第3話

翌朝になり、リビングへ行くと母が誰かと電話で話をしていたので、その間に果穂が作ってくれた朝食を悠斗と一緒に摂っていると果穂のスマートフォンに琳から連絡が来て今日自宅に来る事を聞き、彼女と一年ぶりに会えることができると告げてきた。

果穂も食事を済ませると琳に手作りの菓子を作って手渡すと言い早速その準備に取り掛かっていた。母が電話を終えたので誰から来たのか聞いてみると、秋田の海沿いの傍に住んでいる祖父母から連絡が来て、従姉妹の十三回忌法要が終わったから家に来ていいと告げてきた。


彼女たちとは犬猿の仲という事もあって絶縁に近い状態で連絡を絶っていた。しかし不慮の事故で亡くなったと聞かされた時には正直安堵して胸を撫で下ろした。とにかく僕を含めて家族のことを揶揄やゆすることが頻繁にあり他の親族らからも呆れられるくらい思考や言葉遣いには悩まされたこともあった。

彼女たちはあの海に流されていって誰も届かないくらい深い海底に消えていったようなもの。恐らくだがきっと父が僕たち家族をもう不快な思いをさせてはならないと考えて引きずり出すように離していったのかもしれないと心の中で願うのだ。


仏壇の前に座り父の顔を見ては僕を守ってくれているのかと思うと逸る気持ちで秋田へと行きたくなってきた。

両親が生まれ育った秋田の空の下はいつも日差しが明るく笑っていて田畑が広がる景色を眺めているだけでも居心地が良くなるものだ。

小学生になる前に田んぼの畦道を颯爽と走っては青蛙やトンボを捕まえて虫籠に入れ父親に見せると喜んでくれていた。祖母が浸してくれた冷えた西瓜の爽やかな甘味が忘れられず未だに覚えている。深夜の寝静まっている時に遠くから鈴虫の擦り合わせる翅の音が優しく、狭い居間で家族と押し合うように囲んで布団で眠ることが僕にとっては幸せのひとときだった。


年齢を重ねるごとにそのような思い出は薄れていき、いつの間に時間に追われながら何をするにも忙しいという言葉で片付けてしまっている。人に対しても振り回していくかのように適当にあしらうこともある。

いい加減な人間になるなと親から言われてきたが、仕事をこなしていてもやはり時たま人や物事を蔑むこともある。理想的な人間とは寛容の精神が備わっていて、かつ穏健主義なんだろうと考えることにしてはいる。


僕は自分の姿を見る癖があり、鏡や街頭の窓ガラス、車の窓にさえ目に入って写ったものには則座に反応して今自分がどんな表情や立ち姿をしているのかと気にしてしまうのだ。だが自己陶酔型ではない。そこに自分の姿が写り見えていないと不安なのである。この身体は見せたくないことばかりだ。邪念だらけの道化師バフーンとも置き換えるとしたら、きっとみんな僕から遠ざけていくだろう。


常に仮面をかぶりながら過ごしていると息苦しくもなる。そこからどう抜け出せば本来の自分になれるのか道に転がる言葉を拾い集めながら歩いているようなものなのだ。

しばらく悠斗と一緒に遊んでいるうちに時間が経っていた。そうしていると台所から溶けたバターのような香ばしい香りが漂ってきた。母に呼ばれたので居間からリビングへ行くとオーブンレンジの中からテーブルプレートを取り出してテーブルに置いた。


「奏市、できたわよ」

「あ、スコーンだ。旨そう」

「冷ましてからそこに置いてある箱に入れるから、琳にも持っていってちょうだい」

「あいつ、家来れないの?」

「子どもの手が離せないから来て欲しいって言ってるの。あなた時間あるんだからそれくらいは手伝ってくれてもいいでしょう?」

「まあ……いいよ、わかったよ」


母がせかせかしながら琳に渡すものをバッグに詰め込み、その後琳の家へ行き玄関先で待っているとドアの向こうから赤ん坊が泣く声が聞こえてきてその声がこちらへ近づいくると、ドアが開き琳が子どもを抱えて僕を出迎えてくれた。


「久しぶり、元気そうだな」

「久しぶり。ごめんね、なかなか泣きやまなくてさ。さっき眠っていたのに起きたらまた泣き出したんだよ」

「大変だな、お前も」

「ああそれおばさんが言ってたお菓子?見せてよ」

「はい。……うわ、お袋随分詰め込んだな」

「いいね出来立てのスコーン。奏市も一緒に食べようよ。紅茶でいい?」

「ああ」


泣きやまない子どもをあやさないでベッドに寝かせると琳は台所へやかんが乗ったガスコンロを着火した。次第に鳴き声も大きくなってきたので僕は子どもを抱きかかえると、身体をのけ反りながらさらに泣き出したので琳を呼んだが、手が離せないから代わりにあやしてくれと言ってきた。子どもに声をかけては背中をさすったりして窓側へ連れていき身体を揺すっているうちに泣きやんできたので頬を指で優しく触れると笑ってくれた。


「ねえ、子どもあやすの慣れているの?あたしでも時間がかかるのに奏市が抱くと大人しくなるのね」

「たまたまだよ。それに、おむつ換えてやったか?」

「ちょっと見せて。……ああ、やっぱり出たんだね。今取り換えるわ」

「母親なんだから気づけよ」

「あんたに言われたくない。ソファに座ってて」


台所に立つ琳の背中を眺めていると、いつのまに母性という言葉がその身体に流れているのかと思うと、彼女も色々な事に立ち向かっているのだと滲み出ているのがこちらにも伝わってくるようだった。

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