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 デイジーの結婚相手の基準が「脱いだらすごい人」だとわかった時、計ったようなタイミングでジャックたちがジョッキを片手に姿を見せた。

 プハッと噴き出したのは誰だっただろう。

 その音で我に返ったアルバンが、ジャックを睨みつけた。


「おまえっ、なんてことをデイジーにっ!」

「えええええっ! お、俺?! 何がっすか!」


 来たばかりでなんのことかわからないジャックたちに、アルバンが低い声でボソボソと説明している。

 なんとなくそれを見ていたカミーユの目の前に、皿がそっと差し出された。

 ペチュニアが取り分けてくれたらしいが、「一人前」はやっぱり探索者基準だ。


「さ、あっちはなかなか終わらないだろうから、ほって置こうね。さ、食べて、食べて。どんどん追加が来るからね」


 追加はジャックたちの分だろう。

 見れば、プリムローズたちはとっくに食べているし、フィンの前にも皿が置かれている。

 ぼんやりとしていたのはカミーユだけだったらしい。


「ほら、火トカゲ討伐で汗だくになった時っすよ。泉に飛び込んで」

「葉の季節のか!」


 火トカゲに気をとられ、カミーユはジャックたちに視線をやった。

 追加で料理が来るというのだから、ジャックたちの分だろう。一体どれだけ食べるというのか。

 ローザハウスでも男性は量を食べていたが、肉はせいぜい丘ぐらいで山にはなっていなかった。

 火トカゲがどれほど大きいのかわからないが、それはドラゴンとは違うのだろうか。ドラゴンと戦うなら体力がいる。山ほどの肉も納得だ。

 そんなことを考えているうちに、話は進む。


「皆で話したじゃないっすか。フィン先生は俺たちと違って、偏りのないいい筋肉だって」

「ああっ、あれか!」

「どういう鍛錬をすればああなれるかって言ってたやつですね」


 そんなに違うだろうか。

 アルバンたちとフィンを盗み見るが、筋肉評論家でも愛好家でもないカミーユにはよくわからない。

 フィンの方がスラリと見えるだろうか。それを偏りがないと言えなくもない。

 やっぱり脱いでもらわないと、そのすごさがわからないのだろうか。

 

「おう。俺の肩と全然違うもんなあ」


 バートが首をコキコキと曲げて自分の肩や腕を叩くと、そこへジャックが手を伸ばし、むにっとつまんだ。

 

「皆で触って、盛り上がったっすよね。俺だけじゃないっすよ!」

「……皆で触る」


 思わず声が出てしまった。


「筋肉は触り合いをするものなんですね?」


 それならカミーユにわからなくても仕方がない。


 立ったままの男たちにフィンが声をかけた。


「……私の筋肉はどうでもよい。そんなに気になるなら、自分の筋肉のためにもさっさと座って食べたらどうだ?」


 フィンにしては雑に、顎でしゃくってテーブルを示す。

 男たちはハッとして気まずそうな顔をすると、ガタガタとテーブルについた。


「ははっ。そうそう、しっかり食べないと筋肉なんて育たないよ」


 戻って来たペチュニアが、カミーユの前にスープ皿とゴブレットを置いてくれる。スープには野菜が浮いている。カミーユは喜んでスプーンを握った。ゴブレットはピンク色で、何かの果汁に見える。

 

「お前の料理を食べて二十年の俺は、いい筋肉ってことだな。な、デイジー、父さんだって脱いだらすごいんだ」


 アルバンがいい笑顔でデイジーに向かって胸を張り、筋肉の話は脇に置かれた。


 


 

 先に満腹したカミーユは、カフェーカップの縁に渡されたスプーンを見つめた。

 柄の元部分には、ぼんやりと赤い火の魔石が埋まっている。そこには魔石分の厚みがあるが、柄尻に向かって薄く、細くなっている。スプーンのくぼんだツボの部分は、小さな砂糖の欠片を置き蒸留酒を注げる深さがあった。 

 まさにカフェーロワイヤル専用スプーンだ。

 丁寧な装飾も施されていて、最初から貴族や富裕層を顧客と考えて作られているのだろう。


「そろそろだね」


 プリムローズが火の魔術具をくるりと回すようにして、蒸留酒に火を点けた。

 魔石のおかげで蒸留酒は十分に温まっていたのだろう、簡単に青い炎が上がる。


「あっ!」

「おう。こりゃあ綺麗なもんだ」

「すげえなあ」

「これに使うんですね」


 プリムローズとザカエルはすでに完成品を見ていただろうが、アルバンたちはカフェーロワイヤルも初めてだ。

 他の探索者たちもテーブルの周囲に立ち、火に包まれた砂糖が形を崩すのを見ている。


「それにしても、マルモッタの魔石、こんな小さいとは思いませんでした。割ったわけではないですよね?」


 スプーンの柄元にあっても全く気にならない。なんなら綺麗なアクセントだ。


「だろう? 普通ならめんどくさくて、誰も集めようとは思わねえよ」

「カミーユ、マルモッタの魔石はどこから取れると思う?」


 フィンが聞いた。


「え、体の中心、心臓の辺りじゃないんですか?」

「マルモッタは違うんだ。両手の指の先、長い爪の根本に埋まっている」

「ああ、焼くならそれが効率的ってことですね。あ、だから魔石も小さくていいんだ」

「あのちっこい身体に大きな魔力はねえからな。魔石もちっこい。でもそれをうまく使ってるよなあ」


 炎が消えたスプーンを、プリムローズはカフェーに沈めた。


「でね、使い終わったら、この柄の先を軽く押して熱を止めるんだ」


 そういうとプリムローズは、カフェーロワイヤルとスプーンを、カミーユの前に滑らせた。


「よくできてる! これなら手軽に楽しめますね」

「ああ、これから数日に一度、探索者にはマルモッタ狩りを続けてもらうよ」


 プリムローズが声を落として囁いた。


「辺境伯様にも、先にカフェーロワイヤルを紹介したんだよ。そしたら気に入られてね。周囲の方にも紹介されたらしくて、注文がたくさん届いてるんだよ」


 カミーユを見てクスリと笑った。


「じゃあ、私も狩りですね」

「いや、カミーユはもういいよ。寄せ香が効くのがわかったしね」

「おう。効き過ぎるほどな」


 アルバンも頷いた。


「あ……」

「どうした?」


 微妙な顔をしたカミーユに、フィンが聞いた。


「ええと、また森に行きたいかなー、なんて」

「ああ。今日採集してきたのを試した結果で、探索者に依頼を出すこともできるんじゃないか?」

「んー、それもあるんですけど。まあ、うん……」


 歯切れの悪いカミーユに、プリムローズが尋ねた。


「他にもあるのかい? 急ぎなら、依頼をかけるよ?」

「ええと、欲しいものはいっぱいあるんですけど。この森にいるのかもわからないですし。まあ、なくても……」

「どんな原料だい? 花ならちょうどこれからが季節だし」


 カミーユがアルバンたち探索者とフィンに身体を向けた。


「ええと、小型の鹿みたいな動物なんですけど、角はないんです。牙があったかも。他には、背に点々のついた細長い狸みたいなやつ。もしかしたら薬の原料になってるかも」

「魔物、いや、獣なのかい⁉」

「聞いたことはないが、薬にもなるのか?」

「獣っくせえ香水だろ、それじゃ。あ、それも魔獣寄せか?」


 皆が口々に言い立てる。


「違いますよ! まあ、採取したばかりは臭いだけかもしれないですけど、加工すればいい香りになるんです。成獣のオス、そのお腹、後ろ脚の付け根あたりに香嚢っていう、丸くってふかふかの袋があるんです。それを切って、中身を取り出して、乾燥させて使うんです」

「そ、そうか」

「足の付け根……」

「ふかふかの袋……?」


 探索者たちが微妙な顔をし、モゾリと動いた。


「成獣のオスは、メスを誘うためにそこから強い香りを出すんですよ。お尻を木にこすりつけて縄張りを示したり」

「それがいい香りなのか? 森で強くていい香りがしたら、誘われているんだ。まず逃げることを考えるな」

「それはどういう薬に?」


 フィンはやはり薬が気になるらしい。


「まあ言ってみればオスのフェロモンですからね。興奮剤とか、強心剤とか、強精剤とか……? 男性向けですよね。たぶん」

「ほう」

「見たことあるか?」

「ないっす」

「効くのか?」

「それはかなり売れそうな……」

「ここになくとも、他国で探せばあるかもしれませんね?」


 フィンと探索者たちだけではなく、プリムローズとザカエルも気になるらしい。


「まあ、見つかったら幸運ってとこです。甘くて、パウダリー。それでいて官能的だったり、深みと重厚さを与えるいい香料になるんですよ」

「そうかい。じゃあ、これは依頼とまではいかなくても、気に留めておくってとこかね」


 フィンがふうっと息をついた。


「香料といってもいろいろあるのだな。動物性は考えていなかった」

「そうですね。まあ、ほとんどは草花や果実で、これからも集めやすいですけど。海藻も取ったし、今日、枝と樹液を採ったし、あとはもう少し木の種類を増やしたいかなあ……」


 泉の周辺ではすっきりとした香りを出す針葉樹が多かったのだ。

 もう少し温もりのある香りが欲しい。


「うーん、森の外周であればいいがよう。他の場所はカミーユが行くには難しいかもなあ」

「そうっすね。といって、俺らじゃあ香りがわかりませんし」

「あ、いえ、目星は付いてるんですよ。でも、さすがに今日は言い難くて」

「えっ! 水臭いっすよ。言ってくれれば採集したのに」

「そうですよ。あ、次に行く時に取ってきますよ」


 ジャックもフィンも採集してくると言う。


「あー、えーっと……」

「なんでえ。いいぞ。どうせ泉に行くついでなんだから」

「ええと、うーん、さすがに今日会ったばかりでどうかと……」


 カミーユが言い淀んだ。


「「え?」」


 それから、少し恥ずかしそうにボソリと言った。


「アーチーの腕なんです」

「「「「「は?」」」」」


 数名の探索者の声が揃った。


「だから、アーチーの腕、というか枝なんです」


 アーチーが枝を口元に当てた時にわかったのだ。


「ちょっとスモーキーで温かい、素敵な香りだったんです。でも、さすがに今日会ったばかりのアーチーに、腕をくれとは言えないでしょう?」


 今わかった。言い難かったのはジャックたちに遠慮したのではなかった。カミーユはアーチーに遠慮したのだ。

 一瞬で静まったその場に、アルバンの声が響いた。


「お、お前、かわいい顔して、えげつないな……」


 周囲の者は心の中で頷く。


「顔は関係ないでしょう? それに言ってません! 自重したんですから!」


 香りを追い求めるのは、調香術師のさがだ。

 自重したのだ。ほめられてもいいぐらいだ。


「自重、なあ」


 今日あったばかりでなかったら、言い出していたのだろうか。

 アルバンは顎を擦る。しばらくアーチーの腕に気を付けることになりそうだ。


 それからしばらくして、探索者たちの間では、調香術師には気を付けろ、と密かに囁かれていたという。

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