第50話 X集落と橋姫の里


「そして確かにX集落は『橋姫の里』の後継の集落と言えます。だが

それは同一ではないのです」


 相手――仲舘氏が重々しい口調で伝えてくれる言葉の意味を、この時

の私は正確に理解することが出来なかった。


「……?」


 戸惑い無言になる私に、仲舘氏は「それなら分かりやすく説明しよう」

とばかりに、私の反応を待たず、つらつらと流れるように説明を続ける。


 相手が自分よりも遥かに年上らしいことと、自分の行いが一般社会の

常識に沿うものかどうか自信がないことから、主導権は出だしから相手に

握られっぱなしの状態だ。

 それでもとにかくX集落について納得のいく情報が欲しい私は、黙って

相手の言うことに耳を傾けるしか選択肢はなかった。

  

「Aはうちの家系に連なる者なのですが、病気で服用していた薬の影響で

妙な妄想に憑りつかれてしまいましてね。挙句の果てに家人が目を離した

隙に、その妄想を本を作ろうとされている人たちに話してしまって……

いやはや、本当に先代はその後始末に随分と苦労したのですよ……。

あなたはまだ読んでいませんか? あの本の最後にも著者にお願いして

書いてもらったはずなのですが」


 それは確かに読んだ。

 読んだうえで、私はA氏とA氏に肯定的な著者たちの方が信じられると

判断した。

 インタビューを読む限り、A氏は自分の知っている事実を真摯に淡々と

語っているように私は感じたし、執筆者たちもA氏の発言に一定の信憑性

があると「中平國風土記」に書いていたはずだ。


「私もAさんのインタビューを拝見しました。Aさんはその中で、すごく

詳細に『橋姫の里』について語っていました。あれが全部妄想だなんて、

とても信じられません……」


 インタビュー記事を読んだ一読者として、執筆者と同様、私もそれが

妄想の産物とは思えなかった。妄想だったら内容がもっと曖昧で話の筋

にも分かりやすく齟齬や矛盾が生じるはず。A氏の語る里の役割、里で

起こった悲劇の内容は、どれも真実を語っているからこそのリアリティ

を感じたからだ。 


 しかし私の反応にやれやれといった風に、相手は大袈裟なくらいに

大きな溜息を吐いた。


「だから、それこそが妄想たる所以ゆえんなのですよ。考えても見て

ください。本当に『橋姫の里』なんていう何でも願いを叶えてくれる場所

があったとして、それを表沙汰にして何の得があるっていうんです?それに

生と死をつかさどる願いを叶える――なんてAがもっともらしく語って

いますが、それならAはどうして『橋姫の里』で生かされているのでしょうか? 

細かく見れば矛盾だらけなのも妄想ゆえということですよ」

 

 確かにそれは――。


 でもA氏は、自分が「橋姫の里」に軟禁されているのは、私たちの生きる

この世界から消えることを望んでいる誰かのせいだと言っていた。

 それならこの世界とは隔絶している「橋姫の里」で生きている分には許される

のではないだろうか?


 少なくとも私はそう解釈したのだが――そう仲舘氏に伝えると、またもや

大きな溜息を吐いて、呆れたように言った。


「あなたのように、あの本を鵜呑みにして、何が何でも『橋姫の里』が存在

すると信じる人たちが、あの本が発行されてから相次いで添山に押しかけましてね……。それで、私どもも随分と困ったのですよ」


 私を軽く非難するニュアンスを含んだ言葉に、私はハッして口をつぐんだ。

 余程A氏の話を信じることが気に入らないのか、それとも……。

 男性の明らかに不満がこもった言葉に緊張が走る。


「そもそも『橋姫の里』の実在を信じたいと思うような人間とは、どんな人

たちか分かりますか?」


 相手を叱りつけるような男性の口調に気圧されながらも、懸命に考えて

私は答える。答えないと、余計に空気が悪くなりそうだ。


「それは……生と死に関する願いをもつ人たち……ですか?」


 あのインタビューを読んだうえで「橋姫の里」の実在を信じたいと願う

人物像を想像するなら、そういった願いをもつ者だろう。


「そうです。他にも単に橋姫の里に行きたいとか、そこで暮らしたいという

人たちもいたそうです。終戦からそれほど経過していない時代ですから、

現実に絶望しているような類の人が多かったのでしょう。無理もありません。

そこで先代が行き場のない彼らの移住を許可して作られたのが、あなたのいう

『X集落』なのです」


 なるほど。仲舘なかだてと名乗ったこの男性曰いわく、「橋姫の里」というのはA氏の

妄想の産物だが、それを頼りに来た人たちのために、添山に新しい集落を

作るのを許可した。それがX集落というわけか。

 

「彼らは故郷を追われたり、逃げるように、添山に辿り着いた者ばかり。それゆえ

互いの話はあまりしたくない。だが共に暮らすには共通の基盤となるものが欲しい。そこで自然発生的に共通のものとしたのが、Aの妄想だったのです。私どもが何もせずとも、彼らがAの妄想の『橋姫の里』を具現化していったのです。それが彼らの共通の文化となり絆を深めた――」


 新たに添山に定住した人々の共通の文化的基盤が、Aの妄想物語となった。

 それは自分のことを開示せず、ともに生活するための手段でもあった。

 つまりX集落とは、存在しない妄想上の『橋姫の里』の話を頼って、流れ着いた者たちが添山に新たに形成した集落のこと――ということか。


『そして確かにX集落は『橋姫の里』の後継の集落と言えます。だが、それは同一ではないのです』

 

 男性のこの言葉の意味が、私はようやく理解できた。

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