第15話 脱出

「ちょっ、何しているの?」


 絶望的な気持ちになり、すっかり脱力している私の前で、愛理は玄関側の

ドアに向かって、ドスッ、ドスッと肩から全身をぶつけている。

 

「脱出するに決まっているでしょ! 見ていないで、佳奈美も手伝って!」


 休むことなく身体をぶつけながら、愛理は当たり前だと言わんばかりに

答えてくれた。


 愛理はこの密室から逃げ出すことを諦めていないのだ。友人の姿に発破を

かけられて、ようやく私も決心した。

  

 そうだ。

 恐怖で思考をフリーズさせている場合ではない。


 気を取り直して、脱出を試みることにする。  


「わかった……!」


 ライトを床に置くと、私も愛理にならって全身に体重をかけてドアに

体当たりをする。タイミングを愛理と合わせて何度も何度も渾身の力で挑む。


 しかし何の変哲もないごく普通のドアなのに、ビクともしない。


 「もう!」 

 

 焦った愛理が、ドアの少し後ろから助走を付けて体当たりをする。

 なるほど、その手があったかと私もすぐに真似をする。


 もう耳に入る不気味な歌も、開かないドアも、本来は心が落ち着くはずの線香

の匂いも、何もかもが悪夢の構成要素にしか思えない。

 あの押し入れの方は絶対に見ないようにして、ひたすら目の前のドアだけに

心を集中する。

 

 何度そうしていただろう。

 突然、あの不気味な歌が止んだ。


 「……助かった?」


 少しだけホッとするが、押入れの方を確認する気にはなれない。

 愛理は持ち前の気丈さからか、私の隣で押入れを凝視している。彼女の口から

更なる恐ろしい報告がないことを、私は心の底から願った。



 すると、今度は二階から足音が聞こえてきた。


 しかも怒っているのか、ドスンドスンと感情に任せてそこかしこを踏みしめているような大きな音だ。


 ――荒ぶる何者かが上にいる。それはもしかしたら……そこまで思いを巡らすと、今自分が置かれている状況が一層恐ろしく感じる。


「もう、意味わかんない!」 


 半狂乱になった愛理が、やけになって何度もドアに身体をぶつける。 


「もうっ、壊れろっ! 壊れて! お願いっ!」


 壊れていく友人にも、今いるこの場所にも耐えられなくて、私も半分泣きながら

ドアに体当たりを試みる。


「お願いだから、開いて! お……ねが……」


 お互い半狂乱になりながらドアに挑んでいると、愛理の口調がおかしくなった。


 「どうしたの?」と横を振り向くと、愛理はその場に崩れ落ちた。


「愛理、どうしたの? 起きてよ! こんな状態で私を一人にしないでよ!」


 愛理を抱き起こして何度も強く揺さぶるが、目を閉じたまま答えてくれることは

なかった。完全に気を失っているようだ。


「……嘘でしょ。こんな状態で一人でどうしろっていうの?」


 転がるライトに照らされる朽ちた和室は脱出できない密室で、意識を失った友人

は目を覚ますことはなく、階上の怪しげな音は止む様子もない。ここは正しく悪夢

の中だ。

 

 どうすればいい?

 この状況下で、私はどう行動するのが正しいの?

 

 懸命に考えているつもりなのに、少しでも気を抜くと意識が遠のいてしまい考え

がまとまらない。


 しっかりしているつもりなのに、恐怖とプレッシャーに負けそうになっている。


 駄目だ。私がしっかりしないと、愛理は……。

 頬を両手で叩いて気合を入れる。


 それでも考えは浮かんでは消え、線香の匂いは明滅するように濃度を変えていく。

あれほど恐ろしかった階上の音も段々と遠くに感じるようになり、気が付くと目を

閉じ座りこんでしまう。


 しっかりしないと。

 私が……。

 私だけが愛理を助けられるんだから……。

 ……絶対にここを抜け出さないと。

 ……でないと……ここで……。


 何度もそうしているうちに、いつしか私は完全に意識を失ってしまった。

 

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