第十二話「愛しいあなたは、いつだって私の最強の味方だから」

私は暗く冷たい海の底でただよっていた。


これまでの人生で起きた出来事の記憶のビジョンが私の脳裏に次々と流れ込んでくる。


「思えば、これまでの人生、嫌なことの方が圧倒的に多かったな」


幼い頃の嫌がらせの数々など、悪魔に家を滅ぼされてからの放浪の旅に比べればなんでもないことだと思ってはいた。

しかし今こうして脳裏にビジョンとしてまざまざと見せつけられると中々心に来るものがあった。


当時の私にとっては大げさかもしれないが確かにそれは"地獄"だったのだ。


私は自問自答した。(こんな人生だ。もし、このままこの海の泡として消えることができるなら、それもいいのかもしれない……)と。


私が目を閉じると、不思議なビジョンが流れてきた。そこは枯れ木が立ち並ぶ寂しい山の中だった。


かたわらには優しげに微笑むハンサムな男性。黒髪に黒い瞳、まるで物語に出てくる王子様のようだ。


彼に会いたい、と心の底から思った。彼の声を聞いていると、切なさと安心感が一緒になって、心の中を渦巻いていく。


私は心の中で叫んだ。


(このまま独り寂しく消えていくのは嫌だ......助けてよ......『俺はずっと君の"味方"だから』って、言ってくれたじゃないか!!)


涙がこぼれ落ちた。そのとき、私の頭に何か暖かな感覚が広がる。そして、体全体が浮かび上がっていくような感覚があった。


「お帰り、ノラ」


恋い焦がれていたあの男の声だった。私を救い出してくれたのは、彼だったのだ。


〜〜〜

ずっと目をつぶっていたからだろうか。涙で視界がかすんでいる。

ただあたり一面に漂う血の臭いから、何か異変が起こっていることはわかった。


拘束の縄が解かれると、しびれた手の先に血流がまわり、息を吹き替えしたように脈動し始める。


「お帰り、ノラ」


恋い焦がれていたフードの彼の優しい声が聞こえる。


彼に会いたい。抱きしめてキスしてもらいたい。彼のつがいになってこの身を捧げたい。


しかし、巻き込まないようにする為とはいえ、あれほど酷いパーティー解散をした私のような醜女の元に、彼が戻ってきてくれるはずもない。


ほんの少しの期待と海よりも深い不安が混ざり合い、心臓が痛いほどに脈を打つ。


「……その声は、もしかしてクロダ?」私は震える声で聞いた。

「もしかしなくてもクロダだよ」と、彼は何でもないように笑って答えてくれた。


少しずつ目のピントが合ってきて、私の"味方"が目の前に立っているのが確認できた。


「クロダ、その顔は?」

「あぁ〜、ちょっと色々と事情があってな……」


クロダは気まずそうに苦笑しながら頭をかく。


夢の中でもなんとなく見覚えのある顔だと思っていたが、彼は帝国が指名手配している"破邪の剣を盗んだ美青年"と同じ顔をしていた。


手配書の魔術描写マジックアニメーションで描かれていた人相書きの男は美男子によくある高慢で嫌味な笑いを浮かべていたが、私の目の前にいる彼はまるで王子様のように優しく微笑んでいた。


顔を知らぬ時から惚れきっていた男。その男がまさかこれほど美しい顔をしていたとは。


恋の快楽物質が分泌され私の頭はビリビリと麻痺まひしていく。

思わず恍惚こうこつとした表情でクロダを見つめてしまう。


「それにしてもノラ、すごい格好だな」

「……頼む、こんな姿見ないでくれ」


私は自らの醜く膨らんだ胸を腕で隠そうとするが、余計に胸の谷間が強調されたようになってしまう。

あの悪魔め、眠っている間に私を笑いものにしようとこんな大胆なドレスに着替えさせられていたのか……!


恥ずかしい、こんな姿を見られてしまうなんて。

私は好きな男に自分の醜い肢体からだがあらわになることに激しい羞恥しゅうちと絶望を覚えた。


そんな私を……特に醜い胸のふくらみを、彼はまるで"物欲しく思っているかのように"ジッと凝視する。心なしか鼻息も荒く顔も赤い?


眼の前の容姿端麗ようしたんれいな彼が見せるだらしのない顔にさえ、私の愛欲はジュクジュクと淫らな音を立てて膨らんでいくようだった。


「……っと。物惜ものおしいけどこんなことしてる場合じゃなかったな」


彼がそう言って振り向いた先には血にまみれた複数のデーモンたちの姿があった。


こんな数の悪魔、対処のしようがない。クロダとの再会の喜びが一瞬で絶望に変わった。


せめて彼だけでもなんとかこの場から無事に脱出させねば……。


「さぁ、そろそろ反撃の狼煙のろしを上げるとするか」


ニヤリと笑った彼は目もくらむような"火炎旋風フレーム・ストーム"の魔術を悪魔たちに叩き込んだ。悪魔は断末魔を上げることすら出来ず一瞬で炭化していく。


私の心は希望の光で照らされていく。愛しい彼はいつだって私の最強の"味方"なのだから。


〜〜〜

「ノラ、14時の方角の抑えを頼む!」

「任せろ!!」


私達はダンスホールの血塗られた戦場をまるでワルツを踊るように舞っていた。


1月以上もの間、一緒のパーティーを組んで戦っていた二人のリズムは呼吸や鼓動も重なっているようにピッタリだった。


彼が放った"爆弾の実"の爆風で巻き上げられた煙の中、私は船の床に転がる警備兵の死体からハルバードを拾い上げそれを振るう。


空間震動エアリアルドライヴ


金切り声を上げるハルバードが硬い悪魔の鱗を貫き、敵の体を粉砕ふんさいする。


「やるな、ノラ」

「フン!クロダ、油断するなよ!」


こんな時に不謹慎かもしれないが、私の心は喜びに高鳴っていた。

恥ずかしさのあまり彼に思わず憎まれ口を叩いてしまうが、それに笑顔で返してくれる彼の姿に胸がギュッとなる。


「お前たち!せっかくシルマリア殿が用意してくださった晩餐会をめちゃくちゃにして!許さないぞ!」


(序列70位、沼地の王子、バエル!)


居並ぶ悪魔の軍勢をなぎ倒すと、私達の前にカエルの悪魔が立ちはだかった。


確か、悪魔教書の記述には奴が強い毒性を持った粘液を浴びせてくるとあったが。


「死んじゃえ!死んじゃえ!」

「クロダ!注意しろ!奴の液には致死性の毒が混じっている!」


カエルの悪魔、バエルは口から紫色のネバネバとした汁を飛ばしてくる。


クロダは難なくその攻撃を避けるが、奴の飛ばしてきた液体が付着した床がジュージューと音をたてて溶け始め、段々と足場がなくなっていく。


剣術スキル ー月牙ー


しゃらくせぇ!!と叫んだ彼が剣の斬撃を飛ばすと、バアルの首が斬り落とされ湿った音が辺りに響いた。


彼は強い!!いくら72人いる序列内の悪魔としては最下位クラスとは言え、バアルはアモンの直参の家臣。


奴が本気を出せば、帝国の騎士旅団程度なら直ぐに消し飛ぶだろうと言われている。

それを彼はわずか一太刀で葬った。


(彼と力を合わせればあの女悪魔にも勝てるかもしれない!!)


バアルの敗北を見て混乱状態に陥った悪魔の残党を蹴散らしていると、底冷えするような声が聞こえてきた。


「あなたたち、おいたが過ぎるんじゃないかしら」


そこにはゾッとするほど落ちくぼんだ瞳をこちらに向けるセイレーンの女王、シルマリアがいた。


〜〜〜

剣と触手の先端の鉤爪がぶつかって起こる鋭く激しい金属音が船内を幾度も響き渡る。


自分の宴を台無しにされて他の序列内悪魔の眼の前で顔に泥を塗られたことで、シルマリアは怒り狂っていた。

彼女の体は人間に化けていたころからは想像できないほどに膨らみ、身の丈は優に4メートルを超えている。


奴の体から伸びるタコのような触手はその太さに似合わぬ素早さで鞭のように彼に襲いかかる。

私も戦闘に参加しようと試みるがシルマリアの触手の攻撃を目で追うことすら出来ない。


突如、ホール全体に広がるセイレーンの歌声。


一瞬の隙きを突いてシルマリアがクロダとの距離を取り、そのボッテリとした唇を開いて歌を歌っていた。


「クロダ!!すぐに耳を塞げ!!」

「坊やもこれで終わりね」


クロダがカクンと顎を下げる。しまった!彼にセイレーンの歌のことを警告すること忘れていた!


「そこで愛おしい王子様が切り刻まれるのを見てな」


放心状態のクロダをシルマリアの触手が斬りつけていく。


私は必死にそれを止めようと走るが、どこからともなく現れたセイレーンの眷属悪魔たちに道を塞がれる。


私の眼の前でクロダの両腕が切り捨てられ床に落ちていく。そんな......こんな私のために彼を巻き込んでしまうなんて......。


「それじゃあ、いただきまぁぁす」

「やめろぉぉお!!!」


シルマリアは彼の片足に触手を巻きつけると、大口をあけて飲み込もうとしていた。私が必死に叫ぶ声は虚しくホールに響いた。


呪術抗体アンチ・マジック

ー超速再生ー


「このスキル、初回の発動はだいぶん時間かかるのか。結構ギリギリだったな!」

「なっ!」


バチバチと放電がクロダの頭に走ったかと思うと、彼は意識を取り戻し不敵な笑みを浮かべた。


更に腰にさした予備の剣を抜き払ってシルマリアの首に斬撃を加え、クルリと回転しながら私の側に着地した......!!


喉元を切り裂かれたシルマリアは目から生気を失うとガクリと倒れた。彼は......勝ったんだ!!あの邪悪な海の女王に!!


「ノラ、まだ油断するな」

「え?」

「奴を見てみろ」


進路を塞ぐ低級悪魔たちを斬り伏せ、私が喜んで彼に駆け寄ろうとすると、手で静止される。


いつも優しい彼の声は、今は戦士の厳しさをにじませていて私はドキリとしてしまう。


彼が睨む先では、静かに横たわるシルマリアのむくろがあるだけ。そこで私は違和感を覚えた。


(体が分解されない?)


通常、悪魔がその命を失うと魂もろとも肉体が直ぐにこの世から消え果てる。


やつらが幽界ゆうかいに過ぎないハデスから現世に無理やり顕現けんげんしていることの影響なのだと昔、悪魔に関する研究論文かなにかで読んだことがある。


しかし眼の前のシルマリアの肉体は消えることはない。

それどころか彼女が胸につけている真っ赤な真珠の首飾りが怪しく光り始め、そのうちの1つが砕け散った。


「なるほどね......。そのマジックアイテムのお陰で復活できるわけか」

「私としたことが、油断しちゃったわ.......。でもこれでわかったでしょう?私は"不死身"なの。あなたたちがいくら足掻あしかこうと無駄ってわけ」


シルマリアの喉元の傷はキレイさっぱりと消えていた。私は絶望のあまり膝をつきそうになる。

あのマジックアイテムがある限り私達が彼女に勝つなんて不可能だ。


「ハッ!不死身?どこが?」

「どういう意味かしら?」

「あんたのその悪趣味な真珠の首飾りの玉は残り43個!」

「.......だから?」


クロダの瞳からは燃えるような闘争心が消えていなかった。彼は剣を敵へと差し向けた。


「つまり、アンタをあときっかり43回ブッ殺してやりゃ済むって話だ!」

「舐めるなぁああああ!!!!クソガキがぁぁあああぁあああ!!!」


まだ彼は諦めていない!!!


その事が私の心の火を再び燃え上がらせてくれた。


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