42 アーチー

 カミーユはハッとして、慌てて立ち上がった。


「そうだった。お腹いっぱいでのんびり、じゃなかった」

「おう。うなり草を見つけたら手伝えるから、先に欲しいもんを見ておけよ」

「この泉を中心に、明るく見えている辺りまではカミーユ一人で大丈夫だ。その外に出たいなら、気になる木があっても皆を待つように」


 アルバンはぐるりと指差し、フィンは注意を残して、共にジャックたちを手伝いに向かった。

 泉の周囲は草で覆われ、やわらかな緑が続いている。木も小島に生えた一本だけだ。空から見れば、森に丸く開いた穴のようだろう。

 その草地の向こうに森が続くのだが、湖に近い木々はぼんやりと明るい。


「光の結界って感じかな? 光属性すっごい。やっぱ泉の水をもらって帰るべき?」

 

 美肌の水の採取は最後にしようと決め、カミーユはまず一番近い木へ向かった。



 

 とにかく片っ端から香りを確かめるしか方法がない。

 頼りになるのは自分の鼻と、ぼんやりとした記憶だけだ。

 香料の原料となる植物の授業もあったのだが、草花や果実に偏っていた。もっと言えば、ローザの異なる品種に時間が割かれていた。

 樹木類が少なかったのは、香料となるような樹木が近隣に生えていなかったのか、香料として考えられなかったのかはわからない。女神様に花をいただいたってところで、他を追求しなかったのかもしれない。

 

「ふふん、つまり私が先駆けとなれるってことだよね。売れるといいなあ。……その前に原料が見つかるといいけど」


 カミーユはキョロキョロと辺りを見回した。

 樹木からとれる香料も、幹、根、樹皮、枝葉、樹脂、と様々だ。


「問題は香料は覚えてるけど、樹木の形まではうろ覚えだなあ。この辺はサイプレス系とシダーウッド系の木が多そうだけど」

 

 香料でよく使われる爽やかでフレッシュなサイプレスはヒノキ科で、シダーウッドはマツ科だ。

 どちらも葉がツンツンと尖った見た目をしている。


 カミーユは苦笑して、とりあえず近くにあるシダーウッドに似た木に近づくと、背伸びをして葉先を掴んだ。松ぼっくりが付いているからマツ科のはずだ。

 指でこすれば、すっきりと青々しい、透明感のある香りが立ち上がる。

 

「うん。何の木かはわからないけど、使えそう。あとはもっとドライなのと、とりあえず根っこは掘り返せないし、樹脂が見つかるといいけど。あ、あっちは葉が丸いっ」


 カミーユは枝にリボンを巻き付けると、速足で木から木へと歩き始めた。




 しゃがんで倒木に生えた苔を麻袋に詰め込んでいると、マントのフードがツンッと後ろに引っ張られた。


「うあ」


 尻もちをついたが、ハッと気づけば結界との境を越えようとしている。

 夢中になって、注意がおろそかになってしまったらしい。


「すみません。ありがと……」


 そのまま後ろを振り仰いだが、誰もいない。


「あ、なんだ」


 フードが枝に引っかかったらしい。

 外そうと手を伸ばしたカミーユの目の前で、枝が動いた。

 カミーユが触る前に、大風でもないのに枝が動いている。

 


 カミーユの目が驚愕に見開いた。


「ひっ。ふっ。……うひゃあああああああっ! うえっ。げほっ。うえっ」


 お腹の底から声が出て、辺りに響いた。

 木はフードを掴んでいた枝を腕のように伸ばして、カミーユの口に当てると、もう一本の枝をまるでそこに自身の耳があるかのように幹に当てた。


「ふえっ」


 木がヒトだ。ヒトのような木だ。何かわからないけど、自ら意思を持ち動いている。

 採集していた麻袋を投げつけ、尻もちをついたままズリズリと木から距離を取った。

 

「カミーユ、どうしたっ!」

「どこだっ!」


 フィンたちの呼ぶ声が聞こえてくる。


「こ、こ、こ、こっち! た、助けてっ!」


 バタバタと足音がして、近くまで来ると立ち止まった。


「アーチー、珍しいな」

「なんだ。アーチーか」

「アーチー、久しぶりですね」


 どうやらこの木はアーチーという名前まで付いているらしい。

 アルバンは親し気に、ポンッと木を叩いている。


名前付きネームド? でも、危ない魔木ではないんですね……?」


 フィンが尻もちをついたままのカミーユに手を差し伸べた。


「アーチーといって、危険はない。どちらかというと、この地を守っている存在だ」 


 立ち上がってアーチーの方を見れば、アーチーは心もち背すじを伸ばし、右手、いや右枝を胸の前に持って来て、ゆらりと揺れた。

 挨拶をしているらしい。礼儀正しい魔木だ。


「あの、叫んでごめんなさい。カミーユと言います」


 カミーユも頭を下げた。


「まさか今日会えるとは思ってなかったもんなあ。いつも出てくるとは限らねえんだよ」

「あ、私がぼうっとして結界の外に出そうになったのを引っ張ってくれて」

「ああっ? 危ねえじゃねえか」

「それでか」


 フィンがため息を吐いた。

 注意されたのに、結果的に出そうになったのだから当然だろう。


「アーチー、それもお礼を言ってませんでした。引き留めてくださってありがとう」


 ひょろりと背の高いアーチーを見上げてお礼を言う。

 アーチーは、いいよ、と言うように枝を揺らし、足元、いや根っこの側に落ちていた麻袋を拾い上げて渡してくれる。


「あ、投げつけちゃって……」


 アーチーに申し訳ない気持ちがどんどんと募ってきた。

 助けてもらったのに、叫んで、怖がって、投げつけて。それなのにアーチーは優しい。

 袋からこぼれ落ちた苔を、アーチーの枝がひょいと拾い上げた。


「木だけではなく、そんなのも持って帰るのか? それも香料に?」


 苔を見てフィンが聞いた。


「ええ。重厚で、しっとりと湿った森のような、渋くて味のある香りになると思うんですよ」


 厳密には違うだろうが、オークモスのような香料になったらいいと思う。


「フィンさんにも、いやフィンさんはもうすこしスモーキーで甘めがいいかな。これはアルバンさんとか、似合いそう」


 アルバンが目を見開いた。


「俺? 香りなんて付けねえぞ? 俺が貴族の御婦人みたいな香りさせてたら、変じゃねえか。教会で付くぐらいだよなあ」

「教会も花祀りとか、機会がある時だけっすよね」


 パン爺と一緒だ。香りを纏うなんて、考えたこともないのだろう。


「だからですよ。花くさくない、アルバンさんみたいなシルヴァンゴッソ森の男に似合うのを作りますから。男っぷりが上がって、モテモテになるようなヤツを。そのために採集に来たんです」

「おおう?」


 アルバンが目をパチパチと瞬いた。


「男っぷり!」

「モテモテ?」

「似合うでしょうか!」


 ジャックたちが身を乗り出す。


「もちろん。ジャックさんたちにはもっと軽やかで、清涼感があるタイプとか……?」

「「「おおおっ!」」」

「採集お願いします」

「「「もちろん!」」」


 三人の声がそろった。


「ところで、うなり草は見つかったんですか?」

「ああ。……これだ」


 フィンが取りだして見せてくれた瓶には、ヒヤシンスのように花弁が反り返った、灰紫色の花が十数個入っていた。いくつかは蕾のままだ。


「へええ。こんなにかわいい花なんですね? 闇属性には見えない可憐さというか、これがあんな風にしゃべったり、唸ったりっていうのは想像できませんね。魔草に見えません」

「いや、ここ以外のはこんなかわいらしいもんじゃねえよ」

「花ももっと大きくて、香りで誘い込んで、小さな魔獣なら簡単に飲み込むっすよ」

「色も森にあるのはもっと濃く、黒に近いんです」

「な。でも、ここのも俺には全くかわいらしくは見えねえけどな。うるせえしよ」


 探索者たちが口々に言い募る。

 どうやら皆、この花にうんざりしているように思う。


「森では唸りが聞こえたら、すぐ逃げる、ですね? あ、ちょっと香りを確認させてください。誘い込むぐらい強いんですよね?」


 言いながらカミーユは、栓に手をかけた。


「あ、待て!」

「だめっす」

「うわっ」


 ジャックたちが慌てて止めるが、栓はスポッと抜けた。


『クッソ。ミツカラネエ』

『ダマレ オマエラ ウルセエ』

『フミツブスゾ』

『クッソ クッソ クッソ』

『ダマレ ダマレ ダマレ』

『フミツブス フミツブス フミツブス』

『ダマレ ウルセエ フミツブス』

『クッソ オマエ』

『ウルセエ。ウルセエ。ウルセエ オマエ』


 ぐあんぐあんと、うなり草の声が重なり辺りに響いた。

 最初はジャックたちの声を拾ったのだろうが、そのまま瓶の中で罵りあい、空気が震えるほどの音量で延々と続いている。

 アーチーが、呆然と聞いているカミーユの手の上に自分の腕を伸ばして瓶の口を塞いだ。

 フィンもカミーユから栓を奪うと、キュッと瓶にねじ込む。

 美しいこの泉に相応しい、静寂が戻って来た。


「……香りは瑞々しく、誘い込むにふさわしい麗しさでしたけど、香りと全く合わない音でしたね。全然可憐じゃなかった!」

「そうなんっすよ!」


 探索者たちは頷き、アーチーもそうだと言うように腕をわさわさと振る。


 可憐な見た目でもかわいくない、うなり草。

 ネームドでも優しい魔木、アーチー。

 想像もしていなかったアルタシルヴァの生物に、カミーユは怖いながらもワクワクとした気持ちを抑えられなかった。

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