第10話 空の海

「空の海・・・・・」

 今更ながら誠はその美しさにため息をついていた。

 

「陸にも海にも生きる鯨。なら空だって、

 空の海だって泳げるに決まってるよね。」とそう呟いた。


 島の山並の山頂にも手が届くくらいにヒデはボートを寄せた。

 一度雲に潜った鯨はすぐに垂直に頭を上げてドオーンと身を躍らせた。


 空中に跳び、尾をくねらせ雲海にダイブする。

 ああなんてきれいなんだろう。ふたり顔を見合わせた。


 何度目かのジャンプとダイブの後、徐々に海上の雲が途切れてきた。

 海の青さが広がっていた。雲はもう山並の上だけになっている。


 太陽はうんと傾き地平線へ落ちるところ。

 夕焼けのオレンジ色が鯨を照らしていた。夜が近い。

「暗くなってきたね、ヒデ。くじらはどこに帰るの?」


「この鯨の家はここさ。」とヒデはいう。

「ここ?でもここは山の上だよ。」

 

「銀の鯨のすみかは雲の海だ。年中、雨雲がかかってるここにいつもいるんだ。

 だからここが鯨の家なのさ。」ここは雨の島だからとヒデはいう。


 ―――なんだろう。誠は何度も目をしばたたかせ指でこすってみた。

 夕焼けを背に話しているヒデの、その顔に別の顔が重なって見える。

 

 二度三度チラチラ二重写しのように他の誰かの顔が見え隠れする。

 気のせいなのか。それでもそれはどこかで見たような顔だった。


「ヒューンヒューンヒューーーン・・・」物悲しい声が聞こえてきた。

 鯨の声だ。くじらが歌っている。


「目を閉じてまこと。オレがいいっていうまで閉じてろ。いいか?」

 またなにか出てくるのだろか。誠はワクワクした。


「ヒューンヒューンヒューーーン・・・」

 誠は目を閉じて鯨の歌う声に耳をすませていた。

 

 鯨がふたりに語りかけているようなそんな気もする。

 風が変わった。ひんやりとその風が頬を撫でていく。


「もういい?」「まだ、まだだ」「もういいかい?」「まあだだよ」

 何度か繰り返した後、

「よしいいぞ、ゆっくり目を開けてみろ、まこと」

 

 いわれるがままにゆっくり目を開けてみた。

 そおっと開けてみると、「あっ、・・・」

 頭の上、手の届きそうなくらいのところに星が、たくさんの星が瞬いていた。


 東の海から中天、そして西にかけて銀河が、天の川がかかっている。

「ヒューンヒューンヒューーーン・・・」

 鯨は天に向かって歌っていた。


 もうその時間になると海の上の雲はすっかりはれて、今度は月がのぼっていた。

 目の前に欠けたところのない大きな満月が浮かんでいた。


 月の明かりが海に銀色の道を作っている。

 

 ザザーッ、ザザーッ。ザザーッ、ザザーッ。ザザーッ、ザザーッ。

 遠くから寄せては返す波の音もする。


 青い夜だった。

「きれいだ・・・」「うん、きれい、だね」


 天の星は手が届きそうなくらい近かった。

 だから、誠はゆっくり立ち上がって星をつかもうとしたのだ。


「あっ、だめだ、誠。」「あああっ」

 バランスを崩して誠がボートから転げ落ちた。

 それを助けようとヒデも手を伸ばしたが、片側にふたりの重さがかかりボートがひっくり返ってしまった。


 雲の海へふたりが落ちていく。

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