第5話 少年

 少年はすぐ左に曲がった。誠は傘をさす間もなく走り出た。

 降りしきる雨は霧雨になり身体にまとわりついてくる。

 

 すぐに追いつくと思っていたのにもうずい分先にいた。

 まばらな街灯が斜めに少年の輪郭を浮かび上がらせている。

 

 やはり誠を待っていた。立ち止まってこちらを見ている。

 近寄るとまた駆け出す。「ふふふっ、」闇の中から声がする。


「ねえ、ちょっときみ、こんな夜にあぶないよ」声をかけるが、

「ふふふっ、ふふふっ」無邪気な笑い声を上げる。


 完全に遊ばれている。「くそっ、」大人げない声が辺りにこだまする。

 早く追いかけて連れ戻さなくては、いくら南の島とはいえ夜のこの雨は冷える。


「くしゅん、」ほら、くしゃみをしてるじゃないか。

「おおーい、きみ、風邪ひいちゃうだろう。帰ろう」


「ま、こ、と。約束、だっただろう。もういちど、ふたりで行こうって。」

「誰、きみ誰だ?」「ぼくだよぼく、ヒデだよ」


 ヒデ?ヒデって、誰だ。今さっき会ったばかりじゃないか。

「きみ、誰かと勘違いしてるよ。きみの約束したって人はほかにいる。」


「いやだな、わすれちゃったの?」「うわっ、」

 すぐ近くに来ていた。まるで瞬間移動のように。

 誠の手を取り引っ張る。「行こうよ」その手がとても冷たい。

 

 ヒデと名乗る少年の瞳から目が離せなくなった。

 この瞳はやはりどこかで見た。どこかで・・・。

 と、一瞬で辺りの景色が変わった。

 

 

 

 誠はほんのりとした明かりの中にいた。

 少年と手をつなぎ少年と同じ目の高さになって。


 ザザーッ、ザザーッ。ザザーッ、ザザーッ。ザザーッ、ザザーッ。

 寄せては返す波の音がする。

 

 ゆっくり辺りに目を向けると、そこは夜の海辺、波打ち際だった。

 海の向こうに月が、欠けたところのない大きな満月が浮かんでいた。

 銀色の道がふたりを導くように海の上に伸びている。

 月へと導く道が。


 ザザーッ、ザザーッ。ザザーッ、ザザーッ。ザザーッ、ザザーッ。

 寄せては返す波。


 青い夜だった。

「きれいだ・・・」「うん、きれい、だね」

 潮の香が心地いい。目を閉じて胸いっぱい息を吸ってみた。

「今夜、あの子もくるよ」「あの子って?」

「もうじきわかるよ」「ふ~ん」

 それが誰だか誠はもう知っているような気もした。

 目を閉じてもう一度深く息を吸った。

 前にもこうして波の音を聞いていた。ずっと前、うんと昔に・・。


 ザザーッ、ザザーッ。ザザーッ、ザザーッ。ザザーッ、ザザーッ。




「ま、こ、と~」遠くから呼ぶ声がする。

「まこ、と~、まこと―、誠!」

 

 はっとして振り返るとそこに悲痛な顔の母が立っていた。

 雨の夜の闇が戻っていた。


「あんたはもう、・・・」

 泣きそうな顔だった。誠の腕をつかみ激しく揺さぶる。

「こんなとこでいったい何してんのよ」


「いや、あの子が、外に飛び出して・・・」

 見回したが少年の姿はどこにもなかった。

 

 

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