第4話

少しの無言に浸っては壁時計の秒針と時々漏れてくる外の道路の車のクラクションの音が鳴る中、お互いの近況を語っては高校時代の同級生たちのことを併せて会話を交えていった。すると琳が不意にある話を持ち掛けてきた。


「入籍してからすぐにこの子が生まれた時まるで自分の子どもじゃないみたいに思えたの」

「それはどうして?」

「あんなに苦しんで何時間もかかって産んだのに、しばらく時間が経ってその子が隣に眠っているのを見た時に、この子の父親の事を考えていた」

「どう考えたってあいつとの子だろう。何、どうかしたのか?」

「この子ね、彼の子じゃないの」

「どういう意味?」

「彼とした事と妊娠をしたタイミングがずれているの。気づいた時にはもう五週目になっていたし。もう一人相手がいるんだよ」

「それってまさか……」

「うん。奏市だよ。この子の父親、あんただよ」

「何……言っているんだ?そんなわけないだろう。たしかに駒沢で飲んでからお前の家泊ったけど、コンドームつけていただろう?」

「なかったよ。中で出してって言ったの覚えていない?」

「もしそうだどしても、どうしてすぐに教えてくれなかったんだ?」

「周りにバレたらまずいの当たり前じゃん。それに、私はあんたとは一緒になるなんて考えたこともない」

「付き合っていたのに、それはないだろう?元彼との間にできた子でも産むって決めたのもお前の判断なんだしさ」

「正直産んで後悔している……」

「それ本心か?この子が可哀想だろう?母親がそんな弱気じゃ子育てもいい加減になるぞ?」

「いい加減になんかしていない。後悔はしていてもそう思ったのは産後当時の話よ。マタニティブルーってやつだった。今はちゃんとあの子を見ているよ。彼と一緒に育てていくって決めたから、本気で手放すことはしない」

「俺も父親なんだな。なんか目の前にして複雑だな……」

「奏市は細かいことは気にかけなくていい。この子が大きくなってから私から事情を話すから……今は彼にも何も聞かないでいて」


自分の子どもだと言われてもすぐには認識ができにくかったが、僕はその日からその子へ強い思いを抱くようになっていった。

一ヶ月後、再び琳から連絡が来て自分の旦那と出かける所用ができたので、彼らのいない一日の間だけ子どもを自宅で預かってほしいと頼まれた。初めは預かり保育所で置いた方がいいと話したが、数カ所のところに問い合わせたが断られどこも預かれるところがないから僕に頼みたいと言い出した。


それから数日が立ち琳が僕の自宅にやってきて子どもをソファの上に座らせて手荷物を預けた後翌日には都内に戻れるのでそれまでの間子どもを見てくれと言ってすぐに家を出た。

持ってきた手荷物が随分と重たかったので中を開けてみてみると抱っこ紐や三着の洋服とおむつ、離乳食の惣菜が入っているタッパーなど日用品も入っていた。自分一人では面倒を見るのが大変かと思い母に連絡をしようとしたが丸一日見ているわけではないと思ったのでとりあえず様子を見ることした。


子どもの名前は響。彼は座りながら部屋の中を見渡して琳の事を探しているようだったが、僕と目が合うと手を伸ばしてきたので握ってあげると微笑んでくれた。


「今日は機嫌がいいみたいだな。明日までよろしくね」


手足を動かして遊びたい仕草も出していたが何をしてあげればいいのかわからずバッグの中を探ってみると、風船に近いくらいの柔らかい素材のものがあったので空気を入れて膨らませてみるとボールになった。子どもの見えている範囲でボールを見せたり隠したりしてみると声を出して捕まえようともしていた。

こうして彼と向き合っていると次第に子どもへの関心もより強くなっていき、まるで我が子のように懐いてくれているような気がしてきた。


そうだ、彼は僕の子どもなんだ。琳が自分の旦那にも懐かない時が多いと聞いた時それはきっと父親が違うからだと考えたが、子どもにとってはそれでも旦那は実の父親だと見ているはず。僕は旦那に嫉妬を抱いている。

高校の時にもあまり親しくしていなかったし、性格すらほとんど知らない。結婚式の時に挨拶をしようと声をかけても表情もあまり変えようとせず冷淡とした態度で心ない感謝の言葉を交わしたことがよく覚えているぐらいだ。


琳と一緒になりたいと考えていたことあったがその頃は今よりも考え方が甘かった。だから彼女には結婚というのも考える余地など無かった。ただこうして響を眺めては懐きたいと寄り添い好奇心を見せる姿が目に入ると一層我が子にしたいという欲望が芽生えてくる。どうすれば今この手の中に入ってくれるのだろうか。


そうか、束縛をすればいいのか。


どこにも隠しようもないが今すぐ彼とここから立ち去りたいくらいの思いが沸々と込み上げてくるのだ。


「響、お家にいてもつまらないよな。どこかへ行こうか?」


彼は僕を見てはひたすら微笑んでくる。しばらく考えているうちに不甲斐なさを感じてきたが少しくらい自宅から離れてもすぐに戻ればいいと考えた。だが、琳と旦那へのひがんで揺れていく振り子が大きく振り始めては当たる重りの音も次第に大きくなっていき、とうとう自我の許容を超えてしまいたいくらいの激情がものすごい破裂音で鳴り響いていった。同情もいらない、許されなくてもいい。


──この子を奪って遠くへ行こう。


僕は響の様子を伺いながら散らかった荷物を集めてバッグにしまい込み、彼に抱っこ紐を取り付けて抱えると自分のバッグも持ち込んで慌てるように玄関へ行き靴を履いた後家を出た。

最寄りの駅の改札口を抜け階段でホームへ行き数分後に来た電車に乗り、周囲の人たちの目線を気にしながら自分も落ち着かないくらい心臓の鼓動が早くなっていくのを感じていた。


各駅ごとに電車が停車するたびに誰かに声をかけられないかと気にしていたが東京駅に着くまでの間は誰一人こちらに寄っては来なかったので深呼吸しながら響の機嫌を見ていた。

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