〝血のいばら〟について(1)




 さて、そろそろ〝血のいばら〟について語るべきだと思う。

 この話はわたしの思い出話であると同時に、彼女の物語でもあるからだ。


 わたしたちは互いに個別の生き物で、それらは一個の人格として独立している。けれど、少なくとも、わたしはわたしという存在を語るときに彼女のことを切り離して考えることはできないのだ。

 それは古い家屋に絡みついたに似ている。家と青蔦はそれぞれ別個のものだけれど、複雑に絡み合ったそれらは人の目にはひとつの風景として映る。


 だからわたしは〝血のいばら〟について、語らなければならない。

 表現は中立的で、正確に伝わるものであらねばならない。できる限り正確に、誇張を含めず、細心の注意を期して。

 わたしは〝いばら〟について語ろう。




 魔女狩りの血のいばら。

 その物々しいあだ名が世間に認知されだしたのは、わたしが二年生になる前、三月頭のことだ。

 風は暖かみを帯び始め、けれど、春と言うには花のつぼみはまだ固かった。山々には溶け残った雪が蜘蛛の巣のように覆い被さっていて、複雑な模様を作り出していた。そんな季節の変わり目の、柔らかな雨の降る夜のことだ。


 そのときジョスリン・パディントンはゴーツ・ウッド魔術学院の五年生だった。彼女は強く気高い魔女だったけれど、そういった人種にありがちな、ある種の傲慢さや身勝手さのようなものをひとかけらも持ち合わせていなかった。

 魔女として強くあることと、人間として尊敬を集めることは、必ずしも両立するものではない。

 そういった意味で、ジョスリンは稀有な人物だった。

 穏やかで優しく、いつも相手を柔らかい布で包むような声で喋った。柔らかく波打ったバター色の髪の毛は見るものを素敵な気分にさせたし、香ばしく煮立てた砂糖のような淡い茶色の眼差しは、知らない間に誰かの不安を取り払うような力があった。


 ジョスリンは、収穫直後のキャベツ畑に突っ伏していた。

 彼女の身体と飛行用ローブは、とげの茂みに頭から飛び込んだみたいにずたずたになっていた。

 豊かな髪は黒土にまみれて見る影もなかったし、雨と混ざった自らの血が、彼女の視界を薄紅色に汚していた。折れたあばら骨は肺に刺さっていて、呼吸するたびに出来そこないの縦笛みたいな音が喉の奥から聞こえていた。

 それでも彼女は懸命に立ち上がろうとしたけれど、身体のあちこちはただ痛みを訴えるだけで、彼女の意思に正しく答えることはしなかった。

 流れ出る血と黒いぬかるみの境目は夜の闇の中で判然としなかったが、ずいぶんと沢山の血液が失われたのだろう。


 泥の中で藻掻く瀕死のかえるの気分で、どうしてこうなった? と、ジョスリンは考える。

 この期に及んでなお、彼女は自分自身がこうなった理由を自らの外には求めなかった。こうまでこっぴどく叩きのめされ、地に伏せているのは、他ならぬ自分自身の行動に何か問題があったのではないかと考えた。

 せわしなく波打つ自分の鼓動を聞きながら、彼女はここ最近の自分の言動を振り返り、誰かを傷つけたり貶めたりするような恥ずべき行いがなかったかを確認した。


 けれど、その思考はどこにもたどり着かなかった。

 ジョスリンは善良な人間だったし、それに何より、競技滑翔スカイ・クラッド選手としては一線を退いたとはいえ、〝忌み名〟持ちの彼女をこうまで一方的に撃墜できるような魔女に心当たりがなかった。


 だから結局、ジョスリンは当の本人に直接聞くことにした。

 彼女を撃ち落とした魔女本人に。


「……あなたは誰?」


 ジョスリンのそばには、ひとりの魔女が立っていた。

 魔女は血のように赤い飛行用ローブを身に纏い、揃いの三角帽子を被っていた。顔は猛禽類の頭骨を模したマスクですっぽり覆われていて、外からは表情をうかがい知ることができない。

 赤い魔女はまるでふくろうみたいに首をかしげて、質問には沈黙を返すだけだった。


 ジョスリンは、「声が雨音にかき消されて届いていないのだろう」と思った。

 潰れた肺から絞り出した声は、自分でもびっくりするくらいに小さかったからだ。


 だから彼女はもう一度問う。


「あなたは、だあれ?」


 先ほどよりは幾分か大きな声が出たけれど、声とともに大きな血の塊がごぽりと喉から這い出てきた。血液はジョスリンの意思とは関係なく、唇や鼻の穴からまろび出てくる。


 赤い魔女は少しだけ考えるようなそぶりを見せたあと、人差し指を立てて、ちっちっち、と左右に振った。「その質問には意味がない」とでも言いたげなジェスチャーだった。

 魔女の手には黒い革手袋がはめられていて、肌の質感は見て取れなかったけれど、その指の太さや手のひらの大きさから、彼女が恐らく女性であることが見て取れた。


「私の、知っている、人?」


 ちっちっち。その質問には意味がない。


「何か、あなた、に、恨まれるようなことを、したかしら」


 ちっちっち。その質問には意味がない。


「誰でも良かったの?」


 ちっちっち。


「じゃあ、どうして、こんなことを」


 ちっちっち。


「――ねえ、どこか、痛いの?」


 ぴたり、と魔女の指が止まった。


 ジョスリン自身にも、どうして自分がそんな質問をしたのかはわからない。けれど、ジョスリンにはどこか〝いばら〟が表情のない仮面の下で泣いているように見えた。

 身体中の骨を折られて這いつくばっている自分自身よりもなお、その真っ赤な魔女のほうが大きな痛みを抱えているように見えた。


 赤い魔女は返事の代わりに、懐から杖を取り出してジョスリンの眉間に突きつけた。ひどく禍々しく、悲しい雰囲気を持った杖だった。


「ねえ、お願い」と、ジョスリンはその杖の切っ先を見つめて言った。「殺さないで」




 次にジョスリンが目を覚ましたのは、ゴーツ・ウッドの医務室だった。

 墜落音に気付いたキャベツ畑の農場主が、畑に突っ伏した彼女を見つけてそこまで運んでくれたらしかった。農場主は気を失ったジョスリン以外には誰も見ておらず、何かの事故だと思ったらしい。


 一命を取り留めたジョスリンは、ありのままを包み隠さずゴーツ・ウッドの教員たちに供述した。


 優勝することが叶わなかった前年の〝大釜〟、その残火が胸にくすぶっていたこと。

 その思いを紛らわすためにひとりで夜の空を飛んでいたこと。

 さなかに、赤い魔女に襲われたこと。

 手も足も出なかったこと。


 教員たちは、ジョスリンの言葉をすぐには信じることが出来なかった。

 彼女たちはジョスリンの魔術の腕前を高く評価していたし、そんなジョスリンをして手も足も出ないような箒手が存在するなんてことは、とてもではないけれど想像しづらかった。

 教員たちの中には、「夜中にこっそりと飛んでいたことを咎められたくない一心でついた嘘なのではないか」と考える者もいたほどだ。


 けれどそれも、すぐに嘘ではないことがわかった。

 快復したジョスリンの身体の中からは、すっかりと理力ちからが消えてしまっていたからだ。固有術理はおろか、灯りのひとつも灯せないほどに。

 幾度はらの中で想像力を回転させようとも、ただのひとかけらも理力マナが産み出せなくなっていた。まるで最初から、そんなものは無かったかのように、綺麗さっぱりと無くなっていた。


  その後も、赤い魔女は魔女たちを襲い続ける。

 あるときはひとりで飛んでいるときに、あるときは編隊で。

 いずれも夜で、いずれも名のある魔女たちだった。

 襲われた魔女たちはおしなべて荊棘けいきょくに苛まれたかのように血塗れで、そして、一様に理力を失っていた。


 新聞やテレビはこぞってそのことを報じた。

 彼らはなるべくセンセーショナルに、不安を煽るように、赤い魔女に名前を付けた。


 曰く、荊棘の魔女。

 曰く、理力殺し。

 曰く、〝魔女狩りの血のいばら〟と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る