第27話 二人いた
「わ、え、あの、これ、差し入れです!」
わたしは心の準備ができないままユリシーズ様を目の前にして、用意していた台詞が全て吹っ飛んでしまった。何を言ったらいいんだっけ、何のためにここに寄ったんだっけ、とか色々考えて。
あ、と思い出した。
「改めてお礼を言わせてください。お父様とお話ししていただいてありがとうございました。呪いについての情報なら、何でもありがたいです。そのうち、ギルドにその情報を売って稼ぎましょう」
「……お前」
ユリシーズ様はわたしが差し出しているマフィンを受け取り、少しだけ驚いたようにそれを見下ろした後。
わたしに視線を戻して小さく微笑んだ。
「お前からもらった焼き菓子を食べたんだが、あれは凄いな。魔力増大の効果付きで、人造魔石に魔力を注入する時に役に立つ」
「人造魔石」
って、電池みたいなやつだよね。
魔道具を発動させる時に必要となるのが魔石。魔物を倒せば手に入るし、街に行けば売っている。ただし、それなりの値段がする。
そこで、魔力を失った魔石の欠片を寄せ集め、そこに魔力を注入して充電池を作ったんだよね。天然の魔石より魔力量は劣るけれど、小さな魔道具を動作させるには問題ない。いわゆる材料は再利用しているわけだから、魔石の新品を買うよりずっと安い。
「人造魔石はいくらあってもいいし、俺も自分で造っている。だから、正直なところ……助かった」
ユリシーズ様は静かにそう言ってから、ふと我に返ったように気まずそうに眉根を寄せた。「立たせたままですまない、とにかく入ってくれ」
そうして、わたしは彼の研究室に招き入れられたわけだけど。
「……お前の父上には感謝している」
彼はどこからかお茶の入ったカップを用意してきて、研究室の片隅にある机の上に置いて、わたしにも椅子に座るよう促してくれる。わたしがお礼を言って腰を下ろしてカップを手にすると、向かい側にあった椅子に腰を下ろした彼が神妙な表情をして続けた。
「命の恩人でもあるし、別の意味での恩人でもある」
「別の意味」
「俺の父に食って掛かった人間は他にいない。あの時のことはずっと忘れたことがなかったし、呪い持ちと蔑まれて生活する中での心の支えにもなった。本当に感謝してる」
そう言って微笑むユリシーズ様の声に嘘はないし、凄く真摯な目つきでわたしを見つめている。
それが何だか。
何だか。
「それと」
と、そこでユリシーズ様は気まずそうにわたしから目をそらす。「あの件が関係して、俺が女性が苦手だと感じてしまうんだが、あまり気にしないでもらえると助かる。何と言うか、情けないことを知られたというか、上手く言えないが……」
「ええと、はい」
わたしの胸の奥がきゅっとなる感覚。
痛ましいと感じてしまうのはどうしても避けられないし、何て言葉を返したらいいのかも解らない。
でも何だか、わたしたちの距離が近づいたのは間違いない――と思う。
ユリシーズ様は以前ほどわたしを警戒した様子は見せていないし、それはわたしもそうだ。防御壁を作り出さなくてもいいというか……多分、ユリシーズ様は悪い人じゃないから、信用してもいいって思ってるんだ、わたし。
悪い人。
わたしを攻撃しない人。
だから恐怖を感じないのだろうか。
猫耳と尻尾があるから、可愛いからという理由は別として、それだけじゃないと思えるのは……。
「お前は俺の恩人の娘ということになる。だから、何かあったら助けてやりたいと思うんだ。事実、困ってるんだろう? ミルカ先生からも話をもらった」
そう彼が続けた台詞が、何だか妙に心のどこかを引っ掻いた気がした。
――恩人の娘。
そうだよね。うん、そうだ。
「あはは、そうなんですよねえ」
わたしはどこか空元気に見えるだろうと感じながら、必死に笑いながら頭を掻く。「Sクラスで変な人に目を付けられてしまったから……」
「そうだよな。俺も気にかけておくが、お前も誰か頼りになれる人間が近くにいたら声をかけておいた方がいい」
「それは解ってるんですけど……」
わたしはため息をこぼし、手に持ったカップを弄びながら揺れるお茶の表面を見つめる。綺麗な金色。指先に伝わる温かさ。
「わたし、頼りになってくれそうな人は女の子しかいなくて。迷惑をかけちゃうかな、ってちょっとだけ心配で」
そう言いながらも、今度は別の胸の痛みに襲われた。
ウォルター様に頼めば、きっと彼はわたしの力になってくれると思う。でも。
彼に頼るのは……どうなんだろう。彼の好意を利用することになるんじゃないのかな、これ。
「あの、先輩」
わたしはそこで、顔を上げてユリシーズ様に向き直る。
「どうした」
「わたし、男性が苦手だって言いましたよね」
「ああ」
「その原因を言ったら、誰も信じてくれないって解ってるんです。変な話だし、頭がおかしいと思われる。だから、家族以外には言ってませんでした。友達にも言えてない……」
ユリシーズ様は僅かに首を傾げて見せたものの、何も言わずにわたしの言葉を待ってくれている。
だから、思い切って言った。
「先輩は、生まれ変わりって信じますか?」
そして、結局。
全部、言ってしまいました。人間、勢いってあるよね。今がその時だった。今じゃないと言えない気がした。
そしてユリシーズ様に呆れられてしまっても、変なやつだと思われても仕方ないと覚悟を決めたのだ。
「面白いな」
話を全部聞き終わった頃、窓の外は薄暗くなりかけていた。そろそろ帰らないといけない時間帯だ。でも、ユリシーズ様はそれに気づいていないようで眉間に皺を寄せたまま、じっと何か考え込んでいた。
そして、やっと頭の中で整理がついたのか話し始める。
「我々の世界では、命は神によって作られ、死んだら魂が神の元に帰って役目を終えるというのが一般的な死の概念だ。だが、生まれ変わるという考えは少数だがあるらしい。世の中ではそういった小説や舞台があるとも言うし、もしかしたらそういう事例があったのかもしれない。だから、完全に否定するつもりはないな。盲目的に受け入れることもないが」
「まあ、そうですよね……」
わたしはこくこくと頷く。
真面目に聞いてくれるだけでもありがたい内容だし。
「それで、お前は前世とやらで男性に殺されたというんだな?」
「はい」
「しかし、細かいところは覚えていない?」
「はい」
前世の自分が死んだ時のことを思い出そうとすると、背中にぞわぞわしたものが這い上がる。それは、死ぬ直前に厭な思いをしたからだと思う。厭な――凄まじい恐怖と絶望を味わったからなんだと思うのだ。
「……暗がりに引きずり込まれた時に感じたのは、『あり得ない』という感情でした。まさか、と思ったんです。わたしがこんな事件に巻き込まれるなんてあり得ないって。日本は平和な国で、凶悪犯罪の被害者になるなんて考えたことがなくて。だからいつも、暗がりを歩いて帰るなんて当たり前に考えていて。今は絶対に無理だけど」
「それはそうだろう」
ユリシーズ様はわたしを気遣って頷いてくれた。言葉を挟んでこないのは聞き上手だな、と思う。
「わたし、必死に抵抗して、叫ぼうとして、それで」
わたしの口を塞いで抵抗を封じようとした男は、背が高かったと思う。
それで。
『急げ』
誰かがそう声をかけてきた。
低い男性の声で、僅かに掠れていた。
二人いた。
そうだ、わたしを襲おうとした男は二人いた。
それで、近くに黒い車が停められていたんだ。わたしはその車の方へ連れて行かれそうになって。
「乗せられたら終わりだって思って、わたしは持っていたカバンを振り回して、当たったと思ったんです。でも、そこで殴られて」
立っていられないほどの衝撃だったけれど、最初は痛みを感じなかった。
ただ頬に熱が広がって、口の中が切れた。血の味が喉の奥に流れ込んでいくのを、咳き込んで防いで、それから。
それから。
『何だお前』
慌てたような男の声。
誰かがナイフを持っている。わたしたちの間に立つようにして、誰かがナイフを振り回して、そこで。
怒号なのか、悲鳴なのか。
必死に立ち上がろうとしてた時に、新しい熱が生まれた。逃げなきゃ、と頭の中では考えていたのに身体は動かない。声も出ない。助けを呼ぶために叫ぼうとしたのに、咳き込むことしかできなくて。
『邪魔するな』
『くそ、逃げるぞ』
そんな声が飛び交った後、逃げ出そうとする男の背中に向かって、誰かが襲い掛かったのが見えた。男性の一人、その背中に突き立てられたナイフは、すぐに次の男へと向けられた。
暗闇に覆われた路地裏。血の匂いは風に乗って流れていった。
そして。
誰かが言ったのだ。少しだけ高い、若い男性の声。
『……様』
名前を呼んだんだと思う。
わたしの名前ではない、誰かの名前を。まるで、身分の高い人の名前を呼ぶように、『様』を付けて。
『……手遅れか』
その若い声は、疲れたように言ったのだ。地面に倒れこんでいるわたしを見下ろしながら。
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