二十四・藍明(四)

 第一の城門を潜るや、藍明らんめいは身体検査のための小部屋へと連れて行かれた。

 先に王太子宮へ戻っても良かったのだが、ルドカは待つことにした。寧珠ねいじゅへの説明を藍明自身がしてくれると言うなら、それに越したことはない。


 ややあって戻ってきた紅玲こうれいの表情は、心なしか硬かった。藍明は身支度を整えているのだろう。まだ姿は見えない。


「何か問題があった?」

 セツのことを隠しているという後ろめたさから、つい心配になってルドカが尋ねると、紅玲は難しい顔のまま首を横に振った。


「いえ、そうではありませんが……ご報告いたします。持ち物も含めて全身くまなく調べましたが、暗器の類いや毒物を仕込んでいる様子はなく、病気の形跡もありませんでした。旅芸人ですので、身元に関しては信頼に欠けます。当面の間は監視の目をつけさせていただきます。

 何点か気になることが。まず、首の後ろに怪しげな刺青いれずみがありました」


 どきっとした。セツのうなじにあった、円と三角形を組み合わせたものと同じ刺青だろう。


「本人は、幼少期に西域へ売られた際の名残だと言っています」

「売られた?」

「はい。あちらでは買い取った奴隷に刺青か焼き印を施すそうで。ただ、本当のことかわかりません。他国から逃亡してきた犯罪者や、反王権的な秘密結社の一員という可能性もあります。調査に人員をくお許しをください」

「待って……いえ、確かに必要ね。任せるわ」


 もし藍明の話が本当なら、セツも同じ過去を持っているということだ。考えてみれば、恋人同士の繋がりを示す以外の意味が、何かあるのかもしれない。

 調査されればセツの存在が明るみに出るかもしれないと思い、一瞬だけ躊躇ためらったが、それは自分にとっても必要な情報だと思い直し、ルドカは首肯しゅこうした。

 左の拳を右手で包んで拝命の意を表してから、紅玲は続ける。


「それと、衣を脱がせてみたところ、ひどい火傷やけどの痕がありました。胸から足の付け根まで、体の前面はほとんど全てです。本人の話では、西域で奴隷として過ごしていた際に大きな火事があり、火の上に転んでしまったが、焼け出されたお陰で逃げることができたのだと。十歳頃の話で、今は十九歳とのことですが……」


 ひどい火傷と聞いてルドカは息を呑んだ。藍明の軽やかな所作からは、そんな大怪我を負った過去があるなどと微塵も感じられない。


「可哀想に」

 思わず口をついて出た言葉に、紅玲は首を傾げた。


「事実であれば哀れです。ただ、私は武人ゆえ、勘を大事にします。どことなく腑に落ちないのです。火の上に倒れてあんなひどい火傷を負えば、自力で逃げ出すのは難しいでしょう。仮に動けたとして、逃亡奴隷の身分では、医師に診てもらうのも簡単ではないはず。よくぞ助かったものです。それに……」


 珍しく言い淀んでから、紅玲は声を潜めた。


「女の印がありません」

「……は?」

「いえ、その、男ではないのです。ただ、女であるとも確認できませんでした。火傷で乳房が潰れており、ちつも癒着してしまったらしく」

「えっ」


「想像を絶する事態です。どう生き永らえたのか問い質しましたところ、運良く流浪の神医しんいに拾ってもらい、最低限生きられるだけの治療を受けたと言うのです。ただ、その神医のことは他言無用の約束があるため、詳しくは話せないと。確かに存在するということは、寧珠ねいじゅ殿に聞けばわかるはずだと」

「ばあやが?」


 ルドカは頭がこんがらがってきた。藍明にとって寧珠は最も強敵となる存在のはず。それがまるで味方のように話を保証してくれるとは、どういうことだ。

 セツの仲間で恋人であるという時点で、普通の女性じゃないことはわかっていたが、出てくる話がいちいち意外すぎてついていけない。


(藍明と二人きりで話す必要がある)

 そう強く感じたものの、しばらく監視をつけると言われたばかりだ。


 紅玲の肩越しに、身支度を整えた藍明がこちらへ歩み寄るのが見えた。

 娘子じょうし軍の兵に両脇を固められたその姿は、吹く風にすら従順に頭を垂れる、可憐でたおやかな花にしか見えないのだが。


「……話はわかったわ。ひとまず王太子宮へ連れて行き、調べはその後、ゆっくりと進めることにしましょう」

 今のルドカにできるのは、鷹揚おうような構えを装って、結論を先延ばしにすることだけだった。


 王族であっても、第二の門より先は馬車で行くことができない。輿こしに乗り換えてもいいのだが、ルドカは平素より歩く方を好んだ。

 寧珠の反応が読めないこんな時には、できるだけ到着を先延ばししたいものだが、そういう時に限って邪魔もなく、早く着いてしまうのが不思議だ。

 既に日暮れとなり、夕餉ゆうげの膳が用意される刻限である。寧珠は橙冬糕とうとうこうを用意して、今や遅しとルドカの帰りを待っていることだろう。


 王太子宮の門前には既に篝火かがりびが焚かれている。一度足を止め、ルドカは密かに深呼吸をした。

うさぎかえるか)

 吉か凶かという意味の、古くから伝わる言い回しを胸中で唱えて、歩を進める。


「王太子殿下、御還幸かんこう!」

 紅玲のよく通る声が葡萄色の空気を凛と震わせた。

 門内で待ち構えていた女官たちが、ルドカのお供を娘子軍の兵たちから引き継ぐ。護衛官である紅玲と、藍明を挟む二人の兵だけはそのままだ。


 門から主殿へ至る道の半ばで、寧珠が頭を垂れて待っていた。ルドカは緊張してその姿を見つめ、自分の心臓が脈打つ音を、やけに大きく耳で拾う。

 藍明が袖に隠した手元でそっと鼻を押さえ、匂いますわね、と低く呟いたことには、気付かなかった。

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