俺はただ真似をしただけだが?

 道場の三方の壁に、ずらりと見物人たちが並んだ。

 固く正座する彼らは、全員がマスクをはずし、中央に立つふたりに、熱線と見まがうほどのまなざしを注いでいる。


 片方は、威圧で殺さんとでも言わんばかりに眼光鋭い、坊主の男。

 名は、仙道とだけ教えられていた。当代の燈火流の最高師範によって免許皆伝を認められた、師範代理である。


 もう片方は、小柄な黒衣の剣士だった。

 こちらは、名乗りすらろくに挙げていない。

 ただ、泣く子も黙る粛清官であるという事実だけを明かしたあとは、借りた木刀を掌のうえで遊ばせて、試合が開始するのを待っていた。


「警告する、粛清官。模擬刀でも、本気で打てばひとは死ぬ」

「? なにを当たり前のことを言っているんだ?」

「そうではない。これが正式な試合である以上、もし命を落としたとて、双方の同意のものとみなす。大市法の違反とはならぬぞ」

「だから、なにを当たり前のことを言っているんだ、お前は」


 シンはあきれると、気になっていたことをたずねた。


「それよりも、ほんとうに木刀でいいのか?」

「どういう意味だ」

「お前は真剣を使っても、俺は一向にかまわない。あるいは、俺はべつに素手でもいい。とにかく、お前が勝敗に納得するようにやってくれ。あとから文句を言われるのは困るから」


 フーと、仙道は長く息を吐いた。

 再三の侮りを受けて、からだに蓄積した怒りを追い払っているようだった。


「覚えておくべき決まりは、ほとんどない。純粋な武道のぶつかりあいである以上、インジェクターの使用は禁じられているが、それだけだ。わかっているな」

「ああ、それでいい。あとは、俺が勝てば情報をもらう。俺が負ければ……まあ、なんでもいい、好きなことを要求しろ。それさえ呑めるなら、こちらはかまわない」


 仙道が、ゆっくりとうなずいた。

「――では」

 緊張した声色の門下生が、ふたりのあいだに立った。

「試合、開始――!」


 合図があっても、意外にも、すぐに動きはなかった。

 仙道は木刀を真一文字に構えて、シンをにらみつけている。


「……粛清官とは、生まれ持った砂塵能力を鼻にかけ、それによって戦う連中なのだろう」

「そうなのか? だとすれば、俺の知っている粛清官とは違うな」

「ほざけ。この状況で、燈火流にかなう者があるものか。その口が吐いた侮蔑の数々、後悔させてやる」


 その言葉が、契機だった。

 喝をともない、特筆すべき突進を、仙道はみせた。

 対して、木刀を構えていなかったシンにできるのは、後退だけだった。ぎりぎりのところで見切った切っ先は、胴に触れたか、触れなかったか。

 いずれにせよ、まともな命中はしていない。

 一打目が容易に回避されたことに、相手は当惑を覚えたようだった。だがそれも束の間、こんどは休みを入れず、連続で模擬刀を振るってきた。

 相手がいよいよ困惑したのは、それから十数秒後のことだった。

 攻撃が、あたらない。それどころか、反撃すらしてこない。

 シンはひょいひょいと避けながら、それでいて相手の太刀筋をよく観察するばかりで、勝負を決めようとはしなかった。


「貴様、なんのつもりかっ」

「どういう剣なのか、よくみているつもりだ。奥義とやらは使わないのか?」


 その発言に、仙道はいちど、その身を止めた。

 怒りが最高潮に達したのか、声を震わせながら言った。


「……よかろう。では、こんどこそしかと武具を構えよ。でなければ――」


 ずわりと、師範代はさらに一歩、道場を踏み抜こうとでもするかのように大足を地に鳴らし、見守る門下生たちのだれも目に捉えられぬ速度で、袈裟斬りを放った。

 そこまでは、これまでの攻撃とかわない。

 違うのは、その直後の動作だった。


「――驕りのうちに、去ねィッ」


 仙道がくるりと柄を翻した。刃が、返る。一刃目が相手を斬ろうが斬るまいが、その結果を問わず、燈火流は二度斬る。

 燈火流奥義がひとつ、二の戻し。

 たゆまぬ修練の果てに得た必殺のふた振りめが、今度こそ黒犬の粛清官を地に伏せさせる、




 はずだった。

「……。」

 たらりと、仙道は冷や汗を垂らした。

 なにが起きたのか、仙道も含めて、ほとんどだれも理解していない。わかっていたとしたら、終始あきれた様子で観戦するシルヴィだけだった。

 ふたりは、交差していた。

 いつのまにやら、相手の側面まで潜りこんでいたシンは、振り抜いたあとの木刀の、その柄の根元に、ちょこんと指先一本だけを押し当てていた。

 けして、相手のからだそのものには触れていない。


「なるほど。それが例の、袈裟からの逆袈裟か。……意味があるのか、それは」


 唖然とする一同の視線を気にも留めず、シンは感慨のない機械音声を流した。


「まあ、ないではないか。ふた振りめまでを型に入れれば、そのぶんだけ命中の可能性は高まる。剣の感触は、特殊だ。実際に振り終えるまでは、案外と結果は知覚しづらいからな」

「……貴様」

「もういちど来い」


 左手に下ろしていた木刀を、こんどこそシンが構えた。

 解放されたとみて、仙道が跳びあがるようにして距離を取った。

 その目は、動揺に溢れている。今の一瞬で、彼我の実力差を悟ったのだろう。それでも師範代の誇りがあるか、闘志そのものをうしなうことはなかった。

 喝というよりは叫び声をあげて、仙道はふたたび剣を振るった。

 応えたのは、シンの木刀だった。ようやくの剣戟は、しかし、二合三合と続くことはなかった。その細腕が、信じられぬほどの力を放ち、あっけなく仙道の武器をはねのけた。


「ッッ」


 間髪入れずに振るわれたシンの斬りこみを、仙道はどうにか避けた。それはシンの経験からしても、悪くない反射神経と、悪くない下半身のバネといえた。

 だが、次の行動に活かせるような動きとは言えなかった。

 その証拠に、仙道は、木刀を構え直す暇さえもなかった。

 次の瞬間、彼は瞠目した。

 よけたはずの剣――振るわれた剣が、翻ったからだ。

 それは、先ほど仙道がみせた燈火流の教えと、寸分たがわぬ剣捌き。


「こんな動きであっていたか」


 ぴたりと、道着越しの仙道の腹部に、針さえも通せぬほどの隙間だけを空けて、シンは決定打を寸止めしていた。


「な……な」


 滝のような汗が伝い、仙道の顎から滴った。

 一方、技を盗んだ当の本人は構えを解くと、ふしぎそうに周囲を見渡した。


「どうした。勝負あり、とアナウンスはしないのか」


 審判の門下生は、うろたえるばかりで、なにも口にはしなかった。

 困ったシンが目線を向けると、彼らの作法に従って土足を脱いでいたシルヴィが、額に手を当てて、やれやれと頭を振っているところだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る