第47話 憤怒

                憤怒


怒りの根底にあるものは悲しみ。

なんで自分がそんな思いをしなければいけないのか。どうして人間がこんな目に遭わなければいけないのか。

気持ちがあるから、感情があるから悲しみは消えない。

そう・・・・・・感情を持つ有機生命体はすべて、悲しみと共にある。

故に、滅びこそが救済だ。

感情を捨て、気持ちを捨てれば、皆悲しみから解放されるのだ。


2月22日

何気ない日、いつもと変わらない朝、空は雲一つない快晴である。

今日も俺は今までと同じように朝ごはんを作る。さて、今日は何を作ろうか。

チヨは何を作ったら喜んでくれるだろうか。せっかく作るのなら美味しい物の方がいいだろう。

でも、今日は一段と頭が回らない。調子が悪いのかもしれない。左腕にうまく力が入らないがまあ気にしなくて大丈夫だろう。抑止と一体化して人間じゃなくなってきてるから風邪をひくことなんてありえない。


頭の中に霧がかかったようにぼんやりする中、俺は朝食の献立を思い浮かべようとするが浮かんでこなかったのでいつも通りの料理をすることにした。

目玉焼きをまずは焼いて、そのあとにベーコンでも焼いて・・・・・・


「チヨ、今日の朝は目玉焼きとベーコンでいいかな?」


・・・・・・


あれ?チヨの声が聞こえないな。まだ寝ているのだろうか?まあいいか。もうしばらくはゆっくりさせてあげよう。


「さて、作りますか」

俺は冷蔵庫に手をかけて開く。中の空気が普段以上に冷たく感じたが、恐らく気のせいだろう。

卵のパックを左手に持ち、卵を三個ほど取り出す。そしていつものように冷蔵庫にパックを置き、それを閉じる・・・・・・閉じたはずだった。

グシャリという重みと水分を含んだものが落下したような音が聞こえてきた。


「・・・・・・あれ?なんでパックが落ちてるんだ?」

冷蔵庫に入れたはずのパックが床に落ちてしまっている。

部屋が暗いのか、冷蔵庫の中がよく見えなかったのかもしれない。

しゃがんで確認すると辺りに割れた卵の黄身や白身の残骸が飛び散ってしまいベチョベチョになってしまった。


「あーあ・・・・・・床拭かないと」

俺は汚れてしまった床を掃除するためにキッチンペーパーを取ろうと立ち上がる。だが、その時、体に違和感が突然現れた。

あるはずの物がない。身体にいつもあった、あって然るべきものがなくて体がやけに軽く感じてしまった。

下を見ると、紫色の長い物が液体をまき散らしながら落ちていた。違和感の正体はこれだったのか。


「左腕、落ちちゃった・・・・・・」





監視カメラでいつものようにアルトの様子を確認していた俺たちはすぐさま異変に気付き、寮の部屋に向かった。


「アルト!おい、アルト!」

アルトはキッチンで倒れこんでいた。開けたままの冷蔵庫、落下した卵のパック。そして・・・・・腐り切ったアルトの左腕。


「担架の用意を!絶対に死なせるな!」


「「りょ、了解!」」

防護服に身を包んだ仲間たちによってアルトは本部の救護室に運ぶことになった。

そろそろ、限界なのだろうか・・・・・肉体が朽ち始めている。

ヤブが様々な機械を通してアルトの身体を診てくれているが、今のアルトは・・・・・・


「呼吸は停止しています!ですが、鼓動は・・・・・・あります」


「生きている・・・・・・ということなのか?」


「一応、は。ですが、ここから先、目覚めるとは限らない。ただでさえ謎が多い紫陽花病に抑止との一体化、この二つが絡み合ってアルトの身体はもう維持できないところまで来ているみたいです」


「・・・・・・そうか」

俺は・・・・・・誰よりも力がある俺が何故こんな時に何もできないのだ!

一体俺に何ができる?何故俺がアルトを守る龍神の遣いとして選ばれたのだ?

こんな力があっても・・・・・・例え獣さえも一撃で葬ることができるこの力があっても・・・・・・俺は何もできないのか。

いや、絶対何かあるはずだ!俺にできること。俺が何故、龍神の遣いになったのか。きっと何かあるはずなんだ!

探そう、できる限りのことをやろう。止まっていても仕方がない。


「長倉、そしてみんな」


「はい、キャプテン」


「以前俺に見せてくれた例の・・・・・・昇華のシステムの資料はまだあるか?」


「はい、ここに」


「俺たちの力を以てして、総出でこのシステムを人工的に作り上げるぞ!」


「ですが、これはまだ我々人類では到達できない世界です。それでもやりますか?」


「ああ、やってやる!最後まで足掻いてやる。アルトを守るために、アルトを取り戻すために協力してくれ!」


「・・・・・・了解しました。そんな協力してくれだなんて、我々もミスター・アルトに帰ってきてほしいですから、するに決まっているじゃないですか」


・・・・・・ありがたい、仲間というものは。俺一人じゃ今の現状何もできない。だが俺達には力がある。絶望した今を塗り替えることができる力が!

「じゃあ、人間の底力ってやつを見せてやろうじゃないか!」


「「「「「オオ!!!!!!!!」」」」」


昇華のシステムについてはまだ完全にわかり切っていない。

飛月が残してくれた体内の情報でも何故紫の力に侵された身体をどのようにして人間に戻したのかは不明のままだ。

飛月とアルトの違い、他の感染者と飛月の違いはあるのだろうか?

飛月は強化人間であり、紫の力が心臓部から全身に掛けて血のように広がっていた。考えようによっては紫の力で構成された肉体であった。

しかし、アルトとの戦いの最中に割れた拳から噴出した血は紫色だったが、最後にモグラと戦った時は赤い血だった。そして、遺体を解剖してわかったことは心臓部から一切の紫の力が消え去っていたこと。この仕組みさえわかればアルトを救うことはできるはずだ。


「・・・・・・ん?」

考え事をしていたら、足元に何か当たったような感覚を覚えた。

気になり、足元を見下ろす。床に何かが転がっている。

天井のライトの光に反応して鈍く輝く球体。それは紛れもなく・・・・・・

俺はすぐさまそれを取りに行き、手に取り確認する。


「一体・・・・・・今までどこに消えていたというんだ?」


眠る。沈む。身体が何かにからみついたかのように俺はどこか深い場所に沈んでいく。

悲しみ、悲壮感、苦しみ・・・・・・

その世界にはそういったものがあふれかえっているようだ。

いろんな声が聞こえてくる。家族を失って悲しい。恋人を奪われて悲しい。殺されてしまって悲しい。夢が果たせずに悲しい。生きる意味が見つからなくて悲しい。


皆、何かを失って悲しそうだ。家族、恋人、地位、金、自尊心・・・・・・

悲しみとは、何かを失うことによって生じるものなのかもしれない。

よくこの世界は見えないけど、この世界の悲しみ、哀しむ嘆きの声の中にはすべて『消失』が関わっているように思えた。


「ああ、そうか。俺もその一人なのか」

悲しい。ただただ悲しくて空しい。虚しい。何もない。

自分の存在を確立してくれる人がいなくなって、愛した家族が、人がいなくなって寂しい。一人は嫌だ。ますます悲しくなってしまうから。自分の身体が冷え固まっていくようだ。

身体は段々、沈んでいく。身体がどんどん軽くなっていく。


悲しいな・・・・・・悲しいな・・・・・・


何もなくて、何も感じなくて、温かいものがないのは。


「そう、アナタは可哀そうな人。ここにいる人たちもみんなそう」

後ろからゆったりとした落ち着きのある女の人の声が聞こえてきた。声の方へ振り返ってみると白い布を体に纏い、金色の長い髪をさざ波のように美しくなびかせた・・・・・・女神がいた。


「すごく頑張って、力の限り頑張ったのに・・・・・・何も守れなかった」

その声はとても魅力的で、惹きつけられていく。


「ああ、俺は頑張った。たまたま持ちあわせたこの力だけど・・・・・・この力を、俺みたいに家族を失って、記憶さえもなくなってしまうようなことになる人間がいなくなるのならって思って・・・・・・みんなの日常ってやつを守れたらって思って。

だけど・・・・・・結局俺は守れなかった。ダチ一人も、家族も、愛した人さえもういない。

俺は今まで・・・・・・何をやっていたのだろうか。チヨがいなくなって、温かい帰る場所がなくなって俺は一人になった。だからもういいかなって思った。

俺は、力はあるけど所詮は人間だ。みんなの日常を守るために戦うだなんて事自体が、俺が抱えるには大きすぎたんだ。その結果が・・・・・・これだよ。

だからこそ思うんだ最初からチヨを守るためだけに戦っていたのなら、こんなことにはならなかったんじゃないかって」


女はただ黙って俺の話を聞いた。そして、しばらくすると俺の方へと向かってきて胸の前で抱きしめた。


「私もね、悲しい。アナタの話を聞いて悲しいの。すごく頑張って、人一倍いろんな事考えて、身体を張ったのに。アナタは何も得るものがなかった。それってとても虚しいことだよね。

私もね、身体を無くしちゃったの。ある人に殺されて、とても痛かった。だけどそれ以上に悲しくなっちゃったの。今までできたことが、やろうとしていたことが肉体を失ってできなくなってしまって・・・・・・」


「貴女(あなた)は、一体何をしようとしていたのですか?」


女は俺を優しく抱きしめたままささやくように話をつづけた。


「私はね、この星から・・・・・・この宇宙中、世界中から悲しみを消そうとしたの。仲間たちはいろんな野望があったようだけど、私はただただこれ以上、人間が悲しみ、苦しみ嘆く姿を見たくなかったの。ねえ、アルト。君はなんで人間が悲しむことになると思う?君は悲しみを味わってどうなりたいと思った?」


「どうなりたいか・・・・・・俺は消えてしまいたいと思った。消えてなくなってしまえば悲しむことなんてなし、苦しむこともないから」


「そう。人間が感情をもってしまったことが苦しみの根源的な原因なの。でも、感情というのはあまりにも私たちよりも上位の次元に位置するもの。だから私は・・・・・・人間をすべて消し去ってしまえば、この物質世界から悲しみは消えるんじゃないかって思ったんだ」


「人間を・・・・・・消す?」


「人間は争って、奪って、憎み合って・・・・・・そして憤慨し、怒る。そして連鎖は止まることはない。君も愛する人を奪われて怒り狂ったはずだよね。

そういった怒りの感情の根源はね・・・・・・悲しみなの。悲しみを味わいたくないから、消し去ってしまいたいから人間は怒り、嘆く。

でもそれじゃあこの鎖を断ち切ることはできない。だから消し去ってしまいたいと思ったのに・・・・・・私はシュラバに殺された。でも、もういいの。私にはアナタがいるから」


女は抱きしめながらより深く、深く世界に潜っていく。悲しみに満ちた世界に俺を誘っていく。


「アナタももう解放される。辛い世界からこの悲しい世界から。みんなで楽になろう?」


「貴女は・・・・・・一体?」


「私はスラ。『消失』のスラ。元世界政府樹立に関わったティリヤの一人。そして、憤怒の遣い。さあ、どうか力を貸してアルト。この星から悲しみを消し去るために」


女は優しく微笑みながら俺をずっと抱きしめる。その抱擁からは一切の温かさを感じることはできなかった。沈みゆく肉体に俺は・・・・・・抗うことができなかった。


「作業中にすまないな、急にみんなの手を止めてしまって」

俺は先ほど、アルトが眠る救護室の中に落ちていた黒い玉・・・・・・飛月が生前左腕につけていた黒い龍玉を皆に見せていた。部屋の中が突然の出来事でざわつき始める。


「黒い龍玉・・・・・・!今まで一体どこに消えていたのでしょうか?」


「俺にもわからない。龍宮の乙姫もこの件については一切知らないようだ」


「ですが、これが飛月君の持っていた物であるならば、分析すればもしかしたら!」


「ああ、これで昇華のシステムがわかるかもしれん!皆、必ずアルトを救い出すぞ!」

瞬間、本部内に警報音が轟き鳴る。いつも以上に騒がしく、あわだたしい音。


「キャプテン・・・・・・これは」


「間違いない、侵入者の警報だ!発信地は!?」


『・・・・・・お、俺です。聞こえますか、龍治さん』

警報音が鳴り響く中、放送で聞こえたのはヤブの声だった。


『侵入者では・・・・・・ありません。ですが・・・・・・』


「どうした!?一体何があった!?」

ヤブの声があまりにも弱弱しい。だが、ヤブは息切れの中懸命に話し続ける。


『あ・・・・・・アルトが・・・・・・アルトの身体が・・・・・・』

その話を聞き、俺は急いで科学技術班の部屋から出て救護室に向かう。

走ってわずかでその部屋は見えてきた。だが、いつものような青色の壁に隠れたその部屋の入り口は見るも無残なほどに壊れ、クレーターのように穴が開いていた。


至るところから白いガスが漏れ出している。これでは引火の危険性もある。

急いでヤブとアルトを回収して、ガスを止めねばならない!

救護室へ入ろうと近づくと、何か大きい人影がガスの中から飛び出している。

それは・・・・・・ドロドロと溶けだしたそれは、紛れもなく、人で在った・・・・・・

紫色のジェル状になり、こちらにゆっくりと向かってくる。それの身体は、腹から胸にかけて穴が開いたように、何もかもくなってしまった虚(から)であった。


「チよ・・・・・・ちよ・・・・・・」

何かを探しているそれは辺りを見回すように顔を左右に動かす。

ジェル状の人が俺達の方を見て動きを止める。

かろうじて残っていた瞼(まぶた)のない右目が、今にも落ちてしまいそうなほどに開かれたその目が、俺たちに訴えている。『悲しい』と・・・・・・

そしてそのドロドロの身体が突然、紫色の鈍い光を放った!


「グッ・・・・・・」

光は一瞬激しく光、その光が晴れるとそこにいたのは一匹の生き物。

狼のような身体の毛は逆立ち、真っ赤な目はとてつもない威圧感を放つ。

背中にはまるで架空の世界の物のような翼が生え、その姿は紫色の悪魔のようであった・・・・・・!


声が聞こえる。誰かが俺の名前を呼んでいる。だけど、その声はあまりにも遠くてはっきりと聞こえないから気のせいだと思う。

もう俺は行かないと。止めないでほしい。止めないでくれ。止めてくれるな。

悲しみを終わらせるにはそれしかないのだから。

俺はもう自分にも、誰にもこんな気持ちは味わってほしくない。

ああ、これこそきっと。みんなの日常を、温かい日々を守るために必要な事なんだ。だから動こう、活動しよう。寝ている場合じゃない。


『さあ、アナタの力で悲しみを消し去って。大丈夫、アナタになら絶対できるから』


冷えた心がさらに凍えていく。温かい・・・・・・温かい帰る場所が欲しい。

でも、前に何かあるから。

それを何とかしてからじゃないと。

全部終わったらまたチヨもきっと来てくれる。

それまで頑張って・・・・・・悲しみを終わらせよう。


狼がこちらに向かって鳴き叫ぶ!ダメだ、何回呼んでも気が付かない!

「アルト、ダメだ!飲み込まれるな!戻ってこい!」

アルトが俺に向かって突進をしてくる!

俺がアルトの攻撃を躱すと、アルトは頭から壁に突っ込み壁にクレーターができた。

何事もなかったかのようにアルトが素早く、俺の方へもう一度突っ込んできた!

もう一度俺は躱すために身構えると、後ろから放送を心配した科学技術班のメンバーがこちらに駆けつけてきてしまった!


「・・・・・・!来るな!」

だが、もう遅い、狼の素早い動きはもうじき俺の方へとやってくる。

躱せば後ろの仲間がやられる。躱さなかった場合は俺に牙をむくだろう。

だが、俺には一切の攻撃が恐らく通じない。

それがわかったらきっと他の仲間のところに行ってしまう。

そうすれば、理性を失ったアルトは俺と同じような殺人を犯す事になってしまう・・・・・・

ならばもう・・・・・・やるしかない!

俺は向かってくる狼に拳を突き出す!

その拳は狼の腹部に辺り、壁の方へと吹っ飛んでいった!

殴った瞬間、アルトに突き出した左拳が紫色に染まっていく。どうやらこれが婆さんの言っていた俺がかけられた呪いのようだ。

だが、俺はまだ死ぬわけにはいかない。アルトを元に戻さねばならない!


「ウオオオオオオオオ!!!!!!!!」


腕の方へと紫の色が浸食していく。だから俺は・・・・・・腕を引きちぎった。


「グウッ・・・・・・・・!!!!!!!!」


左腕の肘から下の部分をちぎり、俺は床へと投げ捨てた。腕から流れ出る俺の血の色は・・・・・・赤かった。

どうやら呪いが全身に行き届く前に腕をもげたようだ。


「アルト・・・・・・」

俺は狼の方へ向かう。その身体は動かず、ピクリともしない。加減はしたから恐らく殺してはいない。だが、問題はどうやって戻すかだ。

アルト・・・・・・お前はどうしたら戻ってきてくれるのだ・・・・・・

出血の量が思ったよりも多く、俺はそこで意識を失った。

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