〝血のいばら〟について(2)




「わからないな」


 ぽつり、とコーシャーソルト先生は言った。


「〝血のいばら〟のことなら、誰だって知ってるさ。この部屋にいる全員、なんだったら、街に住む小さな子どもだって知ってる。最近は悪さをすると、こう言われるんだ。『〝いばら〟が来るぞ』ってね。わからないのは、それがきみのお姉さんと、なんの関係があるのかってことだ」


「わからない?」エルトダウンは心底意外そうな顔を作って言った。「本当に?」


「わからないよ、本当に。だからもっとはっきりとものを言ってほしいな。わかりやすく簡潔に、伝わるように。四歳の子供に札遊びのルールを教えるみたいにね」


 ミスター・コーシャーソルトは首をすくめて両手を挙げる。煙草をくわえていないときの彼は、どこかせっかちに見えた。


「僕たちが知りたいのは、《柩》のナコトをきみたちの学校に連れて行くということへの、筋の通った説明だよ。『おかしな格好の悪党が魔女を闇討ちして回っている』、それはわかる。けれどそれは、『だから鉄棺の魔女を王立学院に連行する』とは繋がらない」


「ナコト姉さまに〝血のいばら〟の嫌疑が掛かっていたとしても、ですか?」


 エルトダウンから返ってきた答えに、彼は眉の一つも動かさなかった。

 おそらくそれはコーシャーソルト先生にとって予期していた返答の一つで、だから彼はただ「ふむ」とだけ小さくつぶやき、それから人差し指で眼鏡の位置を直した。


「何を根拠に?」


 ミスター・コーシャーソルトの質問に、エルトダウンはとても簡潔に返答した。


「彼女には、それが出来るから、です」


 エルトダウンは続ける。彼女は墓碑に刻まれた文字を読み上げるように、順番に〝いばら〟の犠牲者たちの名前を暗誦した。


「ゴーツ・ウッド校、元代表箒手、《鉤爪》のジョスリン。トゥーム・ハードゥ校、三箒編隊、通称〝ブラッドベリー・サーカス〟。コールド・ワンズ校卒業生、《翡翠》のアルマ。アイホーツ校、代表箒手、《霧笛》のアドレイド。――〝いばら〟に襲われた魔女たちの共通点、それはその全てが一線級の実力を持つ魔女だということです。彼女たちを相手取って、なおかつ圧倒するという犯行そのものが困難を極めるのですよ」


「……《柩》のナコトになら、それが可能だと?」


「少なくとも、姉さまは王立学院の《忌み名》持ち二人を同時に相手取り、難なく撃破しています。公式戦におけるルールの隙間を突くようないんちきもなく、ただの実力だけで。それがどれほど異常なことか、先生がたにはわかって頂けるはずです」


 エルトダウンはそう言って、ゆったりと微笑んだ。「いんちき」の部分でわたしのほうにちらりと目を向けたのは、わたしの気のせいではなかったと思う。

 《翅翼》のエリスから信号弾を奪って勝った、あの戦いのことを言っているのだ。


 ミス・ハクスリーはかぶりを振ってため息をつく。それからひどく意地悪な声で言った。


「はめられたね、ナコト・ヴィルヘルミナ・フォン・ユンツト。野放図にを振り回してるから、こうなるんだ」


 ミス・ハクスリーの推測が正しいのであれば、ナコト先輩とジュディスたちの諍いは王立学院の描いた筋書き通りだったということだ。

 はなから彼女たちはナコト先輩の実力を立証するために戦いを挑み、そして負けた。


 でもそれも、あまりにも乱暴な話だと思った。

 だってそうだ。できるからやる、やれるからやったに違いない、というのはあまりにもずさんで、推理とすら言えない。


 エルトダウンの言うことを否定するには、ナコト先輩が「やってないこと」を証明するしかないし、それはとんでもない困難を伴うことだからだ。

 起こっていないことや存在しないことを証明するためには、世の中の森羅万象を調べ尽くさなければならない。小石の下にだんご虫が潜んでいないことを証明するためには、世界中ありとあらゆる小石を裏返さなければならない。馬鹿げた話だ。


 とても腹立たしい気分だった。王立学院の一方的でいい加減な当て推量はもちろん、それに乗っかるミス・ハクスリーにも腹が立った。

 だって、ナコト先輩がそんなことをするわけがない。する理由がないのだ。


 何かひとこと言ってやらないと気が済まなくて、わたしは手を挙げる。


「あのう」


 出てきた声は、自分でもびっくりするくらいにか細いものだった。

 その場に居る全員の視線が、わたしの方に一斉に注がれる。三人の大人と、四人の《忌み名》持ち。天蓋の向こうの学院長もわたしを見ている気配がした。


「そのう」


 たったそれだけのことで、わたしは萎縮してしまう。言うべきことが急にささくれた木片にでもなったかのように喉につっかえて、うまく言葉が出なかった。

 ひとときの間、沈黙と視線が広い学長室の支配者だった。


 ややあって、ミルテンアスター学長が、わたしに助け船を出す。


『どうぞ、ニナ・ヒールド。なにか言いたいことがあるのよね?』


 彼女の声は柔らかく慈愛に満ちていて、わたしがなにかしゃべり出すまで辛抱強く待とうという意思を表明していた。

 その声音は言外に、室内のほかの人間に対してもそうあるように求めていた。


 おかげで、わたしはわたし自身のしぼんだ心を再び膨らませることができた。顔を上げ、慎重に言葉を選んで、わたしはエルトダウンに反論する。


「エルトダウンの言ってることは、すごく性急な話に聞こえます。それに、どうして王立学院が迎えに来るんでしょうか」


 話し始めると、言葉は先ほどまでが嘘みたいにすらすらと出てくる。


「だって本当なら、そういうのは警察ヤードの役目ですよね? もし仮に、ナコト先輩が本当に〝血のいばら〟だったとして、捕まえに来るのは警察じゃないとおかしいじゃないですか。ミスカトニックは確かに王国で一番の魔術学校ですけど、あくまで魔術学校でしかないんだから」


 わたしの反論に、エルトダウンは鷹揚に微笑んで答える。


「ええ、先輩の仰る通りです。我々には捜査権はありませんし、姉さまに掛かっている嫌疑も、我々の憶測でしかありません」


「だったら」


「でも、だからこそ、我々が来たのです」


「だからこそ?」


 問い返すわたしには答えず、エルトダウンはミス・ロウマイヤーに視線を振り向ける。


「顕学なる雷鱗の魔女。〝いばら〟が最後に襲撃した場所をご存じで?」


 ミス・ロウマイヤーはほんの少しだけ戸惑い、質問に答えた。


「ですから、アイホーツ校でしょう? 先ほどあなたが自分で言ったことですよ」

「公式には、そうなります」


 エルトダウンはうなずく。


「これは未だ公にされていない情報なのですが、〝血のいばら〟が襲撃した場所は、もうひとつだけあるのですよ」


 エルトダウンは人差し指を立て、唇に当てる。「これは内緒の話だ」というふうに。

 それからその場所の名前を口にした。


「ク・リトル・リトル王国首都アーカム、王立ミスカトニック魔術学院。それが一週間前、魔女狩りの〝血のいばら〟が最後に襲った場所なのです」


 ミスター・コーシャーソルトは片眉をつり上げて言った。


「……こりゃたまげたな。それじゃあ〝いばら〟は、たったひとりで首都の防空識別圏を侵犯して、なおかつ未だに捕まってないってことか?」


「正しくは」


 エルトダウンは答える。ひとつ息をついて、言葉を続けた。


「たったひとりで首都の我が校を襲い、《揺籃》のハイディ・ヴィクトリア・ウィルソンを含む七箒の〝書架〟を撃墜し、首都防空部隊の追撃を振り切り、無傷で離脱した、ですわ」


 彼女は肩をすくめ、かぶりを振る。


「だからこそ、我々が来たのです。国家最強の防備を、たったひとりの魔女に出し抜かれたという、その事実が公になる前に。七十二花紋バロンズの力で、警察庁ヤードに圧力を掛けてまで」


「馬鹿げてる」


 今度こそ、彼はエルトダウンの言葉に対して本当に驚いたようだった。


「そんなこと、たったひとりでできっこない」


「そう、馬鹿げているの。馬鹿げていて、大それていて、ありえない。ですが、わたしは――わたしと、我が父、アーロン・ヴィルヘルム・フォン・ユンツトは――そんな馬鹿げたことを実行出来るただひとりの魔女を知っています」


 エルトダウンの声音は静かで、けれど断定的だった。彼女の言葉には、やはり客観的な根拠も、事実に基づく証拠もなかった。

 それでも、それは重く雄弁な主張だった。


「ナコト・ヴィルヘルミナ・フォン・ユンツトには、それが出来るのです」


 彼女の仕草や表情は相変わらず艶やかな毒花のように優美なものだったけれど、そこには実の姉への根源的な畏怖が染みついていたからだ。

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