第38話 着信


 自室の前まで送ってくれた三人に「おやすみ」と告げ、ドアを閉めた私は、

ドアに背をもたせかけ大きく深呼吸をする。


 今日一日で余りにも多くのことが起きすぎた。

 頭を整理するためにも、一旦心を落ち着けないと。

 

 カーテンを閉めて、ポールハンガーに鞄をひっかけ、部屋着に着替える。

 ゆったりとした肌触りの良いトップスとハーフパンツの部屋着になると、

締め付けから解放され、身体が息を吹き返したような気分になる。


 リラックスした私は、そのまま電気ポットでお湯を沸かし、コーヒーを

淹れ、ダイニングチェアに座る。

 これはもう疲れた日の終わりに必ず行う儀式のようなものだった。


 コーヒーの芳醇な香りが、今日一日のやくを溶かしていき、穏やかな

夜を演出してくれる。何度も迎えた疲れた日の夜には、この香りが魔法の

ように、少しずつ千々に乱れた心を解してくれた。


 今もそうだ。

 異様な出来事に揺れる心が、徐々に落ち着きを取り戻していく。

 やはりコーヒーの香りの魔力は、効果てきめんだ。


 十分も経過しないうちに、すっかり気持ちを切り替えることができた私は、

頭を整理する余裕が出てきた。


 ――今日、改めて唯香の私を案じる気持ちは、本物だと感じた。


 X集落について何か知っているからこそ、唯香は私の身を心配している。

 だけど、その理由は私本人には言えないというのは、唯香だってもどかしい

はず。


 それなら私本人が、真実に辿り付いてしまえば、どうなる?

 唯香が隠すことに意味なんて無くなる。

 唯香ひとりが全てを背負い込む必要だってなくなる。

 共闘せざるを得なくなる。


 ……寮の外でひとりきりで行動するのは今日で懲りたから当面控える

こととして、情報収集は進めていこう。

 唯香の言えないX集落の謎について、自力で探し出すのだ。


 私は当初の予定通り、ネット検索を始めた。


***


 ――と、意気込んではみたものの、X集落に関する情報は、不自然な

くらいに出てこなかった。


 図書館で調べた隠れ里の話はネットには見当たらず、例の気骨ある郷土

史家に関しても、図書館にあった本と県立図書館に貸し出しを希望した本

の著者としてヒットしただけだった。


 共著者のYさんに関しても、その本の共著者として出てくるだけ。古い

事柄だから仕方がないとしても、驚くほどヒントになる情報がない。


 地図アプリですらX集落とおぼしき場所を検索してみても口コミ1つなく、

Z県の地元情報サイトや地元掲示板でも誰も話題にしていない。


 同じ鳥追地域にある湖とその周辺の避暑地には、有名な寺院や、名産品

や土産物を売る店が集まる通りがあるのとは対照的だ。


「……あ、そうだ! 愛理が言っていた書き込み!」


 愛理がX集落について知るきっかけとなったSNSの書き込みを自分の目で

見てみようと検索したのだが、それすら出てこない。

 相手の書き込みはもちろん、愛理のそれらしき書き込みすら出てこない

しまつだ。


 X集落に関することは、ネットの世界から抹消すると決めた見えざる力が

あるかのようだ。まるで存在も痕跡こんせきも出てこない。


 どういうことなんだろう……?


「うーん、やっぱりあの本が届くのを待つしかないか……」


 備え付けのリクライニングチェアの上で、私は腕を思い切り伸ばして、

背伸びをする。


 時計を見ると、もう深夜11時を回っていた。

 これ以上は何も有益な情報は出てこないだろう。


 仕方がない。

 今日はもう調べ物は終わりにして、明日また考えるか。


 そう思った私は、メールチェックだけして、パソコンの電源を切ろうと

すると、デスクに置いていたスマホの着信音が鳴り響いた。

 予想外の音が部屋中に鳴り響き、思わず小さな悲鳴が出る。


 「え……、こんな時間に?」

 

 深夜にSNSのメッセージでもメールでもなく、あえて電話をかけてくる

人に心当たりがなく、心臓がギュッとなる。


『……あなたのことをジッと見ている人がいます。図書館からずっと後を

つけています。今も』


 夕方にもらったあの手紙の一文が、反射的に脳裏に浮かぶ。 


 いや、まさか、それが何者なのか知らないけれど、私の電話番号までは

把握していないはず……。

 祈るような気持ちで画面を確認する。


 …………!


 スマホの画面を見た瞬間、私は弾かれるように通話ボタンを押した。



 ――電話をかけてきたのは、愛理だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る