第2話 ドーナツの寿命

 ドーナツになっても、ペロの癖は変わりませんでした。


 学校から帰宅すると独特の鳴き声。わふ、わふ。あなたを出迎えて。


 あなたの腕に目新しい生傷を見つけると、ペロは舐めてくれましたね。ざらり、ざらり、と。ドーナツのお砂糖が、貼り付いて。コーティング、みたいで。


 一息つくと、散歩の時間。ペロは、跳ねて、跳ねて、喜びます。着地のたびに、揚げた小麦の欠片、ぽろぽろ。電線の上から、睨むカラス。追い払おうと、小石を放って、あなた。


 ドーナツと、首輪。輪っかと、輪っか。絡ませるように、くっつけ。

 あなたは、ペロを散歩に連れ出しました。

 犬だった頃と、同じように、応じようとしました。


 ドーナツの身体は、歩きにくそう、で。

 ペロは、引き摺られるように、歩道を這って。

 時折、わふ、わふ。存在をアピールしながら。

 犬であるのだ、と。アピールしながら。


 指差し。

 驚愕。

 笑い。

 嘲り。


 すれ違う連中のリアクション。

 あなたは、そのすべてに、拳を振り上げました。


 殴りました。

 ペロがドーナツで、何が、悪い、と。

 殴りながら、ペロを愛しました。


 傷を作れば、ペロがお砂糖を舐めつけ。

 敵を作れば、あなたが拳を振るい。


 そうして、あなたとペロは、変わらずに。ドーナツになる前と、変わらずに。犬であった頃と、変わらずに。

 毎日を、過ごそう。と。

 パートナーで、あろう、と。

 そう、思っていたことでしょう。


 もちろん、無理な話でしたよね。


 犬の寿命は、15年。

 では、ドーナツの寿命は?


 数日?

 一週間?

 一ヶ月? 保ちますか?

 一年、なんて。とんでもない。



 ペロのお腹に、カビが生えました。



 蒼い、綺麗なカビでした。

 ペロのお腹から、ペロの命を吸い取っていました。

 ペロのお腹から、ペロの魂を抜き取っていました。

 わふ。

 とだけ、ペロは鳴きます。あなたを、見つめて。


 ペロは、もう散歩をせがみません。

 あなたの生傷を舐めても、もうお砂糖は貼り付きません。


 べったり。

 茶色い小麦の表面に、べったり。

 お砂糖は溶け切っていました。



 賞味期限が、きたのよ。



 電線の、上から。

 カラスが、鳴きます。



 早く、食べてあげないと。

 腐って。臭って。ウジ、涌いて。

 早く、食べてあげないと。

 ペロは、ペロでなくなっちゃう。

 早く、食べてあげないと。

 早く、食べてあげないと。

 早く、食べてあげないと。



 歌うように、あなたを急かす。カラス。

 思い切り、投げつけた石は、ひらり。かわされてしまいました。

 早く、食べてあげないと。

 遠ざかりながら、歌は続いて。


 家に戻った、あなた。

 冷蔵庫を開けた、あなた。

 牛乳。マグカップに、とぷ、とぷ。

 電子レンジ、ホットにして。


 フォークと。

 ナイフ。

 お上品に。


 紅い、犬小屋の前に。全部並べて。

 丁寧に、両手をあわせて。


 泣きながら。

 啼きながら。

 哭きながら。


 あなたは、食べましたね。


 弱ったペロのしっぽを。

 耳を。

 濡れた鼻を。


 あなたは、食べましたね。


 ええ、ええ。

 ドーナツですとも。


 甘い、甘い、ドーナツですとも。

 でも、食べるたびに、感じたではありませんか。


 ペロの、声を。

 ペロの、愛を。

 ペロの、夢を。


 食べ終えたあと、あなたは犬小屋から、毛布を持ち帰って。涎、ベタベタの、それに包まって。ベッドの上、


 泣きながら。

 啼きながら。

 哭きながら。


 あなたは、ペロを、悼みましたね。

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