第41話 トレイルカメラ
「あっ、そうそう。絵をね、描いてきたの」
そう言うと、先輩は端に花のイラストのついたメモ用紙に描いた絵を見せて
くれた。親切な先輩は、ご丁寧にも自分がその時に見た人物の絵を描いて持って
きてくれていたのだ。
先輩の絵では、フードを
仕切るように植えられている街路樹の陰にしゃがみこんでいる。
あの日は調べものに集中していて、外の様子なんてまるで意識が及ばなかったが、外の様子を気にしていたとしても多分見つけることは出来なかっただろう。
そんな死角のような位置に、その人物はいた。
そして服装はだぼっとした黒のパーカーを着ているので、体型は細身もしくは
普通くらいで、太ってはいないということくらいしか見当がつかない。
「こんな風にフードを
分からないの……ごめんね」
先輩の絵から何かヒントを探し出そうと穴が開くほど見つめている私たちに、
先輩は申し訳なさそうに謝った。
「そんな……不審者が私の後を付けていることを教えて頂いただけでも有難いのに、お話を聞かせていただいて、それに絵まで用意してもらって、本当にありがとうございます!」
これは本心だ。
先輩の絵は、確かに本人と同じく、可愛らしい絵柄。
それゆえに正直、その時のリアルな雰囲気が分からない部分もある。
でも背丈とか性別とか、体格が分からなくても、重要なこと――どんな格好の
人間が、どんな様子で私を見ていたのか――を教えてくれている。
しかし唯香はそうではなかったようだ。
「あの……写真とかは撮ってないですよね? そっちの方が絵よりもありがた――」
「唯香!」
唯香はもともと率直に物を言うタイプだったが、相手が先輩であってもそれが変わらないとは思わなかった。慌てて私が
けれども当の先輩は全く気にしていないようで、意外なことを言い出した。
「そう! それ! 実は薬用植物園には、もともとトレイルカメラが仕掛けてある
から、必要ならそれを見せてもらえばいいと思ったの! 私が遠くから撮影するよりも綺麗に映っているはずだしね。でも、それがね……」
なんでも近隣の森から野生動物が薬用植物園にやって来ては、植物を荒らしていく
という被害が年々深刻になっているのだとか。そこで植物園には、植物を荒らす動物の侵入経路や行動を把握するためにトレイルカメラを複数台設置しているという。
このトレイルカメラを設置しているのは大学の薬学部なのだが、その他にも先輩の同級生には、「薬用植物に対する獣害」を卒業研究のテーマにしている学生もいて、個人的にカメラを仕掛けているそうだ。
そのことを知っている先輩は、自分がその不審者を撮影しなくても、後からそれらのカメラを確認すれば良いと思って、あえて自分のスマホで撮影しようとは思わなかった――学部のカメラは手続きさえすれば、学部生なら誰でも見せてもらえることになっており、同級生も仲が良いのでいつでも見せてもらえるのだから。
なるほど。特に矛盾するようなところはない。
でも先輩の最後の言葉は、なんだか気になるニュアンスを含んでいるような気が
するが……。
「それで、何かあったんですか?」
私の疑問を代弁するかのように、先輩を紹介してくれた友人が話の続きを促すと、少し何かを考え込んだ後、困ったような顔をして先輩は口を開いた。
「それが、その人、植物園にあるどのトレイルカメラにも映っていなかったんだよね……」
昨日私と会う約束をした先輩は、すぐに大学の学部事務局と同級生に頼んでカメラを確認させてもらったが、そのどれにも先輩が見た人物は映っていなかったそうだ。
「不審者は植物園とは反対の図書館とか正門のある方向から来たから、カメラに収まっていなかったというだけではないですか?」
すぐに唯香が自分の推論を披露する。
確かに合理的に考えれば、ありうる話だ。
だが先輩は、それはないと断言した。
「あの人がいた位置まで行くのには、必ず植物園側の道を通ることになるの。そこの道にも一台カメラが設置してあるのに、カメラに一切姿が捉えられていないというのは、どうにも腑に落ちないのよね」
「……」
先輩の言葉に戦慄した私たちは返す言葉もなく、場は静まり返った。
「ごめんね、怖がらせるようなこと言っちゃって。私が知っていること全部を伝えておかないと、皆も対策が打てないんじゃないかと思ったんだけど……」
宥めるようにそう言うと、先輩は「ここのケーキおいしいから、食べて元気を出してね」と私たち3人全員にケーキを
そして「何か分かったら連絡する」と約束すると、今日も実験データを取りに行かないといけないからと申し訳なさそうに去っていった。
重苦しい雰囲気のまま、私たちはケーキを口に運ぶ。
時折聞こえる他のテーブルの談笑も、昼下がりの洒落たカフェの風景も、すぐ傍にある確かな現実なのに、遠い世界の出来事のように映る。
それでも先輩が推しているだけあって、驚くほど風味豊かなケーキの味わいは、
確かにここに自分が存在していると実感させてくれた。
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