第48話 昇華

              昇華

・・・・・・

黒いトンボ・・・・・・

あれは一体?

紫色の沼の上で凛と咲くあの蓮の上に立つ一匹のトンボ。

彼は俺の事を見つめる。気づくとそこには俺しかいなかった。

足元には、黒い玉がゆっくりと俺の足へ転がってきていた。


目を覚ますと見たことがない天井。

だが、明らかに俺たちの施設の天井であった。しかしそれは俺が思っている以上にひびが入り、ガラガラ砂利のように小さな瓦礫が落ちてきている。


「お目覚めですか、キャプテン」

声がする方を見ると長倉とその他の仲間たちが表情を暗くしていた。

俺は体を起こそうとしたが、あることに気づく。あるべき場所にあるものがない事に。


「そうか、そういえばそうであったな」

腕がない事に気が付くとジンワリと切り口に痛みが出てくる。見ると俺が腕をもいだ場所には包帯が巻かれていた。


「すみません、龍治さん。ヤブさんは意識が戻らず、なんとか出血を抑えるぐらいの応急処置しかできませんでした」


「ヤブは生きているのか?」


「意識がないだけです。呼吸はあります。出血量もそこまで多くはありませんでしたので龍治さん同じく緊急の処置のみ行っています」

どうやら、仲間たちがヤブの代わりに治療をしてくれていたようだ。出血自体は精神的に余裕があれば体氣で押さえることができたが、切羽詰まったあの場面ではそんなことをしている余裕がなかった。それに気絶している最中に血を抑えることはできない。皆がいなければ俺さえも危なかった。


「助かった。ありがとう皆」

天井の明かりはつくことなく、懐中電灯やろうそくで周りを明るくしている。その暗闇はさらに不安を煽るかのように仲間たちの表情は曇っていく。


「アルトは・・・・・・?」

仲間たちがしばらく黙り込む。辺りがシンと静まり返る中、長倉がその静寂にピリオドを打った。


「ミスター・アルトの姿は・・・・・・元に戻りません。現在、キャプテンが加えたであろう一撃により活動を停止している状況です。しかし、紫の反応が未だに残っていますし何よりも身体が泥のようになって消えていない」


「一応、生きているということだな」


「・・・・・・はい」

アルトは生きている。だが、果たしてあの状態のアルトを生きているといっても良いのだろうか?

アルトはもう完全に人の身ではなくなった。このまま再び目を覚ませば化物として暴れ出す可能性がある。そうなった場合、アルトは人を殺すだろう。では、俺に何ができる。あいつを人でいさせるために、俺は何をすればいい。


「・・・・・・なあ、皆。俺は何もかもをアルトに背負わせ過ぎた。リードも精神的な負荷をかけない方が寿命は延びると言っていた。なのに、俺はアイツに何もしてやれなかった。だから・・・・・・」


「ミスター・アルトをせめて人として終わらせる、それもキャプテンの手で。ですがそうすればもうキャプテンの命が」


「だからこそだ。すべての責任を持ち、アルトが再び攻撃してくるのならば俺が終わらせる」


「・・・・・・死ぬことは責任を果たすことではありません。それにミスター・アルトもいなくなり、貴方までいなくなればとうとうヤマタノオロチへの対抗策はなくなります」


「・・・・・・」

どうすればいい。俺の頭の中は後悔で溢れかえっている。アルトを組織へ勧誘していなければ、人類は滅亡していたかもしれないがアルトは最期までチヨ君と普通に暮らしていけたはずだ。何も知らず、何もすることなく、何も背負うことなく。

アイツに背負わせてしまった、ここまで追い込んでしまったのは紛れもなく俺だ。大人として、一体何ができるというのだ。

俺の心は、部屋の暗闇に比例するように暗くなっていく。暗闇・・・・・・深く黒い。それはすべてをその一色に染めてしまう。


「黒・・・・・・ハッ!」

俺はこの部屋の状況の中で夢のことを思い出した。黒いトンボ、それは紛れもなく飛月のトンボの姿を連想させるものであった。そして飛月に関連しているものは・・・・・・


「長倉!黒い、黒い龍玉はどこにある!?」


「え?黒い龍玉ですか?でしたら、ここに」

長倉が上着の懐の中から黒い龍玉を取り出した。以前のように姿を消してはいなかったようだ。黒く暗い救護室の中でも特に異質で、目立つ黒。


「これならば・・・・・・!」

俺はすぐさまベッドから跳び起き、アルトが倒れ眠っている廊下へ走っていく。後ろの方で俺のことを心配する声が聞こえてきたが、申し訳ないが気にしている場合ではない。


沈みゆく、沈みゆく。そこは悲しみに満ちた冷たい世界。

沈んでいく、沈んでいく。悲しみの声を聞きながら。

一体どこに繋がっているのだろうか、果たしてどこに行くのだろうか?

悲しい。悲しくて悲しい。みんなが嘆いている。

どうして生まれてきてしまったのかな。

こんな気持ちを味わうぐらいなら生まれてこなければよかったのに。


ああ、いっそのことこのままずっとこの哀傷の沼の中で・・・・・・


これ以上はもういらない。もう愛したくない、もう何もしたくない。だからもう・・・・・・

それだったら、スラの言う通りかもしれない。感情というものがなければ、それを持つ生物がいなくなれば誰も俺みたいにならなくて済む。

そうだというのならば、俺は・・・・・・


「嗚呼、嘆かわしい。かわいそうなアルト。でも大丈夫。この場所こそがアナタの居場所よ。ここならば何も起こらない。これ以上悲しむことはない。ここには沢山のアナタと同じ心境を抱いた人がいる。アナタは一人じゃないのよ」


そうか・・・・・・ここが俺の居場所なのか。なら、ずっとここにいてもいいかもしれない。これ以上傷つくことのない空間で、みんなで悲しみに打ちひしがれてながら。

じゃあもう、別に人間で在る必要もないな・・・・・・


「そう、アナタはもう人間である必要はないの。もう、変わってしまっていいの。だから思いっきり自分をさらけ出しちゃっていいのよ」

スラが俺を抱きしめる腕を放し、掌を俺の顔の前に突き出してくる。その掌からこの世界よりも濃い紫色のエネルギーのようなものが放出されている。


「さあ、アルト。アナタもこの世界と一心同体になるの。大丈夫、全く痛みはない。ここは靈界と物質世界の間(はざま)だから、ここで死んでしまえばアナタはもう人間にも、他の生命体にもならなくて済む。さあ、私たちと一緒に終わらせましょう」


スラの手が俺の口の中に入ってくる。痛みもなければ違和感もない。

だけどすごく冷たくて、今にも吐き出してしまいたいものであった。

身体が段々溶けていく。足から、手から。徐々に、徐々に。この世界と一体化して、俺の身体は悲哀そのものに変わっていく。

ああ、これで全部終わる。終わることができる。終わらせることができる。

これでみんな、これ以上悲しみを味わうことのないこの世界で過ごすことができ・・・・・・


(変わっていません。変わっていませんよ、アルトさんは・・・・・・)


・・・・・・!チヨ!?


(昔から自分のことは二の次にして、人一倍頑張っちゃって。でもそのくせに人一倍傷つきやすくて、繊細で、不器用で、人の痛みや悲しみに敏感で、自分のためじゃなくて人のために泣いてあげられる。それが5年間アナタをずっと見てきたアルトさんなんです。例えアナタを取り巻く環境が変わったり、何か外的な要因でアナタが変わったと言い張っても、アナタのその根底にある『優しい』在り方は変わらないんですよ)


チヨなのか!?一体どこから・・・・・・


「この声は、アースの宿主・・・・・・余計な事を!」

スラが余った方の手で周囲を見えないエネルギーのようなもので薙ぎ払う。だが、何も起こらない。


(アルトさん、ありがとうございました。私はアナタからたくさんの物をもらいました。たくさんの思い出をもらいました。たくさんの愛をいただきました。ここまで来てようやく、アルトさんが今までどんな気持ちで、どんなことをやってきていたのかを知ることができました)


「クソ、しゃべるな!この男を唆(そそのか)すな、アース!」


(アルトさん。アナタはずっと私のことを想ってくれていたんですね。とても嬉しい。だからこそ私は、アナタに救われたあの日からずっとアルトさんのことが好きでした)


「聞くな、アルト!やつは亡霊、もう肉体もなければ意志もないはずだ!」


(黙っててください!それはアナタだって同じでしょ!・・・・・・アルトさん、私に失った愛をくれたのはアルトさんです。私が人に生まれて・・・・・・アルトさんも人として生まれて。そのおかげで私はアナタと出会うことができたんです)


「鬱陶しい、煩わしい!この男を人間に戻そうというのか!無駄だ、こいつはもう戻らない!我が悪神の一部になり、この星いや、この宇宙に生きるすべての知的生命体の悲しみを取り払う装置になるのだからな!」


(アルトさん。アナタは何があっても変わらない。ごめんなさい、もしかしたらこれは呪いみたいなものなのかもしれない。人じゃなくてもいい、そんなものにこだわる必要はない。だけど、私はアルトさんに、アルトさんらしくいてほしい!だから、こんな悲しみにずっと打ちひしがれているような世界は、アルトさんの居場所じゃない!)


突然、紫色に染まった世界に似つかわしくない光輝く桃色の尾がスーラの身体に巻き付く。そして、スラの腕が俺の体内から出てきた。


「アース!一体何の真似だ、アースッッッッッッ!!!!!!」


(悲しみ、そして哀しみ。そういったものは絶対生きていなければ味わえない。確かにスラ、貴女の言っていることはそのとおり。だが、同時に感情と肉体がなければ愛というものを知ることもできないのでな)


「お前、まさか・・・・・・人類に加担するのか?一度殺され、またしてもこの男に殺されて、もうかつてように『大いなる存在』に戻り果てたお前がそこまでして何故人類の身かtに着く!?」


(愚問だな。ただこの宿主の環境の居心地がよかっただけだ。ただの気まぐれに過ぎぬ)


「ふざけるな!何故だ!?私はただ、お前に会いたかった!だから色欲の悪神を呼び覚まし、悪心の力で復活させようと思っていたのに!」


(・・・・・・スラ死んでも尚、悲しみに囚われ、『消失』に焦点を合わせ続ける人間よ。その消失に、いい加減飽きは来ないのか?)


「・・・・・・なんだと!」


(人間は進んでいくものだ。悲しみや怒りさえも押しのけて。なのにお前は『消失』にばかり気を取られ、成仏もしそこね・・・・・・スラ、今のお前は永遠に哀愁を集めるだけの、自分の世界という殻に閉じこもったエゴイストだ)


「・・・・・・ふざけるなァァァァァ!!!!!!」


未だかつて、ここまで怒り狂ったような人間を見たことがないほど、彼女は憤慨していた。


(アルトさん)


「チヨ・・・・・・」


(ずっと見守っていますよ。大好きです、アルトさん)

ふっと身体に重みが起こった。この沼の世界と一体化が始まっていた身体が元の人間の形に戻っている。


「チヨ・・・・・・チヨ!」

スーラに巻き付いていた尾が消え、解放されたスーラは怒りの形相を俺に見せる。


「アースめ!何故だ、何故なのだ!?私にその愛で答えてくれ!」


「スラ、俺をこの世界から解放してくれ。俺は、決してお前さんの言っていることが間違いとは思えない。だから、できれば争いたくはない」


「だが私の思想を止めるのだろう!?この世界から解放されたいのだろう!?ならば戦うしかない!」


・・・・・・やっぱりそうなるよな。この世界と一体化して、この人の気持ちも、他の人たちの悲しみの気持ちに触れてなんとなく思った。この人は本当に世界から悲しみを消し去りたいだけなんだ。その気持ちが強すぎて、死んだ後も靈として境界線を動くことができるんだ。


「しかし、お前はどうするアルト!?靈体ではなくなり、徐々に物質世界の肉体へとその魂が戻りつつあるお前が、果たしてこの境の世界で私に勝ち目はあるのか!?ここで私に殺されれば、ずっとこの世界の中でお前は正気を保ったまま悲しみと嘆きの声を聞くことになるぞ!

それにバベルの力に一度完全に侵されたお前はもう抑止の力を行使できない!ハッキリ言ってお前に勝ち目はない!

さあ、もう一度この世界と一体化し、すべてを終わらせよう、アルト。お前の力があれば、私は確実に『ノア』と同等の力を持つことができる!さあ、もうシュラバのように戦う必要もない。人間を・・・・・・人間で在ることを辞めてしまえ立花在人!」


・・・・・・


「それでも、俺は!」

そうだ、スラの言う通り。人で無くなれば、この世界に居座ればこれ以上の痛みも嘆きも悲しみも味わうことはない。だけど、俺はこの冷たい世界にこれ以上いたくない。

俺は・・・・・・


「俺は・・・・・・人間だ!」

瞬間だった!

俺の左腕に何か違和感が起こる。見てみるとその腕にはとても見覚えのある、アイツの黒い籠手が在った。黒い龍玉を手の甲の部分につけ、骨のような造形のそれは紛れもなく、飛月の物であった。


「飛月・・・・・・」


「なんだ、その籠手は・・・・・・?なんだその黒い龍玉はアアアアアア!?」

俺は拳を握りしめ、左腕を右肩の方に持っていく。

俺の意志に呼応するかのように黒い龍玉は点滅する。そして鼓動するかのような黒き輝きを放つ。


「ありがとよ、兄弟。俺もお前も・・・・・・ずっと人間で、ずっとダチだぜ!」

黒い光が鋭い金属音のようなものを発生させながら俺の身体を包み込む!その音はまるで龍の咆哮のようだ・・・・・・!


そして、その光は冷たくも、温かくもなく。ただひたすらに・・・・・・曖昧なものであった。



「な、なんだその身体は!?抑止の力ではない。他の龍玉の力でもない?黒い、ただひたすらに黒い・・・・・・そしてその紫色の瞳と黒の龍玉と交じり合った紫色の龍玉!?一体何なんだ!?立花在人!?お前は一体何者なんだ!?シュラバから継承した抑止の力だけではなかったのか!?」


「さあな、俺が誰であってもいいだろう。ただ決して変わらないことがある。それは俺が人間で在ることだ」


「・・・・・・想定外、想定外だ!ふざけたことをッッッッッッ!!!!!!」

スラの身体が薄暗い白い光に包まれ、その本性を現した。

その姿はまさしく爬虫類、トカゲのようであった。整い、綺麗であった顔は見る影もなく、豊満な胸は男性のように筋肉が隆起し、身体全体が先ほどまでの華奢な人の姿からは一切連想のできないものとなっている。


「シュラバ・・・・・・いや、立花在人。お前たちはどこまで人の邪魔をすれば気が済むのだ!」

スラが怒りに身を任せ俺にとびかかってくる。何回も何発も俺にエネルギーを纏わせた拳と蹴りを入れてくる。

だけど、何故か俺はスラの攻撃の動きを読むことができた。まるで先に何が起こるのかを分かり切っているように・・・・・・


「どうした立花在人!弱い、弱すぎるぞ!躱してばかりいては何も出来ぬ!所詮、金の力のないただの人間、恐れるに足らないわ!」

金色の鎧を纏って戦っていた時よりも確かに圧倒的に力が弱くなっている。これでは押し切られてしまう。

だけど、俺はそれ以上にこいつとは戦いたくなかった。


「スラ、俺をここから出してくれ。もう、それでいいじゃないか。確かに人間は怒りもするし、悲しみもする。だけど人間の感情はそれ以外にもたくさんある。喜んだり、嬉しくなったり。悲しみという一面だけを見ていては生きていて辛いだけじゃないか!?」


「お前の言う通り、感情には沢山の側面がある。だがそれを肯定するわけにはいかないのだ!そうすれば世界は永遠に悲しみに包まれ続ける!

レアスとの戦いも、かつての文明との戦争も人類が巻き起こした殺戮もずっと終わらない!永遠にだ!ずっと続いていく!

立花在人、お前が我が憤怒の悪神の一部となれば抑止の力を使ってすべてを終わらせることができる!だから、邪魔をするな!」


「・・・・・・!」

攻撃が来る直前、直感的に俺はこの黒い力が何なのかを知ることになった!

そして、俺はわざと重く、想いの込められた一撃を食らった!

胸に強烈な重みがやってくる・・・・・・これが、スラが8000年以上詰め込んできた思いなのか!


・・・・・・誰も悲しむことのない世界。

誰一人傷つくことのない世界・・・・・・

それはきっと素晴らしい物だ。だけどその果てに人類の、人間の未来がないというのならば戦うしかない!


「オラッッッッッッッッ!!!!!!!!」

重すぎる一撃に意識を持っていかれそうになるも、俺は気合と根性でスラの顔面を殴り返した。

スラが殴られた勢いで後ろに倒れ込む。


「ああ、そうだよ。お前が夢見る世界はすげー綺麗だし、すげー幸せに満ちた楽園のような世界だ。だけどよ、本当にそんな世界があるのか?それにお前はこの世界の悲しみに満ちた人々を使って得た世界は、本当にそんなお前が夢見る世界なのかよ!?」


「先ほどよりも力が増幅している・・・・・・?その力は一体?」


「んなこたぁどうでもいいんだよ!俺はとにかく、お前さんとは戦いたくねえ。この世界と融合しかけてわかったことがあった。他のティリヤ人とは違ってアンタはただ夢を見ていただけで俺以外に手出しすることは今までなかった。この世界の声も、お前がただ悲しんでいた人たちから、その悲しみを『消失』させていただけだろう・・・・・・だから戦う理由がない」


「いやあるぞ、立花在人。私はお前を唆し、我々の悪神をより強くするための材料にした。そして大道龍治の腕を間接的とはいえ奪ったのは紛れもなく私だ」


「・・・・・・それは俺の、いや人間としての弱さのせいだ」


「悲しむことを、怒ることを人間の弱さとするのか?」


「いや、そうじゃない。そういったことは人間で在れば抱いて当然のものだ。だけど俺はチヨを失ったことを受け入れられなかった。

・・・・・・それが俺の弱さだ。人の死を受け入れ、また先へ進むのが人間の強さ。俺にはそれが足りなかったんだ」


「桜田千世を殺したのは紛れもなく人間だ。お前はそれさえも許容するというのか?」


「しないさ、できるわけがない。だけど人間みんながあんなクズたちではないことも良く知ってるのもまた事実だ。人の負の側面だけ見て、善の在り方の人間を見捨てたくはない」


「・・・・・・その心は果たして人間の物なのか?大事な人を失い、それでも希望を見続ける事を人間の強さとでも言うのか?」


「何を以て人間の強さと断定するのかなんて俺にもわからない。だけど、少なくとも旦那が腕を失ったのは、お前に付け込まれるほど精神を弱らせた俺のせいだ。だからこそ、帰ってしっかりと謝らなくちゃならない。ちゃんと人間の身体に戻ってな」


「鋼・・・・・・まさしく鋼よな。昇華した人間の心は。飛月未来も、お前も。何かを失っても尚、生き続ける。その在り方はまるで鋼だ。人間を捨てている。いや、人間を超えている」


「人を堅物みたいに言いやがって。悪いが、俺はずっと人間で在り続けるぜ。こだわりがどうこうじゃない。繋一さんに拾われて、チヨに出会って、みんなと出会って、他者を愛して・・・・・・それもこれも人間として生まれてこなければできなかった経験だ。俺は人間が好きなんだ。だから、そう 在り続けたい」


「・・・・・・ならば猶更、私も引き下がるわけにはいかない。私は人間が嫌いだ。争いを生み、悲しみを引き起こす私たちが嫌いだ。立花在人、お前のような人間がこの宇宙に沢山いればまた違った人間の可能性を見ることができたのかもしれないな」


スラが沼の世界の空間を切り裂く。その中から出てきたのは西洋のドラゴンのような顔をした馬のような獣。

それは俺に襲ってくることなく、突然溶け始め、スラの身体と合体していく。

下半身が馬と一体化し、ドラゴンのような翼を生やしたそれはもう、獣そのものであった。


「立花在人、最終的に人間はぶつかり合う。昔から、そして私もお前もだ。互いの主張を通すためには優劣をはっきりしなければならない。それさえなければ、きっと誰も涙を流すことがないというのに・・・・・・」


「・・・・・・俺の戦う目的は、日常を、人間を守るためだ。お前がここで俺を倒し、人類を滅亡させるというのなら、それは止めなければならない」


「悲しいな、互いに戦うというのは」


「ああ、悲しいさ。この世界と一体化を少ししたおかげで、お前さんが本気なのがよくわかっちまったから猶更な」

スラは俺に向かって突進してくる。とてつもない速度のそれは俺の身体を軽々と吹き飛ばした。


「グウッ・・・・・・」

沼の世界に身体をたたきつけられる。肉体はない為痛みはない。だけどアイツの心が、抱いている信念が真っすぐに伝わってきて、それがただただ重い。重くて、想い。想過ぎて辛い。

気持ちを解放するっていうのはこんなにエネルギーを生み出すものなのか?


「立花在人、先ほども言ったが魂のお前が私にこの世界で負け、死亡すれば肉体には二度と戻れない。感情を失い、魂を失ったお前を悪神の材料にできないのは残念だが仕方ない。この世界に顕現した魂の記憶から構成された仮想の肉体も、時期に消えるだろうな」


「ハアッ・・・・・・ハアッ・・・・・・じゃあさっさと戻らねえと。お前を説得できないなら、やるしかねえよな」

俺はスラに向かって走り出した。

そして何回も、何回も拳を突き出す。

その度に何度も吹き飛ばされては踏みつけられ、宙から落とされて。だんだんと意識がなくなりつつあった。


だが、スラから攻撃を食らうたびに力が増幅していく。それが黒の力なのだ。

次第に金の力を纏った時の状態を超えて、巨大化したときと同じぐらいの感覚になっていく。

スラもだんだんと俺の動きに対処できなくなり、息を上げ始めた。


「何なんだ・・・・・・本当に何なんだお前は!?その黒い力といい、お前の立ち上がりといい!いい加減に諦めろ!金の力を失ったお前では私に勝ち目はない!」


「ざ、ざけんな、諦めたくねえ。諦めるわけにはいかねえんだよ。だってよ、俺一人殴るだけでそんなに辛そうにしてるお前さんが、人間全員を殺してすべての悲しみを終わらせるだなんて、辛すぎるじゃねえか。お前さんの言う誰も悲しむことがない世界ってのは、お前さんが悲しみをすべて背負うことによって出来上がるってのか?

じゃあ前言撤回だ。そんなもん、素晴らしい世界なんてもんじゃねえ。歪みまくったただのジャンク品だ。欠陥品もいいところだぜ」


俺の発言に今まで以上の怒りをスラは表す。そして、今まで以上の速度と重さのある殴打を俺にぶつけてくる。


「ふざけるな!だったらどうすればいい!?どうすれば、悲しみをこの世界から消すことができるのだ!?」

重い。身体の中すべてが抉られていくような感覚だ。気力がごっそりと奪われていく。しかし、それに反するように力が増幅していく。

ああ、言いたくねえ。言いたくねえけど、戻るためには伝えるしかない・・・・・・


「スラ」

俺は攻撃を食らいながら腹を括る。これから伝えることはこいつにはとても残酷で、とても悲しい現実である。


「諦めろ」


俺は右腕にエネルギーを込め、スラの胸元に拳を叩き込む。拳とぶつかりあった胸は鈍い音を立て、そこには穴が開いていた。

果たしてその穴は俺の一撃が空けたものなのか?それとも、8000年以上積み上げられてきた想いが空っぽになってしまったせいなのかはわからない。

スラの攻撃が止まる。俺は足を沼の表面につけ、彼女を見上げる。


「冷たい・・・・・・冷たい拳だ」


「・・・・・・そうだろ。これが、お前が夢見た世界の末路だ。そんなもんどこにもありはしない。全員が幸福で幸せになれる世界はもしかしたらあっていい物かもしれない、だけどそれが誰かの犠牲を以てして成立するだなんて俺は許容できない」


「・・・・・・全員が幸福になれる世界?それこそ、どこにもありはしないだろう」


「いや、わからないぞ。この先、人間がもしかしたら俺達よりも進化して新たな世界を創るかもしれない」


「ありえない。ありえないな。そんな古代文明の頃のような文明レベルを再びこの星で再現するなど。少なくとも、お前のこの冷たい一撃がそれを証明してくれている。拳を振るえさせ、誰よりも冷え切り、冷たくなったお前の心がそれを物語っているではないか」


「・・・・・・」


「だが、もし本当にそんな世界があるというのならば見てみたいものだな」


「・・・・・・そうか」

俺にはこの一言しか返すことができなかった。8000年以上抱き続けてきた想いを、肉体が亡くなっても抱き続けたその気持ちを壊してしまった俺は何も言うことができない。


「立花在人」


「・・・・・・なんだ?」


「我らが王にはその程度の力では勝つことは絶対に不可能だ。どのぐらいの力をもって復活してきているかはわからないがな」


「・・・・・・ああ」


「立花在人」


「・・・・・・なんだ?」


「私を殺した罰だ。お前の言ったその世界を私に見せてみろ。残り少ないその寿命で、一体どこまでできるのか見物であるな」


悲痛な高笑いを立てながら、スラと纏った獣が崩れていく。砂の作り物のように。

その最期はあまりにも刹那的で、悲壮的な幕引きであった。


「何ができるか・・・・・・せめて、後のやつらに託せるぐらいのことはしないとな」




走る。停電になり薄暗くなった廊下を俺は必死に走る。

いつもならばもっと速く彼が倒れる場所にたどり着けたかもしれない。だが、今は腕と血を失いアンバランスな状態であるためいつもの感覚で走ると転びそうになってしまう。

そして、彼が倒れこんだ場所に辿り着くころには息が完全に上がってしまっていた。息が上がるなんて何年ぶりのことだろうか。少なくとも、こちらの世界に来てからは初めての出来事である。


「これを使えば・・・・・・頼む、飛月。もう一度だけ俺たちを、アルトを助けてくれ・・・・・・」

不甲斐ない。獣やティリヤ人たちとの戦いが始まってから、俺は何もできていない。

仲間を戦場へと向かわせ、挙句に死なせ、大切なものさえも、俺が彼らから奪ってしまった。

そして、今は亡き仲間に救いさえ求めてしまう。まるで窮地に立たされた人間が神にすがるかのように。


人類最強と言われた男も、所詮は人間。この力さえあればなんでもできるし、どんな者でも守り通すことができると確信していた。そんなかつての自分を殴りつけてやりたい気分だ。

俺は狼のような姿になり、仰向けに倒れ込んだアルトを見つめる。俺に殴られた胸元が凹み、そこだけ深く、影ができていた。


「ここは・・・・・・前までアルトの心臓、龍玉に変わった部分だったな」

人間が、少なくともこの星の人類に属する生命体が生存するために必要な心臓。それさえもアルトは抑止と一体化し、失っていた。

それもこれも、運命なのか。それとも俺がやはり彼を戦わせてしまったからなのだろうか。


・・・・・・!

胸元がうっすらと輝き始めた!俺たちを照らし続けたあの輝きだ!今までの輝きには勿論届かない。だけどその光は、紛れもなく金色の光である!


「アルト!」


アルトはまだ生きている!紫の力に飲み込まれ切っていない!まだ生きているのだ!

バベルの力に飲み込まれた者はもう戻ってくることはない。強化人間で在り、獣の身体の一部を移植された飛月は例外であったが、抑止の力を持つアルトもその例外であったのか!?

それとも・・・・・やはりコード:ファーストが!?


「いや、そんなことはどうでもいい!アルト、どうか受け取ってくれ!」

俺はかすかに光輝くその胸に、黒い龍玉を入れ込んだ。

ドクン・・・・・という強い鼓動が一度だけだが周囲に響く。輝きは止まり、静寂が続いた。


「・・・・・・アルト」

瞬間、龍玉がアルトの身体の中に吸い込まれるかのように入っていく!化物となったアルトから、黒い光が放出される!


「何が起きている!?」

黒きその輝きは薄暗いささえ呑み込んでしまうほどに深く、そして、金色の輝きや虹色のオーラとは全く別物と感じてしまうほどに冷たさを彷彿とさせる。光輝いているものの、全くと言っていいほど眩しさを感じ取れない。温かさを感じさせる太陽とは違うどこまでも人工的な輝き・・・・・・!


一体何なのだ、この龍玉は!?


だが、眩しさのないおかげで何が起こっているのかの一部始終を、俺は見ることができた。

狼のように毛が立った全身は段々と人の姿に戻っていき、ジェル状に腕や脚も、そして落ちてしまった左腕も元に戻りつつあった!

輝きがゆっくりと消えていき、俺はその全貌を見ることになる・・・・・・


金色の力を纏っている時のアルトとは全く違う容姿であった。全身真っ黒なボディ、そしてどこまでも深い紫色の瞳。変化するたびにひと際目立っていた金色の龍玉はそこにはなく、紫色と黒色が合わさったような龍玉になっている。どちらかといえば、巨大化して適合率を上げた時に、金と赤が交わったときと同じような姿だ。


逞しい黄金の角は影も残さず消滅し、完全に人類の姿そのものであった。

決定的に金の力を纏った時と違うものは、瞳の下から何本かの薄い紫色の線が流れているかのように蠢いている事。

それはまるで、涙を流している人の姿で在った。

そして、再び黒い光に包まれたかと思えば、すぐにその輝きは消滅した。

そこにいたのは、紛れもなくアルトであった。化物の姿ではなく、元の姿の人間で在った。


「・・・・・・旦那」


「アルト・・・・・・お前は」

アルトは体を起こし、薄暗い本部の天井を仰ぎ見る。

きっと、誰かを見ているのだろう。もしかしたら、チヨ君や飛月が本当に助けてくれたのかもしれない。

そして、アルトは俺の方を見て、少しばかりの涙を流しながら優しく微笑む。


「・・・・・・ただいま」

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