偽遊女作戦、開始

 遊女たちは、みながみな妓楼に住まっているわけではない。遊郭は密集地帯ということもあり、規模の小さい店では全従業員は入りきらないということもあって、色町の外に住まいを持つ遊女も、少なくはなかった。

 その場合、彼女たちの居住区は、おおむね東と南のほうということになっている。

 それには理由がある。少なくない数の遊女が、借金などを背負い、年季契約というかたちで妓楼と雇用契約を結んでいるが、そのあいだは、自由な島の出入りを許されてはいないからだ。大陸と繋ぐ二つの橋は北と西にあり、遊女たちを遠ざけるために、居住区が反対側に作られているとのことだった。


 さて、そうした情報を踏まえて、肝心なのは幽霊左近の出没地帯だ。

 幽霊左近は、夜半遊郭のあらゆる場所で遊女を斬ってきたが、それでも、これまでの被害者の発見場所をまとめると、多少は傾向がみえてくる。

 ひとつは、色町のなかで、比較的に人通りが少ない場所。

 もうひとつは、色町から南へと抜けていく道だ。

 ゆえに、お玉とユンファは、それぞれ装いが微妙に違った。お玉のほうは、かっちりと全身を装備した振袖姿であり、まさしく色町のなかを闊歩するに自然な服装だ。

 対して、ユンファのほうは、もっと着崩している。お玉よりもグレードの下がる着物、色打掛を着て、足をけがしてしまったから、仕事を早退し、家に帰って療養する必要がある人間を装っていた。


 チーム分けは、シンとユンファ、シルヴィとお玉ということになっていた。

 今、ユンファは懸命に杖を突きながら、霧の出る道を進んでいる。

 それよりも少し離れた場所で、シンは彼女を見張っていた。もともと、こういう隠密任務は得意だった。幽霊左近はおろか、尾行を知っているユンファでさえも、シンがどこにいるのかは、正確にはわからないはずだった。


(これは、あまり望みのある作戦ではない……)


 そう、シンは思っていた。たしかに幽霊左近が動くための条件はととのっているが、それでも、この島は広大だ。犯人の活動域もそのぶん広く、遭遇できる確率は高くないだろう。

 それでも、茶屋でただ手をこまねいて待つよりは、ずっとましなはずだった。


「ひぇ、ひぇぇ」


 夜道がこわいのか、ユンファはそんな不自然な声を出しながら進行していた。いや、演技ではないのだから自然なのかもしれないが、いずれにせよ変人ではある。

 幽霊左近が、ああいう奇妙な女もターゲットにしてくれればよいが……

 シンがそう思った矢先。

 ざっ、と地面を擦る音がして、ユンファの前に、人影が立った。

 ちゃきりと音がしたのは、相手が刃を抜いたからだった。





 ときはさかのぼり、その前日のことである。


 その店のソファは、赤く濡れていた。

 壁に飛び散っているのは、まるで一の字を書いたかのような血しぶきだ。

 剣の達人が斬れば、太刀筋は骨を穿ってもなお直線を保ち、ゆえに傷口にもうつくしい真一文字が彫り残されて、結果、刀身から跳ぶ血液も、またそうなるという理屈だった。

 安物の生地のうえに腰を下ろして、男は、刀の鍔に触れてちゃきちゃきと音を鳴らしていた。赤銅の、ざらざらとした感触が昔から好きで、それは無意識の癖だった。


「ひ、ひぅっ……」


 もう片方の手では、ひとりの男の首根っこを掴んでいる。

 そうしながら、彼――敷善切定ふぜんきりさだは、思考をやめることはなかった。さきほどから、ずっと考えをめぐらせている。だが、あまり得意なたぐいの思考ではなかった。

 兜を模したマスクのなかで、フーと息をつく。インジェクターを解除し忘れていたから、めんどうそうに手をまわし、スイッチを押した。

 周囲を漂っていた朱色の粒子が、はたと消える。そのタイミングで、切定は口を開いた。


「お前、もういちど聞くぜ。なぜ、連盟がこの俺を追っている。言ってみろ」


 生来、軽々とした語り口の切定だったが、そのときばかりは、いささか深刻な声色を宿らせていた。


「そ、それは、お前が、粛清対象だからだっ……」

「てめぇ、阿呆か? んなことはわかっている。俺が聞いてんのは、なぜ俺が粛清対象になったか、って話だ」

「じ、自分、ねに、き……」


 首を絞めすぎたようだ。相手がまともに言葉を発せなくなったとみて、切定はぱっと手を離した。げほげほと濃い咳をして、支部の職員がマスク越しに顔を上げた。


「じ、自分の胸に、聞くといい。これまで、お前は何人殺してきたんだ」

「覚えているわけねぇだろ、たこが。少なくとも、きょうで五人は足されたが」


 周囲にはいくつもの斬殺死体がある。

 連盟職員が二名と、背に「翔威」と漢字で書かれた半纏を着る男たちが三名。

 それと、切定は忘れていたが、カウンターの影の向こうには、さらに二名、この店の従業員が死んでいた。

 この部屋の内装は、遊郭流ではなかった。どちらかといえば本土流であり、紺色を基調とした、落ち着きのある飲み屋といえた。

 十二番街のやくざ〈翔威組〉が所有する、色町の地下にある店舗である。


「連盟員の癖に知らねぇようだから、教えてやる。てめぇら支部の捜査状況は、ある程度、俺たちのほうにも知れているもんだ。少なくとも〝鏡斬きょうぎり〟が、今はどこのどういうやくざもんを気にしているのか、そうしたでかい見取り図は、こっちも把握できるようになっている」


 だからこそ、と切定はつぶやくように続けた。


「今このタイミングで、この俺に火急の探りを入れるってのが、わからねぇ。俺ぁ、お前らにとって毒じゃねぇ。そうだろうが? 俺は、組を持たねえ。堅気を食いもんにしないっちゃあ嘘になるが、組織で動いている連中に比べりゃ、微々たる影響力だ。そして、こうして三下どもの組を、時おり脅しつけては黙らせている……」


 そう語りながら、切定は自分の考えに誤りがないかをたしかめた。

 ないように思えた。支部がわざわざ力を入れて調査するメリットを勘案したとき、やはり、なにか自分の知らないテコ入れがあったと考えたほうが、自然であるように思えた。

 いずれにせよ、すぐに連盟側の動きに気づけたのは零幸いだったといえる。

 ほうぼうに金をばらまいておいたのは、やはり間違いではなかったようだ。

 有名なバザールである世界商店のなかにある呉服屋(古くからある情報屋だ)や、ここの翔威組のような、赤町奉行憎しのあまり、むしろ支部と仲良くしようとするようなやくざどもによく気をつけて、連盟支部がいざ敷善切定を調べようとしているときには、すぐに網に引っかかるようにしていた。

 しかし、こうして現場に乗りこんで捕まえたまではいいが、まさか職員のほうも詳しい事情を知らないとは思わなかった。


(こいつらを使う粛清官の勘がいいか。あるいは、なにか俺の預かり知らねえ事情があるか……)


 もっとも、思い当たらぬところが、ないではなかった。

 むしろ逆だ。自分には、支部に狙われて然るべき罪がある。

 問題は、連中がそれに勘づいてしまったかどうかだ。

 ともあれ、状況はよくなかった。

 この十年で切定が学んだことは、どれだけ腕に自信があろうとも、触らぬ神には祟りがないということだ。

 縄に近づかなければ、縛られることもない。その縄が連盟であれば、なおのことだった。

 すでに自分が粛清対象に挙げられているとすれば、採れる選択肢はかぎられている。

 切定は立ち上がった。

 上背はそこそこといったところだが、その物腰は、野良の武士として生きてきただけでは手に入らない、伝統の剣技を学んだ者だけが持つ風格だった。


「ひっ」


 兜の面越し、まだ生きている職員に目線をやる。

 こいつらを斬ったのは早計だったか。こちらは殺すつもりはなかったが、翔威組の連中が逆上して銃を抜いたのが悪かったのだ。

 いや、それももはや関係ないだろうか。どのみち黒手帳に載ってしまったのならば、この程度の犯行は些事にすぎない。

 肝心なのは、これからの行動だ。


「……へ」


 たしかに、状況はよくない。それでも、切定は悲観していなかった。たとえ自分の命運であろうとも、なにかを悲観するような性格は、元来持ち合わせていなかった。

 偉大都市は広く、いくらでも逃げ道はある。

 連中を動かしていた粛清官の名は聞いていた。

 ダメでもともとで、切定はそちらにも手を打つことにした。

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