第12話 夏の日のその後  

 そこで、目の前に広がっていた光景が突然暗転した。

 そして、こんな声が聞こえてきた。


 ――――ごめん、ごめんな、まこと。こんなことになってしまって、

     楽しいまんまで帰るつもりだったのに・・・

     いつかまた、銀の鯨を、青い夜の月を、見に行こうな。


「ヒデ、たのしかったよ、ぼく。とっても、たのしかったよ。

 もう一度、つれてって、よね。やくそく、だよ。」

 幼い自分がそう応えていた。 




 誠は砂に膝をついて肩で息をしていた。

 立っていられなくなっていたのだ。

 全身の力を使いきってしまったような虚脱感に襲われていた。


 心配そうに母がのぞき込む。「だい、じょうぶ?誠」

 それでも時間にしてほんの数分だったのだろう、

 太陽の位置がここへ来たときと大して変わっていない。


「何か、思い出したの?」近くにいるのに母の声が遠い。

「いや、それより、母さん、この舟って?」

 目にした光景を母に語ることがためらわれた。

 ただただ楽しさに満たされてはいたが、あまりに荒唐無稽すぎて。

 

 なんとか自分の中で整理しようと別の話にすり替えたのだが、

 そこから聞かされた母の話しに誠は衝撃を受けた。


「不思議ね、これが今私たちの目の前に現れるなんて・・・


 これは、お祖父ちゃんがあんたを乗せてあげようとしていた舟。

 海水浴に行く前に、港で一度見てるんだけどね。覚えてないよね、

 あんたがいなくなったとき、お祖父ちゃん、これに乗って真っ先に探し回ってくれたのよ。」

 

 誠はいなくなってから五日後、さっき通って来た西の磯でみつかった。

 釣り舟の船長が帰り際、遠くからみつけてくれたのだ。

 崖から落ちたような状態だったという。

 

 自衛隊のヘリコプターが救助に向かったが祖父は舟を出した。

 待っていられなかったのだろう。

 

 だが、その日は風も波もかなり強い大時化おおしけだった。

 無理に舟を出したため岩場に打ち寄せられた祖父の舟は大破してしまった。

 

 そのとき海に投げ出された祖父も負傷し、それが元で不自由な身体になってしまった。曽祖父と同じように。

 そして、老人施設に入所していた曽祖父は誠が見つかる少し前に息を引き取った。

 

 いったい何に呪われたのか、親族三人が一度にこんな災難に遭うなんて。

 そんな言葉が飛び交い、後々、親類縁者や捜索に協力してくれた者たちに、忌まわしい家と噂されるようになってしまった。


「あの秀治じいさんは、昔、禁忌の場所に倒れておった。

 あのとききっと山の神さまの怒りに触れたに違いない。

 不自由な身体になったばかりか子々孫々害を及ぼすなんて、

 よっぽどの怒りを受けたのだろう。」などという者まで現れた。


「ヒデ、ジ。ひいお祖父ちゃんはヒデジという名前だったの?」

「ええそうよ、みんなに、ヒデさんヒデさんってよばれてたわ。」

 そう、なのか。


 西に陽が傾き砂浜に誠と母は腰を下ろした。

「頭の傷のせいで記憶喪失、になっていたのよ、あんた。

 傷が良くなって家に帰っても病院の入退院を繰り返して、小学校の入学が、

 一年遅れたんだ。

 あんたの父親はそりゃあ怒ったわ。当たり前よね。

 大人が何人もついていながら、一人息子にこんな大怪我をさせるなんてって、」

 

 結局父のその怒りは何年たっても消えることはなかったのだ。


 大体の事情は呑み込めたが、どうしてもあの少年がわからない。

 ひいお祖父ちゃんと同じ名前だったのは偶然なのか。

 

 いやそれよりも、あのとき夢を見ていたのか。

 夢遊病者のように一人でさまよっていたのだろうか。

 わからない。どう考えるべきなのかわからない。誠は頭を抱えた。


 そして、祖父の死、曽祖父の死さえも自分のせいなのだと思えてきた。

 今更思い出してみてもどうしようもないけれど。

 幼かったとはいえなんてことをしたんだろう。


 誠は自分の存在が無性に忌まわしいものに思えて震えてきた。

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