第8話 夏の日

 真夏の太陽が照り付ける浜辺は子どもたちの歓声であふれていた。

 六歳の誠は母に連れられ今日はここへやってきた。

 

 

 島に着いたのは昨日。

 その足で祖父と祖母も一緒に四人で曾祖父のお見舞いに向かった。


 大きな施設の一室に枯れた木の枝のような顔の老人が横たわっている。

「ほら、誠、ひいお祖父ちゃんにごあいさつは?」


 ベッドの傍に押し出されたが、誠はそのまま後ずさりしていた。

 こんなに年老いた人を見るのは初めてで恐れおののいたのだ。

 

 この人だれかに似てる。そうだ、幼稚園で見た妖怪絵本の「ぬらりひょん」だ。

 パジャマの袖口からのぞくしわくちゃの細い腕も人のそれには見えなかった。

 

 ゴクリと唾を飲み込んだひ孫は曽祖父のかすれた声、

「ま、、、こと、う、みは、好、、きか」がよく聞き取れなかった。



 そして今日、夏の海を満喫させようと母がここへ連れてきたのだ。

 祖母と誠を叔父の車に乗せ、島の北西の浜辺へ。

 

 後から祖父が舟でやってくることになっていた。

 昼前には港へ来てくれといわれていた。


 港はここから歩いて十分だった。

 祖父は誠を舟に乗せてやろうとしていたのだ。

 

 誠と同じくらいの子どもたちが砂浜の一角の岩場で何人も遊んでいた。

 行っておいでといわれたが、人見知りで臆病な誠は知らない子たちの中へ入っていけなかった。

 

 何度も振り返るが母は気付きもしない。

 さっきから祖母となにやら熱心に話している。


 岩場は小さな子どもたちが遊ぶにはもってこいの場所だった。

 天然のプールに黄色い熱帯魚がチロチロ泳いでいる。


 潮が寄せるたびに海水が動く。それにつれて魚も出たり入ったり。

 もっと近くで見たいのだけれど、誠は歓声を上げる子たちの後ろから覗き見るのが精いっぱいだった。


「おい、お前、じゃまなんだよ」大きな子に押され砂浜に転げ落ちた。

「いっ、たあ、・・」「なんだよ、え、なんか文句でもあるのかよ」


 顔を上げたが相手の剣幕におされそれ以上何もいえなかった。

「おい、やめろよ、こいつだって、見たいんだ、入れてやれよ。」


 誠の腕をとって立ち上がらせてくれた者がいた。

「だいじょうぶか?へいきか?ほら、こっちからも見えるぞ。」


 岩場の反対側へ手を引いてくれた。誠よりいくつか年上のようだ。

 ランニングシャツに紺の海水パンツ、額に水中メガネの少年。


「まこと、泣かなかったな、えらいな。」とその少年はいう。

「な、なんで、ぼくのなまえ、しってるの?」


「オレはなんだって知ってるぞ。

 もう少ししたら、山から大きな雲が下りてくる。

 がやってくる。海が荒れるぞ。

 いいかまこと。

 港からお昼のサイレンがきこえてきたら海からはなれろ。」


「おおきなくもに、ぎんの、くじら?」

 呪文のようなその「銀の鯨」が耳に残った。


「ぎんのくじら、ぎんのくじら・・・」


「まこと、お祖父ちゃんが待ってるから、行こう」

 すぐ後ろに母が来ていた。約束の時間だった。


「ウーウーウー」港の方からだ。

「お昼のサイレンだわ、行こうか。」母がせかす。


「おかあさん、あのね、ぎんのくじらが、くるって、このおにいちゃんが、」

 振り向くとそこに少年の姿はなかった。


 お昼の時間に子どもたちは次々海から上がっていった。

 母の前を歩いていた人々が一斉に空を見上げた。

 つられて見上げた母はそこに、山にかかる大きな雲を見た。


 早回しのように灰色の雲が辺りに広がり一瞬にして暗くなった。

「誠、雨になりそう、早く、おい、で・・・」

 振り返ると、誠の姿が消えていた。

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