(4)おはよう、私
「…あ、」
時計の針の音に気が付いたとき、
何もかもが遅かった。
溜め込んでいた泥が、
涙が出てる、メイクが崩れる…。
恐る恐るミライの方を向くと、
その瞬間、ミライに抱き締められた。
困惑したけど、
その温もりに気が付いてしまったら、
もう涙が止められなかった。
「う…うぁ…あ…っ」
「…
軽率なことが言えないって分かってる」
「ミっ…ラ…」
「でもね、
自分らしく生きて男と勘違いされても、
女として平然と生きられていいよね。
彼氏も途切れなくて。
自分らしく生きたい。
みんなミライだったら良かったのに。
貴女は大切な友達。
心がグチャグチャになる。
…憧れ、
全てがミライに当て
「私…っ、自分らしく生きたくて…
こんなこと始めたのに…っ」
自分らしく生きるために頑張ってたのに、
何も見えてなかった。
しばらくもすると涙は枯れ、
段々と気恥ずかしさが顔を出してきた。
ゆっくりとミライの肩を押すと彼女は離れ、
こちらを寂しそうに見た。
ああ、メイク崩れヤバいかも。
「ミライごめん、服汚れてない…?」
「そんなのどうでもいいって! …大丈夫?」
「うん…ありがとう」
感謝を伝えると、
ミライはぎこちなく笑顔を浮かべた。
綺麗な顔をしていて、スタイルも良くて、
何もかもがカッコいい。
…尊敬してる。
気を紛らわすつもりで紅茶をカップに注ぐ。
少し
「ホルモン治療のあとだったから、情緒不安定だったの」
「女性ホルモンってセンチメンタルになるもんね。頑張っててえらい」
「ふふ…」
カップを両手で持ち、ゆっくりと紅茶を飲む。
口に流れてきた″横浜ベイ″は非常に
海を感じさせるラムネの味がした。
明日の景色はフラットに見られそう。
そうだよ、「私」になっていいの。
「私」になりたい。
なりたいなら迷っちゃいけない。ならなくちゃ。
*
朝、カーテンの向こう側から鳥の
今日もバイト、
洗面台に立って歯磨きをしながら
ギターとベースの
しばらく触ってなかったから
変えなきゃね。
洗顔まで済まし、保湿をしてメイク台に移る。
今日もミルボンのヘアオイルを使う。
髪のこだわりは昔からだったな、
良い
指で顔に薄く伸ばしていく。
次は
デパコス売り場、実は苦手だったんだ。
アイブロウペンシルとアイブロウパウダーで眉を整え、
ニベアの色付きリップを唇に差す。
今日はピアスはせず、
代わりにスイートピーの飾りがあしらわれたカチューシャを着ける。
素朴な白シャツを、
カジュアルなスラックスとロングカーディガンで合わせる。
姿見に映る自分を確認。
「胸、成長してきたな。ホルモン治療のお陰かな」
あとは手術して、役所で手続きをするだけ。
ちゃんと「私らしい」容姿に安堵し、家を出た。
『
過去に投げかけられた疑問、
ずっとトラウマだった。
でもちゃんと考えてみてよ。
知らないんだから仕方なかったんじゃん。
世の中には色んな人がいて、
少し関わっただけで判断できるほど簡単な世の中じゃない。
知らないあの子にとって、
その疑問は当事者に聞くべきことだし、
私にとって当たり前な価値観でも、
誰もがそういうわけじゃないのだ。
結果として私のトラウマになってたとしても、
あの子がその疑問を押し殺した結果、
いつか心も体も傷付く可能性だってあったんだ。
「なんか今日、心が軽いな」
家を出て、
昨日の夜よりも軽い足取りで道を、駅を踊り行く。
ヒールのないパンプスで地面を踏むと、
足元は花で咲き乱れる。
呼吸のたびに嫌な何かが剥がれていくような、
朝の曇り空ですら晴れ晴れと眩しく感じる。
気が付くと出勤してたほど、今日は幸せな日。
「おはようございます〜!」
「あ、先輩おはようございます!」
休憩室には既に
昨日だったら自分と比べて落ち込んでいたのだろう、
彼女は今日も可愛らしい。
声を掛けてくれた、
「先輩、今日はシンプルですね。似合ってます!」
「良かった、ありがとう」
私が社会的に認められた
「女性」になるまでもう少し。
自分らしく生きる幸せを掴むため、
今日も頑張ろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます