43 酒場兼、宿屋シルヴァンゴッソ
夕刻に森を抜けたが、辺りはまだ明るい。
カミーユたちが向かっているのは、アルバンの家、というよりアルバンの妻がやっている酒場兼、宿屋『
クラーレ河に架かる橋近くまで来ると、男たちの陽気な声が聞こえてきた。
「わ、すでに盛り上がってますねえ」
カミーユが『シルヴァンゴッソ』に行くのは、これが初めてだ。
食事も取れると聞いたが、足を運ぶ機会がなかった。
探索者ギルドの横にあることから、探索者はもちろん、河のこちら側にある職人街で働く者らがよく利用するらしい。
「今日はけっこう大きな依頼だったろ? こういう時は打ち上げすんだよ」
「特に今日はギルド長の声がけっすからね。今日だけでも思った以上の収穫があったし、ギルドのおごりで酒樽が出てるんじゃないっすか?」
「商業ギルドの依頼だから、そっちからかも知れねえな」
探索者ギルドからでも、商業ギルドからでも、それを決めたのはプリムローズだろう。
「あれ? 細工職人が火属性の魔石を待ってるって聞いたけど」
若手三人が酒樽を提供したのはどこかと話している。
カミーユの脳裏にチラリとパン爺の顔が浮かんだ。パン爺が提供したなら、いい酒が出ているかもしれない。
「ははっ。その三つからかもしれねえぞ? 火魔石の依頼は商業ギルドで、使うのは細工職人だからな。……おう、こりゃ、中の方が落ち着くかもな」
おごり酒を目当てにか、大勢の人が集まっている。
店内に入りきれなかったのだろう。『シルヴァンゴッソ』の前に据えられたテーブルにも人がいっぱいで、その周辺で立ち飲みをしている者も多い。
花の季節になり日脚は伸びたが、夜は冷え込むこともある。店とギルドの前には石が組まれ、暖が取れるように火が焚かれていた。
店から白いエプロンを腰に巻き、両手に大皿を持った女性が出て来た。
大柄でふくよかな女性で、ソーセージと肉が積み上げられた皿を軽々と運んでいる。
「さ、まだ他にも出るけど、足りなければ言っておくれよ? ……あら、おかえり、おまえさん。ちょうどいいところに。帰ってそうそう悪いけれど、中の樽酒を一つ外に出してくれないかい? だいぶ景気がいいらしくって、いくつも来てるんだよ」
「「「やった!」」」
推察はあたったようで、ジャックたちが喜びの声を上げた。
「俺が運ぶっすよ」
「いつも悪いね。ジャック」
女性はジャックに声をかけ、カミーユたちに目を向けた。
「いらっしゃい、フィン先生。それからあなたが噂のカミーユね! まあまあ、噂以上だこと!」
「噂の?」
カミーユが首を傾げた。
「ああ、カミーユ。紹介する。かみさんのペチュニアだ」
「この人からも、街の人からもカミーユのことを聞いていてねえ。会いたかったですよ。よくよくこんな辺境まで来てくだすったねえ。ささ、中へどうぞ。今日は特に騒がしいけれど、中のほうは幾分ましだよ。お腹空いてないかい?」
「はい。お邪魔します。お腹はとっても空いています」
アルバンの妻は親しみやすい笑顔をした、朗らかな女性だった。
『シルヴァンゴッソ』に一歩入れば、火と肉と脂の香りがカミーユの鼻をくすぐり、胃を攻めた。
「ふわあ、いい香り。お腹が鳴りそうです」
「ははは。そりゃあすぐに静めないとね。今、持ってくるからね。たくさん食べていっておくれよ。ささ、奥の方が静かだからね。おまえさん、悪いけど少し運ぶのを手伝っとくれ」
店内にも人は多いが、確かに奥のほうは空いている。
奥に厨房があるようで、ペチュニアとアルバンは足早にそちらへと向かった。
左奥には階段があって、どうやら宿になっている上階へと上がれるようだ。
その階段前の辺りに八人は掛けられそうな大きなテーブルがあり、ベンチには見覚えのある二人が座っている。
「カミーユ、お疲れさんだったね」
一番奥に座っていたプリムローズが手を挙げて、カミーユたちを呼んだ。パン爺の息子、ザカエルも同じテーブルに着いている。
「こんばんは、プリムローズさん。……もしかして樽酒を差し入れました? 皆さん、嬉しそうでしたよ」
カミーユはザカエルと反対側に腰かけながら、いたずらっぽく笑みをこぼした。
「ああ。ギルドからね。あと、チェルナム商会からもね」
ザカエルがにこりと頷いた。
「取ってきていただいた魔石が、例のスプーンにぴったりだったんですよ。父さんが『これでイケる!』と飛び上がって喜びまして。カミーユさんは飲めないでしょうけど、肉も美味しいところを手配してましたから、ぜひ」
パン爺らしい話だが、その本人の姿がない。
「ええと、で、そのパン爺は今日……?」
「ははっ。実は取引先の船が今夜出るんですよ。出来上がったばかりのカフェーロワイヤルのスプーンを持って見せびらかしに行きました。その船が国に戻ってカフェーを積んで戻るんで」
「ああ。これからもっとカフェーを積んでもらわないといけないですもんねえ」
「ええ」
ザカエルだけじゃなく、プリムローズも頷いた。
「カフェーとスプーンをここにも持ってきてもらったんだよ。食後にでも見せようね」
皆に挨拶をしながら来ていたフィンが、カミーユの向かいに腰を下ろした。
そこにアルバンとペチュニアが、木のジョッキや皿を運んでくる。
「あ、これ、もしかして……」
アルバンの皿の上にはジャーキーやピクルス、チーズといった簡単なつまみが並んでいる。
そのチーズに見覚えがあった。
アルバンが頷く。
「ああ。王都のだ。六か月モノ、十八か月モノ、あとこの二つが新作」
「えっ、新作! ……こっちの黒いのは胡椒ですかねえ」
新作は一口で食べられるような小さく丸いもので、真っ白なチーズの周りに挽き胡椒がまぶしてある。
そしてもう一つは、赤いポツポツだ。
「おう。こっちだとビールのアテに辛いのが好まれるんでな。作ってもらった。胡椒と赤辛子入りだ」
「いい店を紹介していただいて、ホントにありがとねえ。チーズは北のがおいしいから。これも胡椒と辛子がガツンと効いて、ふふっ、ビールの売り上げまで上がったのよ」
ペチュニアがニンマリとする。
そのペチュニアが持ってきた皿は、さっき見たのと同じ、肉汁と脂が滴るソーセージと肉の山盛りだ。こんがりと焼かれ、脂でてらてらと光っている。
カミーユはゴクリと唾を飲み込んだ。絶対美味しいヤツだ。
だが、どう考えてもこのメンバーでは食べきれない量がある。
ジャック達は外で仲間と話しているのか合流していないが、この山を崩すには彼らの手助けが必要だ。
カミーユが山盛りの肉をじっと眺めていると、ペチュニアが笑った。
「ここはガッツリ食べたい野郎ども向きの料理ばかりでねえ。でも、肉はチェルナム商会からいいのをいただいたんだよ。野菜も今来るから……」
「あ、いえ、とんでもない。これで十分ですから」
ペチュニアの後ろから声がかかった。
「母さん」
六、七歳ぐらいだろうか。女の子が皿を差し出した。
黒髪と目元はアルバンに、口元と両頬のえくぼはペチュニアにそっくりだ。
「ありがとう、デイジー。……女の子には野菜料理があったほうがいいと思ってねえ」
確かに野菜料理だ。大きさはカミーユの頭ぐらいあるけれど。
黄金色にこんがり焼かれたモコモコ野菜が、丸ごと一株どーんと載っている。
熱々の湯気と一緒に、焦げ目のついたソースのスパイシーな香りが食欲をそそる。
「豪快ですねえ。
「好きなだけ切り分けて食べておくれよ」
だんだんとわかってきた。
すべての料理は探索者基準で、しっかり満足する量が基本らしい。
「ありがとうございます」
話している間に、女の子はフィンに駆け寄っていた。
「うちの看板娘さ。デイジー、カミーユさんに挨拶は?」
ペチュニアに言われたデイジーは、カミーユを見て目を丸くした。
「女神さま?」
「えっ?」
「女神さま?」
カミーユが少女と見つめ合っていると、プリムローズがははっと笑った。
「デイジー、カミーユは女神様じゃないよ。フィン先生のお隣に越してきた調香術師さまだよ」
「フィン先生のおとなりぃ?」
デイジーがフィンを見上げる。
「ああ。ジョルジオ
「どうぞよろしく、デイジー」
カミーユの挨拶に、デイジーは叫んだ。
「フィン先生のお隣なんてずるいっ!」
デイジーはそう言うと、フィンの腕に自分の腕を絡めた。
「えっ?」
「私がフィン先生と結婚するのよ!」
「そうなのね。フィン先生は優しい?」
「とってもよ!」
アルバンが後ろからヒョイっとデイジーを抱き上げた。
「ちょっと前まで父さんと結婚するって言ってたくせによお。その前はずっと母さんと、だったろ? 飴玉一つでフィンに行っちまうんだもんなあ。父さんの期間が短いじゃねえか……」
アルバンがデイジーの頬をムニムニと触りながらこぼす。
「飴玉?」
「お薬をちゃんと飲めたから、フィン先生がくれたの。それだけじゃないよ、父さん。皆、フィン先生はすごいって」
「ホントよねえ。フィン先生のおかげでデイジーも助かったんだもの」
デイジーがペチュニアにうんうんと頷いた。
「顔もいい、腕もいい、食うに困らない。性格だって悪くない。滅多にそんなそろった男いないよ。シルヴァンヴィルでもとっておき、って」
少女には似つかわしくない言葉がデイジーの口から飛び出し、フィンが飲みかけのビールにごふっとむせた。
カミーユはこみ上げる笑いを必死にこらえる。プリムローズたちもさっと顔を背けているから、同じように腹筋を鍛えているだろう。
アルバンはあんぐりと口を開けていたが、一つ咳払いをして尋ねた。
「……誰が言っていたんだ?」
誰だ、そんなことを娘の耳に入れたのは、と言いたそうなしかめっ面だ。
「父さんと港の市に行ったでしょ? 裏の家のお姉さんたち」
「そ、そ! い、い、いつそんなとこに?!」
ペチュニアがゆっくりと顔をひねり、アルバンに視線を流した。
口元は笑んだまま、かわいいえくぼまでできているのに、目は全く笑っていない。
カミーユはペチュニアからそっと目を逸らした。
「あら、アルバン。『父さんと港に行った』んなら、父さんと一緒の時じゃないの?」
「お、お、俺は行ってねえぞ! デイジーと一緒だぞ?! 行ったのは市だけだ! ほら、でっけえ魔魚が揚がったって聞いた時の! デイジーに見せてやろうって。あああ、そうだよ、あん時だ。大物だって、大勢見に来てたからっ!」
アルバンが勢い込んで言い募る。
「揚がったのは魔魚だけかしら?」
「フィンじゃあるまいし、俺には港の姉さんたちを揚げる甲斐性はねえよっ!」
「おい、アルバン! 人聞きが悪いっ! 話に巻き込むなっ!」
フィンがたまらず抗議する。
ペチュニアがクスリと笑った。
「あら、おまえさんだって悪くはないよ。……ま、フィン先生には負けるかもしれないけど?」
「くそう。フィンばっかり……」
「父さん、仕方ないよ。フィン先生はすごいんだもの。ジャックも言ってたわ。『先生、鍛えてる。脱いだらすごかった』って!」
その場がしんとなった。
他のテーブルの楽しそうな騒めきだけが聞こえてくる。
「……ジャックめ」
アルバンがぼそりと呟いた。
脱いだら凄いらしいフィンの方にチラリと目をやれば、テーブルに肘をつき、組んだ手の上に額を付けている。
ショックが大きいようだ。
「カルミアとリリスのお姉ちゃんたちも、そういう人がいいって」
「……そういう人って?」
カミーユは恐る恐る聞いた。
「えっと、脱いだらすごい人? お姉ちゃんたち、結婚相手を募集中なの。でも、フィン先生はあげないのよ」
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