第4話 齧歯の彼岸からー3

 正座したワタリに合わせているわけではないが、俺も薄汚れたコクピットに座り込んだままだ。チンチラのごまもちはすっかりワタリの存在に慣れたのか、ワタリのコートの裾をふすふすと嗅いだりしている。ごまもちが動くたびにせわしなくワタリの目はごまもちを追って動く。いつまでこの状態でいるつもりだろうか。俺は沈黙に耐えかねて口を開いた。


「あの……ワタリさんは何でチンチラを見たいと?ひぃ!」


 突如、ワタリの脇の下から小さなハサミが付いた二対の足が飛び出し、俺は思わずのけぞった。ロボットアームのようなそれが俺の方に伸びてくる。目を固く閉じて覚悟したが、いつまでたっても痛みはない。薄目をあけると、腕の先の細いカニ爪が俺の胸ポケットに入った通信端末をコツコツと叩いていた。


「ロックを外して床に置け」

「わ、わかりました」


 数字を打ち込みロックを外して床に置くと、ごまもちがすかさず走り寄ってきた。慌てて俺は抱き上げる。今度は暴れられないように素早くごまもちの後ろ足が俺の腹につくように寄せ、片手で尻をしっかり支えた。ごまもちはくつくつと歯ぎしりをする。


「ふほんいです!」

「いいから大人しくしていてくれ」


 ワタリの隠されていた副腕が静かに動く。関節が三つもある細い腕、いつもは制服の下に折りたたまれているのだろうか。ワタリは細い爪で端末の強化ガラスをまたコツコツと叩き始めた。何かを入力しているようだ。


「みろ」


 ワタリの爪が端末をつまみ上げる。うっすら汚れた液晶にウェブブラウザが立ち上がり、何らかの動画を表示していた。


「かわいいだろう」


 映っているのは……チンチラだ。だがごまもちと違って毛色が白く、ピンク色の大きな耳が目立つ。


「チンチラ……」

「そうだ。これは自分が初めて見たチンチラだ」


 映像の中で人間の手のひらがチンチラに伸びる。チンチラは首をかしげるものの逃げもしない。人間の手が大福のようにもちもちしたチンチラのあごをなでる。チンチラは目を細め、だんだんうっとりと口が開いていく。


「グレート・カイカイ……」

「は?」


 ワタリは呟く。ワタリの右目は動画を、左目は俺の腕の中で不満げにヒゲを動かしているごまもちを見つめている。


「蟹骨格警察の人間を監視する目は無論ネットワークにも及んでいる。自分は捜査の中で、偶然この動画を目にした。チンチラ、なんという表情をするねずみだ。初めてだ。ものを思うことは初めてだった」


 ワタリは一息に喋る。数分の動画を三周したところで、ワタリの爪が別のアドレスを打ち込む。別の動画。今度はごまもちと同じく色の背中が灰色、腹が白いチンチラだ。ケージ内でなにか熱心に乾いた草を容器からかきだしている。両前足を使い、器用に草を掴んではすんすんと匂いも嗅ぐ。しかし気に入らないのか、すべての草を床に投げ捨ててしまった。


「みろ。チンチラは食物にも妥協しない」

「はあ……」

「チンチラはか弱い。だが気高い。その柔らかい体を触ってみたいと思った」


 ワタリの爪が端末を叩く、次々とチンチラの姿が現れる。薄い茶色、真っ黒、灰色、白……様々な毛色のチンチラが人間と一緒に暮らしている。


「チンチラと暮らしてみたい。自分のチンチラがほしい。そう思ったときだ、自分は蟹骨格警官ではない、ワタリになった。ワタリという自我がチンチラを愛し、その良さを語るのだ。だが蟹骨格警官はチンチラと暮らすようにできていない。カニの爪ではチンチラをカイカイできない」

「なるほど」


 それっぽい相槌を打ったが、どうも理解しがたい話だ。俺は腕の中でもぞもぞと動くごまもちを開放し、携帯端末を拾い上げて胸ポケットにしまった。


「自分は間もなく役目を終え、蟹警官本部に帰還し、冷凍処分される。三年目の蟹の中には経験と一緒に不要な歪みが詰まっているからだ」


 ごまもちは俺の膝を蹴って、ワタリの窮屈に折りたたまれたハサミの上に降り立った。ワタリの口元の顎脚がふらふら左右に揺れる。ごまもちは興味深げに背を伸ばした。やわらかいナイロン製のヒゲも揺れている。


「氷点下で機能が停止した自分の体は高熱の蒸気で蒸されながらプレス機で粉々にされ、特殊な液体に浸される。そして不要なものはこしとられ、有用とされた経験だけが次の世代に受け継がれるだろう。そうなればこのワタリは消えるのだ」


 ワタリの細い副腕の先がごまもちの背をかすめる。ごまもちに触れることなく、腕は制服の中に戻っていった。


「もう行かねばならない。最後に自分のチンチラも見てほしい」

「自分の?」


 蟹骨格警官が私物など持つはずがない。完全にこのワタリは蟹骨格警官の定義から逸脱しきっているようだ。

 ワタリの副腕が紺色のコートの中でごそごそとうごめく。反対側の副椀も制服の中に戻り、何かを引っ張り出した。


「ワタリのチンチラだ。ワタリが唯一手に入れたチンチラ的なものだ」


 淡い白色の爪の先に、ボサついた薄い紫の毛色のぬいぐるみが一つぶら下がっている。


「個体名はうにまる」


 ふわふわで大きな耳と尻尾、よれた黒いひげが生えているが、どことなくバランスがおかしい。そもそもそんな明るい紫色のチンチラはおそらく実際にはいない。正直、あまりチンチラに似ているとはいえないぬいぐるみだ。無論、口が裂けても言えないが。


「似ていないと思っただろう」

「いや、そんなことは……」

「似てはいない」


 ワタリがごまもちの横にぬいぐるみを寄せる。かなり精巧にチンチラに似せてつくられたロボットと比較すると、ますますぬいぐるみの造形のいい加減さが際立つ。ごまもちは短い前足をぬいぐるみにかけ、ふすふすと匂いを嗅いだ。ヒゲが扇のように広がっている。


「きにいりました!ごまもちがもらいます」

「あっ!おまえ!」


 一瞬の事だった。ごまもちはぬいぐるみをくわえると後ろ足で跳びはね逃げだした。まるで穴に逃げ帰るウサギのような素早さだ。とっさに尻を掴もうとした俺の手は空を切り、ごまもちはぬいぐるみと一緒に棚と棚との間に消えた。慌てて棚の隙間に手を突っ込むが、あと少しのところで届かない。床にはいつくばって隙間をのぞくと、ごまもちがぬいぐるみに毛づくろいをしている。


「おい早く返せ!」

「いやです」


 ごまもちはぷいと目をそらし、ぬいぐるみを放そうとしない。俺は震えた。ワタリのカニばさみで挟まれるか、あるいはこの場で頭を割られるか……最悪の覚悟を決めることをなりそうだ。

 恐る恐る振り返ると、ワタリはすでに立ち上がり、俺に背中を向けていた。


「すまない!ごまもちを捕まえるから少し待ってほし……」

「期待以上だ。ワタリは消えるが、ワタリのチンチラは消えない」


 ワタリはゆらゆらとトゲだらけの頭をゆらゆら揺らしている。


「コンテナの金塊はもらっていく。お前たちは無理なワープに耐えきれず船ごとバラバラになった。自分が船の残骸から金塊を回収したことにする」


 俺は治安維持機構に詳しくない……いや一般常識全般が足りていない自覚はあるが、ワタリの振る舞いが異常なことはわかる。うその報告など蟹骨格警官に許されるはずがない。そもそもそんな振る舞いは想定されていないだろう。


「……そうしてくれ。もうこりごりだ。俺は地球で真っ当に暮らしたい」

「そうしろ。ごまもちのためにもな。さらばだミヤモト。それからチンチラのごまもち」


 ごまもちは棚の隙間から顔だけをだして、みぃーと鳴く。しばらくワタリを見つめ、ごそごそと隙間からはい出て後ろ足で立ち上がると、とぼとぼと歩き出した。まるでねずみらしくない二足歩行で。


「ごまもちはチンチラではない、かもしれない……」


 ワタリの足元でうなだれ、ごまもちはひげを垂らして喋る。ワタリはしゃがみこんだ。


「チンチラは尊い。チンチラであろうとするものも同じく尊い」


 ワタリの言葉に合わせて、硬い蟹顔の縦についた口の周りの顎脚がっきゃくがわさわさと揺れている。感情が見えないその顔でワタリは首を傾げた。ごまもちはぷうと小さく鳴いた。



 ワタリの蛸型警備艇の触腕がほどけるように輸送船から離れていき、バックカメラからの映像に瞬かない星の海が戻る。ワタリは去ったが、俺は情けなくも腰が立たない。蟹骨格警官に踏み込まれて無事に済むなど万が一にもない奇跡だ。それこそ、人間が広い宇宙で異星人と出会うような確率だろう。

 ごまもちはワタリがいたあたりの床のにおいを嗅いでいたと思ったら、弾丸のように走り回り、また棚の隙間に潜り込んでいった。先ほど見せたチンチラらしからぬ姿は何だったのだろうか……。


「おともらちです!」


 ごまもちがぬいぐるみの耳をくわえて引きずって隙間からあらわれた。うにまる、ワタリが置いていったとぼけた顔のチンチラのぬいぐるみ。よくみるとその背中に白い線がある。


「……」

「あっ!何をするですか」


 なんとなく手を伸ばしてごまもちからぬいぐるみを取り上げた。棚のほこりが毛に絡んでしまっているので、軽くはたきながら丸い背中を眺める。


「……ファスナー?」


 ぬいぐるみの背中にファスナーがある。ぬいぐるみかと思っていたこれは、ふかふかとしたぬいぐるみ型のポーチらしい。狂った蟹骨格警官の持ち物だ。何が入っているかはわからない、おれは恐る恐るチャックを下げた


「これは…?」


 浅いポケットの中には人差し指の先ほどの大きさのメモリーカードが入っていた。それでこそ、その辺りのコンビニでも売っているような何の変哲もないメモリーカードだ。


「ごまもちのです!かえしなさい」

「いてえ!わかった返す」


 ごまもちが何度もズボン越しに足を噛んでくるので、俺はたまらずぬいぐるみをごまもちのそばに放ってやった。ごまもちは怒りの声を上げるとぬいぐるみの尻尾をかんで引きずり、すばやく棚の隙間に戻っていた。

 狂ったとはいえ三年目の蟹骨格警官が置いて行ったものだ。カードに保管されている情報はもしかしたら使えるかもしれない。あるいは何かの隠されたメッセージがあるかもしれない。俺はコントロールパネルのスリットにカードを差し入れた。

メモリーカードの中には三つのフォルダがある。蟹言語という、人間には習得不可能な独自言語でファイル名が記されており、中身は推測できない。俺は適当に一番近いフォルダをクリックして開けた。


「…チンチラ」


 フォルダの中にはあふれんばかりのチンチラたちの写真だ。あらゆる毛色のチンチラがかわいい姿を見せている。俺はフォルダを閉じた。

 ほとんど期待せず別のフォルダを開いてみる。こっちは動画だ。もちろんチンチラ。床で跳ねるおもちのように白いチンチラ、カイカイをお断りしている茶色のチンチラ、床に背中をこすりつける黒いチンチラ……あらゆるかわいい姿が記録されている。俺はフォルダを閉じた。

 蟹警官の生態に人間の取締りと生命を維持するためのわずかな休息以外があるとは思えない。こんなものをいつ集めたのだろうか。俺はため息をつき、三つ目のフォルダを開いた。


「地球の座標ファイルか…?」


 テキストファイルには数字と蟹言語の羅列、その中に見慣れた漢字やひらがなが混ざっている。懐かしい地球の日本の地名、おそらく数列は座標を示している。俺の目は画面に吸い付けられ、指は夢中で文字列をスクロールする。


「長崎県西海市……長野県飯田市……東京都!大田区……足立区!足立区!俺の実家に近いぞ」


 輸送船の自動運転!目的地の座標と現在位置の座標からの航路を計算し、オートでその場へ向かう機能があったはずだ。俺はマウスを放り出し、足元のほとんど整理されていないキャビネットを開け放った。船長が突っ込んだエロ雑誌の下に埃をかぶった操作マニュアルがある。俺は神に感謝した。

 分厚いマニュアルを手に取ると、すかさずごまもちが走り寄り、マニュアルのはじをかりかりと齧り始める。


「おい、噛むな」


 おかしなチンチラロボットをよけながら俺はマニュアルを参照し、座標データをコピー&ペーストする。


「母ちゃん……」


 俺は地球に帰れそうです。


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