第18話 警告する男


 思えば、愛理がネットで仕入れた、嘘か本当か分からない不吉な噂の

この橋が最初の異変を感じた場所だった。


 木々の隙間から差し込む朝陽をもってしても薄暗いこの場所は、初夏の

この季節でさえひんやりと涼しさを感じ、遥か下を流れる川のせせらぎが

耳にも清涼感を与えてくれる。


 汗ばむことも多くなってきたこの季節、この場所は正しく過ごしやすい

場所のはず。

 それなのに、先入観があるせいか、この橋に着いてから、私は誰かに

見られているような気がして、落ち着かない気持ちになっていた。


「ぼうっとしないで、ちゃんと足元見てよ。この橋、結構揺れるんだか……

わああああ!」


 親切にも私に警告してくれている愛理が、早速足を滑らせそうになった。


 前と同じで、異変を察知している素振りはまるでなく、視線を感じている

のは私ひとり。


 あの時も結局、私が視線を感じている以外には、異変は何も起こらなかった。

今回も何か見たとか、確定的な理由がある訳じゃないから、単に気がたかぶっているだけなのだろう。


 いつまでも恐怖の余韻に浸っていても、何も先には進まない。

 私も愛理の後に続く。


「ちょっと大丈夫? 足元は見るだけじゃなくて、しっかりバランスを取ら……

危なっ!」


 私もそう言って橋に置いた足が今にもツルリといきそうで、手近にあった杭を

グッと握りしめた。


 朝露のせいか、前以上に橋は滑りやすくなっている。

 意図せず蹴り落とした木の葉は、ひらひらと宙を舞い、ずっと下で流れる川へと

落ちていき、その様は美しく優雅ですらあるが、葉っぱよりもずっと重みのある

私たちが落ちるとなれば、無残極まりない状態になるだろう。


 互いに注意し合うまでもなく、私たちは自然と慎重に足を進めるようになり、

いつしか無言になっていた。


 ずり。ざり。ずずず。

 

 足元のバランスを崩さぬよう五感の全てを集中させる。

 耳に届くのは、落ち葉を踏みしめる靴音くらい。


 そうして愛理が橋の中ほどまで来たときだった。

 

 

 出し抜けに後ろから男性の鋭い声がした。


 「もう、ここには来るな」


 他に人がいるとは予想だにしていなかった私は死ぬほど驚き、「ええっ……」

と悲鳴に近い声を上げてしまう。

 そして両手で手すりをつかんだまま、ゆっくり後ろを振り返って、

声の主を探ろうとした。

 

 だが体勢的に真後ろは向けず、声の主を確認することはできない。


 愛理もそうなのだろう。

 二人とも橋の上から落ちないようにへっぴり腰のまま、首だけで何とか

後ろを見ようとする。


「死にたくなければ、絶対に二度と戻ってきてはいけない」

 

 その声は、ゆっくりと念を押すように言った。

 太く静かな声だった。


「誰? ちょっと戻って確認……」


 好奇心の方が勝ったのか、早速男の警告を反故ほごにしようと画策する愛理に、

私はきつめの口調で諭した。


 「戻ってくるなって言われたばかりでしょ! 話し合うにしても、とにかく橋を渡っちゃおうよ。戻るにしても進むにしても、同じくらいの距離なんだから!」

「でも……」

「いいから早く!ここでグズグズしていて、橋を落とされでもしたらどうするの?」


  相手がどんな人間なのか見当がつかないので、最後の言葉は内緒話でもする

ような声で私は言った。

 すると私の渾身の説得が功を奏したのか、愛理は渋々ながら前に進み、橋を渡り切った。私も後に続き、愛理と一緒にこわごわ対岸を見る。


 

  対岸の橋のたもとにいたのは、奇妙な人物だった。


 神社の神主が着ている平安時代の装束のような白い着物とはかまを身に着けているが、頭には烏帽子えぼしを被る代わりに狐の面を付けている。お面で顔は分からないが、

短髪らしき髪型と体躯、そして声からすると若い男性のようだった。   


 私たちが固まっていると、男は再び口を開いた。


「絶対に二度とここには来てはいけない。忘れるな。次はない」

 

 距離はあったが、男の声はしっかり私たちに届いた。

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