第26話 軽率に同情なんかするなよ

「クラスに戻るなら一緒に行っていいかな」

 わたしたちが講堂を出て自分たちのクラスに向かおうとすると、背後からウォルター様が声をかけてきた。

 わたしはまたアリシアの背中に隠れつつ、軽く頭を下げる。できれば別々に……どうすれば『上手に』断れるか……なんて逡巡しているうちに、ウォルター様が気遣うように口を開いた。

「また、Sクラスの連中が君を見てる。気に入らないよね」

 そう言いながら、僅かに不快そうに眉根を寄せた彼に意外性を感じて、わたしはちょっとだけ固まってしまったけれど、ハッと我に返って視線を動かすと――いた。厳しい表情のエリス様がわたしをじっと見つめていて、近くにいたウィルフレッド殿下が何か話しかけているのが解る。きっとまた、殿下に注意を受けているんだとは思うけど……。

「しつこい」

 ぽろっとわたしの口から本音が飛び出てしまった。正直すぎる自分の口が恨めしいが、ウォルター様が笑ってくれたからまあ良しとしよう。

「わたしたちが一緒に教室に行くので」

 と、そこでアリシアが自分の背後に隠れるわたしを気遣って口を開いたが、ミランダが冗談めかした様子で遮る。

「待って待って。女の子だけだから、相手も声をかけやすいんじゃないかしらぁ。こういう時に必要なのは信用できる男手ってやつよ。教室までの短い距離なら、お願いしてもいいんじゃない?」


 で、その結果。


 わたしたちはウォルター様の後ろに続いて廊下を歩いているというわけだ。


 推しの背中を見ながら、わたしは――。


「君を守りたいと思ってるんだ」

 先に、ウォルター様が口を開いた。少しだけ、気まずそうな響きがあったのは、一緒に歩くアリシアとミランダを気にしているかららしい。僅かに振り向いて見せた彼は、困ったように笑いながら続ける。

「その、こういう話は二人きりで話したかったんだけど、どうやっても無理そうだし。僕も恥ずかしいことを言ってると解ってる。でも、言わないと伝わらないし、あのSクラスの誰かに――婚約とか申し込まれたら大変だし」

「婚約」

 わたしはぶるぶると首を横に振った。「無理無理無理です。絶対無理」

「よかった」

「よかった?」

「僕にも可能性があるって予感がするから」


 どどどどど、どうしたらいいでしょうか神様。おーまいがっ。

 これがヒロイン補正。わたしに対して都合のよさすぎる展開である。だって、だって!


「その、ファインズ様」

「ウォルターでいいよ」

「それはさておきとして、わたしとファインズ様って廊下でぶつかったくらいの接点から始まって、それ以上でも以下でもありませんよね? ファインズ様が」

「ウォルター」

「う、うぉ、ウォルター様がわたしのどこに魅力を感じたのかというのが解らないというか。その、Sクラスの誰かさんもわたしの魔力の大きさに目を付けているようで」

「誰かと一緒にされても困るな」

 そこで、ウォルター様の声が低くなった。それまでの優し気な響きは影を潜めて、凄く真剣な声音に変わったのだ。

「正直に言うと、僕は魔力の有無はどうでもいいと思った時がある。なくてもいい、むしろ全ての人間が魔力のない世界に生まれたかった、とか。今は、人並みにあればいい、くらいには落ち着いたけどね。ずっと前から考えていたんだけど、魔力で人間を評価するのは馬鹿馬鹿しい。そりゃあ、魔力至上主義みたいな世界だし、魔力が少なければ下位クラスでやっていかなくてはいけないのも解ってる。でも極端な話、生きていくのに必要な魔力さえあれば、充分なんだ。後は人間性だよ。内面の強さが重要になる」

「内面」

「君は確かに学年一番、いや、これまでの在学生と比べても一位を争うくらいの魔力の持ち主だと評判だ。しかし、それがなんだって言うんだ? 性格が悪ければ一緒にいても苦痛だし、近づきたくもない。でも君は違うだろう? 魔力の多さを笠に着て他人を攻撃することもないし、むしろ権力者に虐げられている被害者の立場だ」

「ええと……まあ」

 わたしは妙にいたたまれなくなって、挙動不審になりつつアリシアとミランダを見た。アリシアは相変わらず胡散臭そうにウォルター様を見ていたけれど、ミランダは頬を紅潮させながら目を輝かせている。


「僕は確かに強くなりたいと思って、剣も魔法も頑張って訓練している。でも強くなるための理由は、世界を救うためでもなんでもなくて、誰か大切な人を守れたらそれでいいだけなんだ。こんな僕が君に惹かれた理由は一つだけ。君の内面が強いからだ。事実……やってくれたよね?」

「やってくれた?」

 わたしが首を傾げていると、そこでいつもの声のトーンに戻った彼がわたしの方を振り向いて微笑んだ。

「Sクラスの誰かに反抗してる。相手はとんでもない権力者……いや、彼の親が権力者だからね。普通ならそこで尻尾をまいて従うだろうに」

「ああ……そうですね……」

「そういうところが好きだなあ、と思うんだよ」


 わーお。


 そのわたしの内心での声は、ミランダの甲高い歓声に消されてしまった。

「凄いじゃない。ディアナのことをよく見てくれてる。これは来たわね」

 ミランダがつんつんとわたしの脇腹をつつく。そのささやかな攻撃から逃げつつ、わたしは「来た?」と首を傾げる。

「恋の季節というやつよ」


 ――来てない! 絶対に来てない!


 わたしはまたアリシアを盾にしてミランダから逃げた。呆れたようなため息がアリシアからこぼれたけれど、わたしだってため息を百回くらいつきたいものだ。

 何とも複雑な想いがわたしの胸の中に渦巻いているし、その原因が何なのか明確にすることもできないまま、わたしたちはそれぞれのクラスの前にきた。

 アリシアとミランダに別れを告げ、ホームルームに挑もうとAクラスの扉を開ける。

 そして、その直後に担任のカーリー先生が勢いよく飛び込んできて大声を上げた。


「レアレイド討伐おめでとうっ!」

 ぶんぶんとわたしの手を握って振り回す、可愛らしい声の持ち主は頬を紅潮させて続けた。「滅多に出ないのに無事に倒せたということは、あなたの評価は爆上がり! そんな生徒を担当しているわたしの評価も爆上がり! ありがとうディアナ・クレーデル!」

「どどど、どういたしまして……?」

 そして、周りにいた生徒たちから控えめな拍手が上がる。やっぱりゲームの世界らしさがあるな、と思いつつ辺りを見回すと、ウォルター様も手を叩いていてくれた。でも、ウォルター様はゲームらしくない。生きている生身の存在。わたしの前世での推し。


 じゃあ、今は?

 今世では……わたしは。


 ――同情から恋が生まれたら困るしなあ……。


 そう言ったお父様の台詞が頭の中を駆け巡る。


 ゲームの中で存在しなかった猫耳の先輩。何故か今は、ウォルター様よりもユリシーズ様のことが気にかかって仕方ない。


「意識を失ったあの子の前で、あいつの父親はひでえことを言い続けていてな。マジでぶん殴ろうとしたら、飛竜に乗ってやってきたギルド長が俺の背中に蹴りを入れてきてな、本懐を遂げられなかったんだ」

 お父様は不満げに唇を尖らせて言った。

 お父様が言うギルド長という人には、わたしも一度だけ顔を合わせたことがあった。以前、兄と一緒にギルドの見学に行ったことがあった。

 その時に、二足歩行の熊を見たのだ。わたしはその時、初めて呪い持ちという存在を知ったけど、アニメやゲームの世界で獣人とか見て育った前世を思い出した後だったから、怖くはなかった。

 むしろ、歩く熊ってかっこいいなあ、とすら思ったのだ。

 というのも、ギルド長は黒いベストと白いシャツ、黒いズボンを着こなしていたから。

 そんな熊さんが、ギルドの人たちに色々命令を出していたら格好いいよね?

 まあ、その時はギルドの建物の中にいた男性たちが怖くて、早々に家に帰ったからどんな人なのかは解らないままだったけど。


「まあ、ギルド長に止めてもらって助かったけどな。俺は頭に血が上ると何するか解らないし、あいつの父親が優秀な魔法騎士だとしても勝つ自信があった。一発でもぶん殴ってたら、この国から追い出されるどころか首が飛んでたかもしれない。後で、ギルド長に『家族持ちが無茶すんな』って言われて反省はした。後悔はしてないが」

 お父様はそう笑いながら、その後のことも教えてくれた。

 幼いユリシーズ様は侯爵家に戻されたらしいけれど、その後は侯爵家のお荷物扱いを受けたみたいだ。呪いを解くようにとギルドに依頼が出たものの、解決されることはなく――。


 そうしているうちに、迫害される呪い持ちについての議題がギルドの中で出されたのだ。

 呪いを受けるのは平民が多かったけれど、貴族でも一定数いた。お貴族様というのは、身内が呪いを受けたら貴族籍から抜いて家門から放り出すのだそうだ。そういった人たちがギルドにやってきて、一人で生きて行けるように仕事を始める。


「一歩間違ったら、あの子もそうなっていたのかもな」

 お父様はそう言って、腕を組んで考えこむ。「むしろ、出された方が幸せだったのか? さっきの様子を見ていると、貴族として生きるのは呪い持ちだと大変なんだろうと思う」

 そう言ってから、お父様はじっとわたしを正面から見つめた。

 そして、こう言うのだ。


「軽率に同情なんかするなよ、ディアナ。同情されて喜ぶ人間もいるが、同情されることをプライドが許さない人間もいる。あの子がどっちなのかは解らんが、呪い持ちの苦しみってのは呪い持ちにしか解らんもんなんだ。俺みたいに、家族に恵まれていればいいんだろうが……アレじゃなあ、まあお察しってやつか」


 ――正直、お前の両親が羨ましいよ。


 わたしはお父様の台詞と、その後に寂しそうに言ったユリシーズ様の顔を思い出して……胸の奥が妙にちくちくしてしまった。言葉にはできない感情。

 同情したわけじゃないよね、多分。

 ユリシーズ様は強い人だ。わたしなんかよりずっと強い。彼は苦しい道をずっと歩いてきて、きっとその道はこれからも彼の前に続いている。


 ウォルター様も強い人だ。まっすぐで、真面目で、まさにゲームの登場人物。彼の立派に鍛えた背中を見ていると、安心感がある。何かあったら守ってもらえそうな、そんな予感があって。


 でも。


 もしも前世のゲームの中にユリシーズ様がいたら、わたしの推しはウォルター様じゃなくてユリシーズ様になっていたんじゃないかって思うのだ。

 もちろん、ウォルター様はわたしの片思いの相手であった桐山先輩に似てる。それを差し引いたとしても――。


 あれ?

 わたし、どうしたんだろう?

 一体、何を考えているんだろう。


 ウォルター様に告白されているというのに……心臓がどきどきしているのは間違いないけど、それでも、桐山先輩に感じたときめきはない。それどころか、気を抜くと男性に対する恐怖心が顔を出してしまう。

 じゃあ、ユリシーズ様は?

 猫耳だから怖くない、と思っていたけど彼だって間違いなく男性で。


 そんなことを考えながら、放課後、わたしはユリシーズ様のいる研究室の前に立った。手土産に持ったキャラメルナッツマフィンを持って、扉の前でノックをしようと手を上げたり下げたりうだうだしていると。


「何をやってるんだ」

 わたしの気配を察したのか、猫耳尻尾の先輩が呆れたように扉を開けた。

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