第十一話「この世界と彼女の秘密」

悪魔たちの攻撃が始まると、船上は一瞬でパニックに包まれた。


乗客たちは恐怖に震えながら逃げ惑うが、その動きは悪魔たちにとって嗜虐心しぎゃくしんをくすぐるスパイスに過ぎなかった。

彼らは欲望のままに人々を追い詰め、鋭い爪で肌を引き裂いた。


人々の絶望の叫びは夜空に響き渡り、船上に血の海が広がっていく。


貴賓席に座る市の重職や貴族たちは今や見る影もない。

皆、およそこの世の物とは思えないような異形の姿に変わっていた。


「こちらニンゲンの生き血をソースにしたカルパッチョでございます。ソースには若い獣人族の男とエルフの老婆の搾りたての血潮を混ぜ合わせたものを用いております!」

「まぁ美味しそう。ささっみなさん、新鮮なうちにいただきましょ!」


コウモリのような顔をしたボーイが配膳する皿には血染めの肉や魚、野菜が載っている。


周りから"シルマリア"と呼ばれる触手の怪物はそれを口いっぱいに頬張ほおばっていた。

こいつは一体なんなんだ?俺は瞳に魔力を込めて奴の正体を探る。


ー能力透視ー


ーーーーーーーーーー

名前 :シルマリア

性別 :女

種族 :上級悪魔 [歌海魔族セイレーン]

レベル:140

HP:12,000

MP:18,000

-パッシブスキル-

高速再生


-アクティブスキル-

悪魔術Lev.4

変化Lev.6

セイレーンの歌Lev.8

ーーーーーーーーーー


(上級悪魔?!)

俺は特にレベルの高い"セイレーンの歌"という特殊スキルに目を凝らした。


ーーーーーーーーーー

-アクティブスキル-

[セイレーンの歌]

海の女王の奏でる魔法の歌。

美しい旋律で対象の意識を引き込み、精神世界に閉じ込める。

ーーーーーーーーーー


シルマリアは魔力や耐久力の高さもさることながら、催眠能力のような特殊な能力も持っているらしい。

俺は奴らが食事に夢中になっている間に、必死で余っていたスキルポイント割り振って、"呪術抗体アンチマジック"の能力スキルを獲得した。


「しかしシルマリア殿、プププっ、あれほどの醜女しこめを、アハハハハ!良く見つけられましたな」

「ガハハっ!我輩など笑いすぎて腹がってしまいましたわ」

「フフフ......。これほど皆様に喜んでいただけるなら、私としても準備した甲斐かいがありましたわね」


シルマリアとその同族の悪魔たちはまるでコメディ映画でも見るように下品に笑っていた。

彼らの視線の先には、虚ろな目をしてステージの柱にくくり付けられているノラの姿がある。


彼女ノラはいまだ完全に精神世界に囚われてしまっているようで、自分の周りの血の惨劇にまったく気づいていないようだった。


「クロダさん。お待たてせしてもらって申し訳なかったわね。それで破邪の剣のことなんだけど.......」


前菜を食べ終えたシルマリアは、黄色く濁った邪悪な瞳をこちらに向け、俺に"破邪の剣"の隠し場所について穏やかに問を投げかけてくる。


......当然俺は"破邪の剣"のことなど居場所はおろか、それが何なのかさえわからない。

帝国に言いがかりをつけられただけで、盗みなんてしてないんだから。


しかしここは、慎重に答えねばならない。


奴はまだ俺のことを「破邪の剣を魔族のために盗み出した熱心な悪魔崇拝者」か何かだと勘違いしているようだが、その誤解が解ければ

たちどころに八つ裂きにされてしまうだろう。


俺は意を決して口を開いた。


「シルマリア殿」

「はい、なんでしょうか?」

「先にお手洗いに行かせていただいて良いでしょうか?先程、乗船前に呑みすぎたせいかもう限界寸前でして.......」


俺は(漏れる〜)と小声でうそぶきながら、そそくさと貴賓席を抜け出していった。


〜〜〜

トイレに行くふりをして抜け出した俺は忍び足でノラが縛りつけられているステージのある1Fのダンスホールにたどり着いた。


ホール全体から漂うむせ返るような血の香りに俺は吐き気を覚えながら、中央のステージに近づく。


「お!あなた様はシルマリア様のお客人のニンゲンでしたな、いかがなされたのかな?」

「いやぁ、ちょっと気分転換に散歩に.......」

「おぉ!そうでしたか。これはお邪魔して申し訳ない!」


慇懃無礼な態度のこのデーモンは、俺がシルマリアの客人であることに遠慮してか、深く突っ込むこともなくすぐ船内を逃げ惑う人間たちのハンティングに戻っていった。


すぐ側で低級な悪魔たちが串刺しにした人間のバーベキューを楽しんでいるが、特に俺のことを気にした様子はない。


(ノラ.......)


感情を失ってしまったような表情をする彼女に心が痛くなる。今助けてやるからな。


俺は先程獲得したばかりのスキルを発動させ、彼女の頭に触れた。


呪術抗体アンチマジック


頭の中でパチパチっと小さな放電が起こり、俺は彼女の精神世界にダイブしていった。


〜〜〜

「ここはどこだ?」


俺の声は、冷たい空気に呑まれてしまった。周囲を見渡すと一面、枯れ木が立ち並んでいた。


随分と陰気なところだ。それに随分と肌寒い


俺は足元に注意を払いながら、ゆっくりと歩き始めた。


しばらく進むと、小さな池があった。水面は静かで、淡い光を反射していた。


池に顔を近づけて見ると、水面が揺れ、ノイズの混じった映像が映し出された。


(獣人の夫婦と、その赤ちゃんか?)


水面には、狼のようなピンとした耳を持つ獣人の男女が映っていた。

彼らはゆりかごの中で眠る我が子を見ながら会話していた。


「この子の顔、随分と私に似ちゃって......。これは生来色々苦労させちゃうわね」

「でもきっと君に似た賢い子に育ってくれるだろうなぁ。あ、でも髪色が僕そっくりなのはちょっと申し訳ないな」


美しい見た目の女性が落ち込んだ声を出し、地味な顔立ちの銀髪の男性がそれを慰めている。


二人の会話内容はよく理解できなかったが、彼らが自分たちの子供を愛しているのはゆりかごを覗くその温かい眼差しからわかった。


水面のノイズが激しくなり、しばらくすると映像が切り替わる。


今度は小さい獣人の女の子が木の妖精たちと遊んでいる様子が映っていた。


妖精たちは木の葉のような体をクルクルと回して女の子を笑わせる。どことなくその子の顔立ちはノラに似ているようで.......。


また水面が乱れ、その後も次々と違う場所、時間のシーンが映し出されていく。


いずれのシーンにも獣人の女の子がいることは共通していた。


(こいつは.......)


映像の中の時間が過ぎればすぎるほど、水面に映る彼女の人生は悲惨なものになっていった。


近所に住む他の獣人の子どもたちに仲間ハズレにされる。森の妖精にもらった宝物の木の実を意地悪で捨てられる。


貴族の子弟の為の学校に入った後もイジメはなくなるどころか酷くなっていく。


廊下を歩くだけで、クスクスと笑われ、机替えで横になった子にはこんな奴の隣は嫌だと泣きじゃくられる。


貴族同士の付き合いで出されたダンスパーティーでは誰ともペアを組んでもらえず、馬鹿にされトイレにこもって泣いている始末。


「ブサイク!」「キモいんだよ!死ね!」「あなた、女神様に逆らった悪魔の生まれ変わりなんじゃないの?」


心無い言葉が彼女を襲う。学校での彼女は常に独りだった。


ブ男を自認する俺でもここまでのイジメを受けたことはなかった。それに数は少ないものの気の合う同性の友人もいた。


「辛かったろうな」


俺がそう呟くと水面が未だかつてないほど激しく震動し始め、新たなシーンが水面に映し出された。


映像には学校が休みの期間に実家に戻っていた女の子が、近所の山で森の妖精たちとキノコ採集を楽しんでいる姿があった。


彼女にしては珍しく落ち着いた顔だ。


しかし、その穏やかな時間も束の間だった。少女が山を下りて家路につこうとしたその時、視界に入ったのは燃え盛る屋敷と森だった。


焼けつく森の中心で、逆さ十字に磔にされていた獣人達……それは少女の子の両親だった。


毒々しい色の悪魔の群れが空から舞い降りてきて、少女の瞳に呪いをかける。


呪いを受けた彼女の頭からはフェンリルの耳が消えていく。彼女の絶叫が響き渡り、その叫びが俺の耳を突き刺さる。


その瞬間、映像が途切れた。


俺はショックのあまりしばらくの間呆然としていた。


後ろを振り返ると、枯れ木の根本に座っている小学生くらいの女の子がいた。


ノラだった。彼女は先程映像に映っていたままの格好をしていた。


キノコの入った籠をそばに置き、表情は深い悲しみで色褪せていた。


俺はたまらなくなって、彼女の側に座り込んだ。彼女が俺の存在に気付き、ぱっと顔を上げた。


俺の顔を見た瞬間、彼女の体がぷるぷると震え始め、顔を真っ赤にして視線を逸らした。


「こんなところで何してるの?」

「......お兄さん、誰?」


彼女はふるえた声でと問い返してきた。


彼女の質問に、俺は優しく微笑みながら「クロダだよ」と答えた。


彼女は気まずそうに頭の銀色の獣耳をぴょこぴょこと揺らしながら、俺の顔をチラチラと盗み見てくる。


「キノコを取りに来たんです。パパとママ.......お父様とお母様にプレゼントしたくて」


しばらくすると彼女は言葉を慎重に選びながらポツポツとしゃべり始めた。


「お兄さんは不快じゃないんですか?」

「え、何が?」

「私みたいなキモチワルイ子と一緒にいたり喋ったりとか……私、こんな顔だし.......」


俺は既視感を覚える。


あの時と同じだ。港町エーアの宿でも自信なさげにしていた彼女から「不快じゃないのか」と聞かれた。

でも今の彼女は"まだ"呪いを受けていないはずだ。それに顔がどうとかって。


この異世界に転移してからずっと胸につかえていた違和感が、まるで泡が破裂する寸前のようにふくらみ続けていた。


「嫌じゃないよ」

「でも.......こんなに醜い」

「君は醜くなんかないよ」

「.......お兄さんは優しいんですね」


彼女は膝を抱えて、細く震える声で泣き始めた。


感情が溢れ出てくるのを止められず、彼女は涙を流しながら自身の生活について打ち明け始めた。


愛情深い家族がいる一方で、学校では陰湿なイジメにあっていること。

パーティーに参加する度に、必ずと言っていいほど、恥ずかしい思いを強いられること。


彼女の言葉は、涙と共に口からあふれ出ていた。


「私の人生、今までもこれからも良いことなんてちっともない」


そんなことないよ......と言いかけて、この後に待ち構える彼女の苛烈な運命を考えて思わず口をつぐんでしまう。


「パパとママ以外、味方はいないんだ。大人になって王宮勤めになったところで、結局またイジメに遭うだけだろうし」

「でも俺が……俺が君の味方になるよ」


俺は思わず声を張り上げる。


「お兄さんみたいなイケメンなら、きっと周りの人々も優しいんでしょうね」


彼女の目は羨ましげに俺を見つめていた。俺がイケメン.......。


その瞬間、胸の中で膨らみ続けていた違和感の泡が破裂した。


俺はこの世界の転倒した真実について、理解し始めていた。

俺が思うにおそらくこの世界の"美醜"の感覚は元の世界と逆転している.......


「こんなブサイクなんだから、どうせ結婚もできないでしょうし」

「君が大人になって......もし君がそう望むのならだけど、俺となら結婚することだってできるよ」

「お兄さんみたいなイケメンが私みたいなブスと結婚なんて、とてもじゃないけど考えられない」


ノラはすっかり膨れてしまった。

ただ彼女の顔は怒っているようでありながら、どこか甘えた雰囲気も混じっていた。


「それは違うよ、ノラはとても可愛いんだから」

「......子供だと思って馬鹿にしないでよ」

「馬鹿になんてしてないって」

「それなら、私にキスしてみてよ!」


彼女が突然叫んだ。


子供にキスするわけにはいかないだろう。

それでも、彼女をなだめるために、おでこにキスをした。


彼女の顔は、ゆでダコのように真っ赤になっていた。


「覚えておいて欲しい、ノラ。これからきっと色々な困難が待ち受けているだろう。時には挫けそうになることもあるだろうけど、俺はずっと君の味方だから」


周囲の枯れた木々が一瞬で緑に覆われ、空には明るい光が戻ってきた。空気には春の暖かさが広がっていた。


しかし、その美しい夢の世界はゆっくりと崩壊していった。


「……またすぐに会えるんだよね?」ノラが尋ねた。

「もちろん!」俺は即答した。


「お兄さん……ううん、クロダ。またね」

「あぁ、またなノラ」


彼女の目は涙で潤みながら、最後の一瞬まで微笑んでいた。

その笑顔は、何もかもを包み込むような穏やかさだった。


〜〜〜

パチパチっ!


脳内の放電が消えていく。長い時間が立ったように思われたが、現実の世界では一瞬の出来事のようだった。


「お帰り、ノラ」

「……その声はもしかしてクロダか?」

「もしかしなくてもクロダだよ」


俺は彼女を安心させるように、柔らかく笑って答えた。


ステージに上がる俺に違和感を抱いた悪魔たちが集まってくる。


俺は彼女を縛り付ける縄を剣で素早く断ち切った。


「さぁ、そろそろ反撃の狼煙を上げるとするか」


俺が最大出力で放った爆炎魔法は周りの悪魔たちを一瞬で焼き尽くした。

ダンスホールに広がる燃え盛る赤い炎は、奴らへの宣戦布告だ。


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