二十三・藍明(三)

 身請け金は相当なものだったが、三弦さんげんの名手を引き抜くのだ。これでも安い方かもしれないと、相場を知らないルドカは納得するしかなかった。人質を取るのに金を払うというのは、どうもあべこべな気もするが。


藍明らんめい、苦労したな。大事にしてもらえよ」

 別れ際、禿頭の座長が地に頭を擦りつけ、独り言のていで呟いたのが耳に残った。


 女王太子が旅芸人の美女を身請けするという話は、瞬く間に王都中へ広がったらしい。見物人は引きも切らず、野次馬が野次馬を呼ぶという状況で、遊花街いろまちの周辺は大変な騒ぎになっていた。娘子じょうし軍と巡軍の兵がルドカたちの周囲を取り巻き、睨みをきかせて、やっとのことで帰路を切り拓く。


 行きの馬車は二人乗りだったので、王城に使いをやり、座席が壁と屋根でしっかり覆われた王太子の馬車を呼び寄せることになった。

 ルドカは藍明と共に乗ることを希望したが、さすがにその考えには、今まで怪訝な顔をしながらも黙っていた紅玲こうれいが難色を示した。


「身体検査がまだです。いきなり二人きりにはできません」

 王城内、特に王族の生活の場である内朝へ足を踏み入れる者は、文字通り裸にされて軍部の検査を受けることになっている。紅玲の言うことはもっともだ。


(まず二人きりで話す機会がほしかったけれど……)

 藍明は杏磁あんじが手綱を取る馬車に同乗させることになった。


 杏磁は突然の身請け話に動揺はしたものの、熱烈な芝居好きということもあり、旅芸人そのものに偏見はないようだ。むしろ、男に命を狙われ続けてきたという藍明の身の上話に、すっかりほだされている。


「美女に悲劇はつきものとはいえ、安心して外も歩けないなんて、あまりにも可哀想ですわ。さい尚食しょうしょくが受け入れてくださるといいのですけれど……」

 呼び寄せた馬車の到着を待つ間、頬に手を当ててそう漏らしたほどだ。


 塞尚食とは、寧珠ねいじゅの正式な呼称である。塞は夫の姓、尚食は官職を示すもので、王族の生活の場である内朝において、飲食物や薬の管理を担う尚食局の長官がそう呼ばれる。

 ルドカが王太子となる際、乳母めのとであった彼女が引き続き近侍でいられるよう、あるじの身分と釣り合う品位の高い官職を得たのだ。

 とはいえ、現在の内朝に暮らす王族はルドカのみのため、仕事は以前とほぼ変わらず、周囲も当人も乳母であるとの認識の方が強い。

 共に行動することの多い紅玲は、塞尚食という呼び名に馴染めないと訴えるルドカの要望を容れて、一貫して「寧珠殿」と呼んでいた。


(そう。次の問題はばあやなのよ)

 ルドカは内心で暗澹あんたんたる気分になったが、そこで藍明自身が口を開いた。


「畏れながら申し上げます。塞尚食といえば、婚家の塞氏は西域との手広い交易を生業とする貿易商。きっと問題なく受け入れていただけると愚考いたします」


 藍明は既にルドカに対する直言を許されている。発言自体に問題はないが、その内容は不可解なものだった。


「夫が貿易商だから大丈夫って、一体どうして?」

 私的な場で使う柔らかい言葉遣いに戻って、ルドカは思わず訊き返した。


 ルドカの認識では、寧珠は旅芸人などの賤民をひどく嫌っている。それは名門商家の出身者に典型的な態度であって、婚家は関係ないはずなのだが。


「塞尚食とお会いした時に、全てご説明いたします」

 藍明がそう短く切り上げたのは、呼び寄せた馬車が到着したからだろう。


 往来をこれ以上混雑させておく必要はない。王太子一行は娘子軍と巡軍に警護され、行きより随分と仰々しい列を作って、迅速に王城へと帰還した。

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