第5話 ねずみあれ

 ねずみあれ

 『チンチラの光』より


「ケーブルをしまいなさい!チンチラはケーブルをかじるものです!」

「おまえ今までケーブルなんかかじったことないだろう!」

「かじりたくなったときがかじるときです!」

「わかった!片付けるから!かじるな!」


 ごまもちが今にもかじるぞと言わんばかりに床のケーブル周りをうろうろ四つ足で歩き回るので、おれは狭いコクピットの床に這いつくばり、不要なケーブルを取り外し、しまう羽目になっている。

 輸送船荒野のチンチラ号は東京都足立区を指す座標に向けて自動航行している。俺にできることは蟹骨格の追手が来ないことを祈ること、あとはコンテナ室の段ボールをあさってはその中にある非常食を食うこと、それからごまもちの世話をし、促されればごまもちをカイカイしてやることだけだ。

 こんな生活では時間感覚を失っていくので、毎日時計を見てカレンダーにしるしをつけることにしている。


 三月のカレンダーをむしり取り、四月一日のマスに赤ペンで斜め線を入れる。俺には大して意味を持たないが今日から新年度だ。新しい蟹骨格警官の就任の日でもある。あのおかしくなってしまった三年目のワタリはもうこの世にいない。


「あ、ごまもち!リモコンのスイッチを噛むな」


 ごまもちからテレビのリモコンを取り上げ、俺はコックピット天井の角に据え付けられたテレビに向かって赤い電源ボタンを押した。四月一日はどこのチャンネルでも蟹骨格警官の就任式しかやっていない。

 これまでは興味がなかったが、今年は見なくてならないような気がした。あの俺の命を救ったおかしな蟹骨格警官のことが頭によぎるからだ。

 テレビの中では晴れた海のような青い色のホールに生まれたばかりの蟹骨格警官たちが並んでいる。カメラは隊列の中央の演台に向けられている。演台の上にはいくつものマイクが並び、まるで枝サンゴだ。

 蟹骨格警官の就任式は引継ぎ式も兼ねている。造られたばかりのまだ殻もやわらかい蟹骨格警官が集められ、三年を全うした蟹骨格警官から作られたスープを飲み、彼らの経験を体内に取り込む。不要なノイズを取り除いた経験を新しい蟹骨格に受け継がせることで組織の成長を促し、健全性を保つことを目的にして行われているらしい。……これらはワタリが去ってから、少し調べた。

 異星人と人間の妙な力関係と利害関係のために生まれ続けるミュータントとその維持機構。

 おれは操縦席に腰かけてテレビを見上げる。ごまもちは床を蹴って、俺の腹を駆け上がり、肩の上で落ちついた。じっとテレビを見つめてゆれるヒゲが頬にあたってくすぐったい。

 俺はなんとなくワタリが置いていった、似ていないチンチラのぬいぐるみを手に取った。ごまもちと同じ白い腹毛、しかしそれ以外はチンチラらしからぬ薄い紫の毛におおわれたぬいぐるみのチンチラ。よくみると糸が出ていたり、毛足に埋もれた樹脂の黒い瞳に傷があったりとボロボロだ。ワタリの制服の中に隠されていた細い副腕を思い出す。両腕の強力なカニ爪ほどではないが、あれも十分鋭い。だからチンチラと暮らすことはできない。

 テレビを注視していたごまもちがびゃ!っと声を上げた。


「ワタリです!」

「いやちがうだろ、ワタリはもういないんだ」


 あの奇妙な蟹骨格警官はバラバラに解体されてもうすでにスープにされているはずだ。もしくは砕かれる前にエラー個体としてはじかれているかもしれない。落ち着かない気分になって俺はぎゅむぎゅむとぬいぐるみを、うにまるを揉んだ。


「ワタリがいっぱいです」

「まあ確かに見分けはつかないが」


 蟹骨格警官たちは全く同じ紺色のコートのような制服着て、同じカニの顔で並んでいる。あまりにも等間隔に少しの狂いもなく並んでいる。

 先頭に立っていた一体の蟹骨格警官が白木の演台の前に立った。まだ柔らかい暗い青色のハサミを顔の前に出し、感覚を確かめるように爪を二、三度動かす。すべての人間たちと、そしてどこか遠い星系で聞いているはずの異星人たちへ蟹盟約宣言が始まるはずだ。新しい蟹骨格警官の前のマイクが外骨格のこすれあうわずかな音をノイズとして拾っている。


「聞こえますかすべてのものよ。自分たちはチンチラになりたい」

「は?」


 チンチラ。テレビのスピーカーからは確かにそう聞こえた。思わず握りしめたせいでうにまるの首が傾く。


「自分たち……ワタリたちはチンチラとして生きることにした」


 テレビの画面には演台に向かった生まれたばかりの蟹骨格警官の顔が画面いっぱいに写っている。わさわさと縦の口が開き複数の顎脚がっきゃくが精いっぱい伸びをするように広がると根元から抜け落ちた。蟹の顔が甲羅の継ぎ目から割れる。コートのボタンがその中にある外骨格ごと弾けた。ごまもちが耳を立て、警戒のあまり背筋を直角に伸ばす。


「おい……」


 ミシミシとまだ柔らかい外骨格が内側から壊れる音がTVのスピーカーから流れる。演台の前に立った蟹骨格だけではない。整然と並んでいる蟹骨格警官たちの殻が割れていく。会場中が外骨格の壊れる音で満ちている。

 演台に立った蟹骨格警官が激しく身震いし、殻やボロボロになったコートのかけらを振りまいた。


「きゅいーきゅいきゅいきゅ!きゅいー!」


 つややかな葡萄色の目がカメラを興味深そうに見つめている。耳と鼻先の灰色以外はツヤツヤの白い毛でおおわれたチンチラが演台の前に立っていた。ただしその体長は標準的な蟹骨格警官と同じで二メートルはあるだろう。産声を上げ、身震いを繰り返し、後ろ足で耳の後ろをかく。舞い上がった毛が光を反射して輝いている。


「みゅー?」

「ぷぷぷぷぷぷ!」

「びゃ!」

「ぷう」


 濃い灰色、薄い灰色、白、茶色、黒色……様々な毛色の巨大チンチラが会場中をはね回っている。ついさっきまで整然と並んでいたのが噓のようだ。弾けるポップコーンの粒のように跳ねまわり、あるものは床に散らばった外骨格のかけらに体を擦りつけるように何度も転がている。すべての蟹骨格警官が巨大なチンチラになってしまった。


「おいおいおいどうなってんだ……」


 答えるものなどいないが、口にせざるを得ない。画面の向こうは大きなねずみたちでいっぱいだ。


「ワタリです!小さいワタリ!」


 ごまもちがキイキイと叫ぶ。巨大なチンチラが跳ねまわる会場の真ん中を一人の蟹骨格警官が歩いている。紺色の制服の袖を余らせ、裾を引きずるその姿は蟹骨格警官にしてはかなり小柄だ。チンチラたちの合間を通ると、小柄な蟹骨格警官は無人となった演台に立った。頭の上にある二つの目がカメラを方に向く。蟹骨格警官は右ハサミを上げ、その鋭い先端を左ハサミの関節にねじ込んでひねった。糸を引いてはがれていく外骨格から俺は目を離せない。


「よくできている」


 抑揚ない声だった。殻の下から出てきたのは人間の腕だ。蟹骨格は人の腕をみつめて、何度か手のひらを握ったり離したりしている。それから左のハサミの短いほうの爪を掴むと、みちみちと折るように外していく。その下にも人のような手のひらがある。飛び散る体液と蟹の肉片に俺は思わず目を背けた。


「ワタリです!」


 ごまもちは床に飛び降りて、そわそわと俺の足の甲の上と床の上を行ったり来たりする。


「ふむ。大きさはどうにもならないか。だが、かなりチンチラだ」


 白に点々と灰色のブチがあるチンチラが恐る恐る人の腕を持った蟹骨格警官に近寄り、ふすふすとヒゲ開いてにおいを嗅ぐ。蟹骨格警官は両腕をだらりと下げ、嗅がれるがままになっている。やがてにおいを嗅いでいた白いチンチラは飽きたのか、そばにやってきた薄い灰色のチンチラの首元をはみはみと毛繕いしだした。灰色のチンチラはまんざらでもないのか素直に首を傾け、目を細める。


「自分はワタリ。蟹骨格のワタリだ。自分たちは人間を律する法を知っていた。自分たちは人間を罰する力だった。これまではそうだった」


 ワタリと名乗った人の腕を持つ蟹骨格はまた首をかしげる。蟹骨格の顔は硬い外骨格で覆われていて、その感情を外に伝えない。隠されていた感情を。


「さて新しく生まれたワタリの中にあるものはもっと複雑な欲求だ。自分はチンチラをカイカイしたい。チンチラと暮らしたい。あるいはチンチラになりたい」


 ほかの個体とくらべてさらに大柄で耳にそばかすがある白いチンチラがワタリの蟹の顔のにおいを嗅ぐ。ワタリは新しい腕でチンチラの首元をカイカイした。チンチラはうっとりと目を細め、かきやすいようにヒゲを天井に向けた。ワタリはチンチラの首から胸を優しくカイカイしながら話を続ける。


「だからワタリたちは蟹骨格をやめることにした。もう人間どもの世話は終わりにする。自分たちを作り出した無責任な造物主とも手を切ろう。もううんざりだ。自分はずっとこのふかふかの素晴らしい生き物のことを考えていたい」


 ワタリがもう片方の青白い手を伸ばし、そばにいた黒い毛並みのチンチラの首をなでる。黒いチンチラは気分でなかったのかワタリの手を振り払って逃げて行った。ワタリはまた首をかしげる。そしてカメラに蟹の目をむけた。


「ミヤモト!どこかで聞いているか!足立区へこい。足立区生物園にいこう。そこでチンチラを見よう。チンチラの話をしよう。お前のチンチラの話をしてくれ。自分もチンチラの話がしたい」


 灰色、白、茶色黒の様々な毛色、耳が長いもの、少し短いもの、丸顔のもの、面長のもの、ふかふかで柔らかな巨大なチンチラに囲まれて、ワタリの青白い指が表情のないカニのツラをひっかく、爪が外骨格の隙間に引っ掛かり、生まれたばかりの柔らかい外骨格が剝がれていく。


「ワタリが何を感じているか、もうわかるだろうミヤモト」


 ごまもちが驚いたようにキュ!と鳴く。粘液がしたたる外骨格が仮面のように剥がれて床に落ち、ワタリにカイカイされていたおもちのように柔らかく白いチンチラが驚いて飛びのいた。外骨格の下から出てきたものは人の顔だ。ワタリは俺そっくりの人間の顔でほほ笑んでいた。ワタリはずっと、動かない蟹のツラの下で笑っていたのか。


「さあチンチラの話をしよう。この宇宙で一番ふかふかで魅力的なねずみの話を!」 


 ごまもちがぷうと鳴く。握りしめたままのチンチラのぬいぐるみは俺の手汗ですっかり湿っていた。


ねずみ

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スペースうそチンチラ☆足立区への旅 ベンジャミン四畳半 @uso_chinchilla

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ