第5話

 ナカナカこと、田中愛加たなかまなかはヤマネのキーホルダーと戯れていた。

 敬愛すべき美術部の先輩、呉碧くれあおいから下賜かしされた土産である。出掛けた先は、T湖及びO渓流。渓流沿いのホテルにて、先輩の祖父が病児のためのコンサートを開いた。

 美術室用の特殊な机(つまりイーゼル状になる)、そこに立てかけてある自宅から持ってきた地方紙、さらに地域欄に書かれてある二つの記事を見較べる。

 一つは、例のコンサートのことが書かれている。言わば、この地方の一面記事とも言えるだろう。大きなカラー写真付きである。

 もう一つは、ページをどんどん手繰っていって、場所はちょうどテレビ欄の表側。すみっこに、観光地で女児がひとり行方不明になったとある。

 ところがである。やはり、記者の署名が同一なのである。これは、まあ、コンサートの取材に来ていたところ、同じ場所で事件が起きたので「ついでに」ということで、当然ではある。

 田中は、再び県南地方のページに戻る。揃いの黒いマントのようなものを羽織った少女が数名写っている。これは、月岡つきおか学園の制服である。まあ、そもそも病児のためのコンサートなので、これもおかしいところはひとつもない。

「これは、犯罪のにおいがする…」

 ひとり、呟く。

「失敬な。少女をひとり、送ってやっただけだ」

 ばっと、振り向く。背中に冷や汗が流れる。

「えっ…。送って…。やっぱり、殺したんですか?」

 坂木さかきが適当な椅子に座る。

「違うよ、田中さん。だから、気持ちよく元気いっぱい踏み出せるように、『白夜を旅する人々』という本を貸してあげたり、四木しきタロウ氏はヴァイオリンで、『亡き王女のためのパヴァーヌ』を弾いてやったりしたのさ」

 言葉を失くす。お前ら、揃いも揃って、人でなしか。

「うわあ、やばい人たちだ…」

 血の気が引く。坂木は、苦笑した。

「ところで、田中さん。何で、T湖に来なかったの」

 かちんと来た。

「はあ? 今は、新緑の季節ですよ。ホテルの繁忙期ですよ。急に、来週、コンサートがあるからって、部屋が取れる訳ないじゃないですか」

 坂木は、首を振る。

「違う、違う。別に、日帰りできない距離ではないよね。実際、遠足で行く学校も多い。修学旅行生は、さすがに泊まりだろうけど。え、で、何で来なかったの。ゴリ押しすれば、タダでコンサート聴けただろうに。それこそ、最後の…」

 田中は、思わず手の中のヤマネを投げた。

「あっ…」

 慌てて、回収しに行く。そして、ぬっと立ち上がる。

「私のことは、いいんです! 石矢いしや先輩が、呉先輩のおじいさんとホテルで同室だったと聞きました。つまり、その、逢瀬を…」

 顔を真っ赤にしている。

「うん」

 簡単に言う。

「あなた、一体、どういう神経しているんですか? まあ、そもそも先輩方はそれこそがメインイベントだったんでしょうけど! でもですよ? アクシデントか何か知りませんけど、フェリーに乗っていく女の子を見送ったんでしょう。もう一度、言います。どういう神経しているんですか?」

 坂木は、それこそ、何を怒っているのか解らないという顔をしていた。

「それこそ、呉さんには関係のない話だろう。実際、呉さんはその場に居なかったし。 毎日、勝手に人は死んでいく。いずれは、呉さんも。呉さんには、『次』なんてないかもしれないんだよ」

 田中は放心したように、机の群れにぶつかって、床にくず折れた。

「そう…、ですね。おかしいのは、私のほうかもしれません…」

 いや、私は騙されない。きっと、坂木をにらむ。

 それから、一年後。「ああ、やっぱりな…」と田中は思ったのだった。

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T湖畔にて 神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ) @kamiwosakamariho

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