第20話 脱出


 愛理と共に無我夢中で森を抜け、集落を突っ切り、停めておいたレンタカー

まで全力疾走する。


 男から逃れることに必死で、身体に疲れや痛みはまるで感じない。前だけを

向いて、ひたすら車までの距離を走る。

 昨夜が恐怖の連続だったから、気を抜くとすぐ後ろにあの狐面の男が迫って

いそうで、後ろすら振り向けない。

 

 ただひたすら前だけを向いて走る。


 ようやくレンタカーの車体が視界に入ったときは、思わず泣きそうになって

しまった。


「早く乗って! すぐに発車するから!」


 私の気が緩んだのを察したのか、愛理がすかさず発破をかける。

 いけないと自戒した私は再び足を動かし、この集落からの脱出にのみ集中する。


 愛理が車の鍵をポケットから取り出している間に、私は助手席側に回り込み、

愛理が鍵を開けたと同時に車の中へ滑り込んだ。

 すぐに愛理も乗り込み、車内のすべてのドアにロックをかける。


「……助かった?」


 ここに来てはじめて自分たちが走ってきた道のりを振り返る。


 そこにあるのは荒れた田畑にそれを縫うように走る畦道あぜみち、そして

その間を点在する朽ちた民家。

 その風景のどこにも男の影など微塵もなく、寂しくも長閑のどかな田園

風景が広がっているだけだった。

   

「落ち着いていないで、発車するからシートベルトをして!」


 見ると、既にシートベルトをした愛理は、いつの間にか後はエンジンを回して

発車するばかりの状態になっていた。


「わかった」


 私もすぐに言われた通りシートベルトをするのを見届けると、愛理は待って

ましたとばかりに車を発進させた。


 あの忌まわしい夜を過ごしたX集落が、段々遠くなっていく。

 それでも私の不安が止むことはなく、周囲への警戒を怠らなかった。


 心霊スポットにまつわる恐怖体験の定番として、帰る途中でエンジンなど車に

異常が出たり、気が緩んだところで心霊現象が起こるという体験はオカルトマニア

として数多く見聞きしていた。

 だから順調に車が走り出しても、まだ安心することはできなかったのだ。


 いきなりエンジンが止まりやしないか、ラジオの音に突然妙な音が混ざらないか、車の中で心霊現象が起こらないかとヒヤヒヤしていたのだ。

 運転する愛理も同じ心境なのか、いつものような軽口をたたく気配はなく、

車の中には賑やかしで付けているラジオ番組のDJの声だけが静かに流れていた。


***


 張り詰めた空気の車内を余所よそに、窓の外ではカーブの多い山道が終わり、人々が日常を送る活気ある風景へと変わっていく。

 時刻が九時を過ぎる頃には、日常に戻って来られたのだという安心感が少しずつ

戻り、次第に私たちの動揺も収まってきた。


 今のところ車にもラジオにも異常はなく、あの男が突如車の中に現れて私たちの

首を絞める……なんて心霊現象もない。


 特に異変も起こらず、これからも起こる予兆がないと感じると、自然と会話も

増えていく。


 ただ昨夜の怪奇現象やあの神域の男のことを話題にすると、またもや不吉なこと

が起きそうな気がして、なんとなく口にするのが躊躇ためらわれた。


 せっかくX集落から脱出できたのだ。

 ちゃんと大学の寮に帰るまでは、これ以上はリスクを冒したくない。


 学校や芸能人の話題など、わざとらしいくらいに日常の話題を選び、運転する

愛理もできるだけ賑やかな道を走った。

 そうすることで、私たちは強引にでも日常に戻ろうとしていたのだ。


 だから私たちがその観光客で賑わう道の駅に寄ることにしたのは、ほぼ必然の

流れだった。

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