第7話 乱れる予兆を感じた。




 翌日の朝の事である。

 突如、法王が王宮へ赴くと神官に先振れを出させたのは。


 いつも二、三日前には連絡を入れておく律義な法王が、急な登城を決めたので、慌てたのは神官達だけではなく、王宮の仕官達も同様であった。

 法王の素性をつまびらかに知っている高官達は、登城の予定がなかったのにも関わらず、慌てて身支度を済ますと王宮に入った程である。


 サーティスはすぐに謁見の間へと案内された。

 王はサーティスの姿を目に止めて、一瞬苦い表情をして上座から見下ろす。


「陛下におかれましては、ご機嫌麗しく存じます」

「いや、法王の最近は変わりなくお過ごしか?」

「ええ、日々変わりなく」

「して、本日は何用か。そなたが急な登城など非常に珍しい事。何か急な用向きでも?」


 王は自分が頼んだことを棚に上げ、ずいぶんと白々しくサーティスにそう尋ねた。

 サーティスは少し間を取り、王を見上げた。

 対して王は、相手に視力がないと知っていながらも、愛想良く笑みを向けた。


「…昨日、聖殿にて祈りを捧げ吉凶を占っておりました。すると、王宮の方角に何やら凶兆が現れたのです。最近、こちらでは何か変わった事はございませんか?」

「さて……」


 王は考える風に顎髯を撫でた。


「無いようでしたら私の杞憂でございましょう。私も幼き折、天から災厄を頂いた身なれば、もし王子などに災いが振り掛かるような事があれば、何やら他人事のように思われず、急いで登城したのです」

「王子に凶兆が出ていると?」

「さて、それは。ただ王宮の方に凶兆と」

「ふむ…」

「変わりがなければ良いのです。杞憂であればそれに越した事はありません。何事も変化を求めず、つつがなく過ごされますよう願い申し上げます」


 王はサーティスをじっと見つめた。だがしかし、硬く閉じられた双眸からは何も読み取れなかった。


「分かった。心に留めておこう」


 王の発言を聞いて、歳若い法王はほっと胸を撫で下ろしたかのように肩の力を抜いた。


「では私は城中を廻り祈りを捧げて参りましょう」

「うむ、よろしく頼む」


 法王は頭を下げ立ち上がると、王の前から下がった。

 高官達は両脇に列を成して礼を尽くしてそれを見送った。

 サーティスの姿が消えて、玉座の間の扉が閉まると王はおもむろに居並ぶ文官武官達を眺める。


「恐れながら」


 その中から一人の青年が、前へ進み出る。

 良く日に焼けた肌に喋る度に覗く白い歯が良く映えていた。

 彼の名前はオータ。若くして宮廷騎士団の中の一団を率いる彼は、国中の誰もが認める勇者である。

 彼が五年前コロッセオに現れてから今まで、彼を破ったものはいまだ一人もいない無敗の英雄である。

 強さだけではなく裏表の無い人となりは良く人から好かれ、また武人としての功績も評価が高いオータの発言は本人が思っている以上に影響力があった。

 いつの時代も強さは武器なのだ。


「オータか。良い、申せ」

「やはり王子のコロッセオ参加は見合わせるべきかと思います」

「ふむ…」

「お待ち下さい」


 それを遮ったのは初老の文官だ。

 居並ぶ面々の中では一際高価な衣服を身につけていた。


「申せ、宰相よ」


 彼は王妃の実の兄で、宰相の地位を与えられていた。


「殿下は御年19歳。かの騎士王が聖騎士と成られた歳と同じ。今年をおいて他に王子の出場はありませぬ。何としても、騎士王の再来としてお立ちいただかなくてはなりません」

「ふむ…」


 宰相の言葉の意味を分からない面々ではなかった。

 王位の簒奪と囁かれる現王政は、民衆の心を掴む確かな力を必要としていた。

 それには、騎士王のご威光を借りるより効果的なものはなかった。


 だがそれは同時に王子に支持が集まるという事であり、現王の立場を揺るがすことにも繫がるだろう。

 それだけが王の杞憂であった。


「しかし法王の神託で凶と出ている今、無理に成すような事でもなかろう」


 王の言葉に賛同するように、他の文官からも反対の意見が出たが、宰相に組する一人が被せるように言葉を発した。


「近頃では聖殿に良からぬやからが集まっていると聞く。あながち法王は王位を狙っているのかも分からないぞ」

「まさか!光の見れない法王倪下がそのような事をお考えになるはずがない」


 みるみる内に騒然と意見の渦となり、すぐにその場を収める事は不可能だった。

 肘掛けに肘をついて寄り掛って、暫く成り行きを見守っていた王はやれやれと首を振ると、「皆の意見は良く分かった」と、腹に力を入れて声を上げた。


「この件については皆に任せる」

「はっ」


 宰相は頭を垂れ、得意そうに笑みを浮かべた。

 王が言うなど自分が抑え込んでしまえば良い。

 それきり王は、疲れたと言って自室に下がってしまった。





「そうか。結局そうなったか」


 宰相の目論見を断って欲しいと頼むくせに、面倒だと思ったらすぐに放り出して手を引く。

 いい加減なものだ。

 祈りを捧げる格好のまま、サーティスは近くの気配に呟いた。


「ああ。王は結局面倒ごとは他人に押し付ける。それが宰相の力を膨らませている一番の原因であるっちゅうのにな」

「仕事を宰相に押し付けるくせに、宰相が力を持ったら邪魔だという。勝手な話だな」

「せやな」


 サーティスは少し考えるそぶりをして、瞼を下ろしたまま、視線を宙にさ迷わせるような素振りをした。


「……凶兆が本物になってもらうしかあるまい」


 青年が何かを言いかけた時、通り掛った兵士が声を掛けた。


「オータ様、宮廷騎士の皆様は広間にお集まりですよ」

「ああ、法王様に悩みを聞いて頂いていたんや。すぐ行くわ」


 邪魔して悪かった、などと言いおいてオータはその場を去っていく。


「騎士殿」

「ん?何ですか倪下?」

「とりあえずは流れる水のままに…」

「…助言痛みいります」


 二人は微笑み交してその場を離れた。

 それから二刻を過ぎ、法王は馬車に揺られ聖殿へと帰路につく。

 その横顔には、いつもの様に静かな微笑みが変わる事なく湛えられていた。




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