第56話 再来


 ――唯香、一体どうしちゃったんだろう?

 ――もしかしてこれも、X集落と何か関係があるの?

 

 いきなり激高した唯香の剣幕に動揺した私は、自室で怯えていた。

 狂気さえ感じる変貌ぶりは、とても同じ人物とは思えなくて、

いっそのこと何かに憑りつかれていると言われた方が納得するくらいだ。


 こうして私が自室にこもっている間も、何回か部屋のドアを

ノックする音がしたが、それが唯香なのか他の誰かなのかすら確かめる

ことすら怖くて出来ず、ドアから一番離れているベッドの傍に私はただ

座っていた。 

 

 膝を抱えて座っている間に、窓の隙間から差し込む光は段々と消えていき、

周囲は闇に閉ざされていく。

 しかしそれでも部屋の電灯を点けて自分の居場所をさらそうとは、

どうしても思えない。


 真っ暗な部屋の中でスマホを弄りながら、当てもない救いを求めて、私は

ただ当てもなく時を浪費していた。

 次から次へとスマホに流れてくる刺激的なニュースもエンタメ情報もまるで

遠い国の出来事のように思いながら流し見をする。それどころか、こうして

自分が置かれている訳の分からない状況ですら、ただの悪夢の延長のように

感じて、まるで生きている実感がない。

 

 現実逃避の一つなのか、そんなことを考えていると、今度はメールの着信を

告げる音が鳴った。


 スマホの画面を確認する。

 唯香からだった。


『さっきはごめん。佳奈美のことが心配だった。明日、一緒に実家に帰ろう』


 …………。

 夕食の時のあの変貌ぶりの後にこの言葉――これは信じていいのだろうか。

 食堂でナイフを握った唯香の手と、絶叫が頭から離れないのに。


 あれほど激高したというのに、周囲の反応から自分がどう見られているのかを

すぐに察して冷静さを取り戻した唯香のこと。

 このメールを送るのにも、随分と文面を考えて私に送ってきたのだろう。


 しかしそこまで分かっていても、私は返信をする気にはなれなかった。


 いつもより少ないなりにも人目がある場所で、あれだけの行動をしたのだ。

 もし誰も周囲にいない中で、また何か唯香の地雷を踏むようなことをして

しまったら、彼女は次こそ私を――。

 

 そう考えると、途中までとはいえ二人きりで帰省するなんて簡単に承諾できる

訳がない。とはいえすぐに断れば、それもまたリスクを伴うわけで――。


 とりあえずいつでもこの部屋を出られるように、私は食堂での一件以降中断して

いた荷造りを再開した。仲舘さんには、唯香との件が落ち着いたら連絡することに

する。まずはこの寮における身の安全が最優先だ。


 この部屋に居ることを知られたくないこともあり、ラジオやテレビを付けない

無音のまま荷造りを進める。


 すると1時間ほどが過ぎたあたりに、着信があった。


 もしかして唯香から返事の催促かな……。


 悪い予想しか出来なくて、スマホを確認するのも億劫おっくうになる。

 荷造りも佳境に入ってきたこともあって、一段落したらスマホの通知画面を確認しようと思い、しばらく放っておいたところ、向こうから切れた。


 ……やっぱり唯香なのかな?

 相手から切ってくれたことに安堵して、スマホ画面を確認すると、そこには愛理の名前が表示されていた。



 ……!

 すぐに電話を掛け直すも、やはり相手は出てくれない。

 しかし留守電メッセージは残してくれていたので、それを再生することにした。


「――生き延びたいなら、唯香の言う通りにして」


 そこには一言一句、以前に電話で話してくれたのと全く同じ内容の愛理の言葉が

録音されていた。


***


 毎回同じフレーズだけを話す愛理。

 ――まさか唯香に脅されて言わされている?


 唯香が愛理の次に私も捕えようとしていて、そのために先に囚われた愛理が

唯香に脅されてこの一言だけを伝えるよう頼まれているとは考えられないだろうか。


 いや、もっと最悪な予想として、生前の愛理にこの一言だけを口に出してもらい、録音したものを通話機能で流しているとも考えられる。


 唯香が食堂で絶叫した『あと少しなのに』という言葉も、唯香が私に対して何らかの良からぬ計画を立てていて、それが「あと少し」という本音がうっかり出たもの――とは考えられないだろうか。


 ――そう思うと、寮に今いるメンバーだって、もしかしたら唯香の手が伸びているかもしれない。


 いきなり電話を向こうからかけてきた仲舘さんだって、事前に唯香から私の個人情報を聞いていて、脅すことで唯香と二人で実家に帰るよう仕向けた可能性だって考えられる。


 こうなると、もう誰を信じていいのか分からない。

 それが何の目的で、どんな意味があるのか分からないけれど、とにかく誰も信じられない。

 そこまで考えると、今こうして寮の自室にいるのですら恐ろしくなってきた。


 でも実際に何か危害を加えられた訳ではない。

 だから警察にも行くことはできないし、もしX集落の怪奇現象のせいで皆がおかしくなってしまっているのだとすれば、助けを求められるところは限られてくる。


 次から次に起きる想定外の事態に、もう何をどうすればいいのか分からない。

 じっくり考えるためにも、身の安全を守るためにも、とにかくここを出よう。


 確実に迫りくる危険を感じつつ、最低限の荷物をまとめ終わると、私は外に見張りらしき人はいないか確かめるために、カーテンの隙間から外をのぞいた。


 そこには、いつもと変わらないヨーロッパのガス灯を模した街路灯に照らされた

深夜の歩道があった。昼間の活気がすべて暗闇に塗りつぶされた静寂の中に、歩道

だけがぽっかりと浮き上がって見える。


 そしてそんな幻想的な風景の中に、誰かが立っているのが見えた。


 え……こんな時間に?


 驚いた私がカーテンの隙間を細くして、もう一度覗き込むと、そこには黒の上下にフードを被った男がいた。しかも私が覗き込んでいる寮を熱心に見上げている。

 窓を開け放せば、確実に目が合ってしまうことだろう。


 だが、それ以上に私の目を引いたのは、男が狐面を被っていることだった。

  

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