桃太郎は約束した。

 安請け合いであるが。


「その代わり、シンデレラ。ガラスの靴を見つけたあかつきには、おめえは僕のものなんじゃ」


 正確には、世界征服アマテラス軍の一員じゃけど。


「……そ、それって、プ、プププッ、プロポーズ?」

「あ?」


 なんか変な誤解をされとんな。

 まあ協力してくれさえすりゃあええんじゃ。

 桃太郎はもうどうでもよくなったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る