第18話 挑発
戦列艦『グランヒルド』から最初に降りてきたのはアレン・ルキウス・グランヒルド・ミトラスだった。アレンはリリーと同じ銀髪に碧眼で、青を基調とした式典用の軍服を着ている。短めの髪型の上には皇太子のみに許された
「君が僕の
アレンは爽やかに微笑みながら右手を差し出した。レインを見つめる青い瞳はリリーと同じで、瞳の奥には慈愛あふれる光が満ちている。レインはかつてないほど恐縮しながらアレンの手を握った。
「皇太子殿下、お会いできて光栄です。わたしは藩王ロイド・ウォルフ・キースリングの息子、レイン・ウォルフ・キースリングと申します」
「僕はアレン・ルキウス・グランヒルド・ミトラス。よろしく」
「こ、こちらこそよろしくお願い申し上げます!!」
レインの声は緊張で上ずり、手も震えている。そのことに気づくとアレンは微かに目を細めた。
「あはは、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
アレンは尊大に振るまうわけでもなく、親しげに語りかけてくる。だが、全身からは他者を圧倒する存在感と何者も届かない気高さが滲み出ていた。神々しいまでの威容を前にして、レインはただ見とれることしかできなかった。
──このお方がリリーの兄上、アレン皇太子殿下……まるで、神話に出てくる英雄だ……。
アレンは家臣や国民から慕われており、やがては慈悲深い賢帝になるであろうと期待されている。神聖グランヒルド帝国の未来そのものだった。レインが感動していると突然、アレンの後ろから可愛らしい宮廷服を着た少年がピョコッと顔を出した。少年はさらさらとした髪を真ん中で分けており、右側が銀髪、左側が黒髪だった。
「アレンお兄さま、リリーお姉さまは?」
少年はアレンを見上げながら尋ねた。少年の名前はテオ・ルキウス・グランヒルド・テンティウス。皇位継承権第3位の皇子でリリーの弟だった。テオはレインに目もくれず、落ち着かない様子で辺りを見回した。そして、リリーに気づくと顔をパァッと明るくさせる。
「リリーお姉さま!! お会いしたかったです!!」
テオはリリーへ駆けより、思いきり抱きついた。リリーは無邪気に笑うテオの頭を優しくなでる。
「テオ、元気にしてましたか?」
「はい、戦列艦にもちゃんと乗れました!! でも、リリーお姉さまがいないからつまらないです……」
テオは両手をギュッと握りしめて悲しげに眉をよせる。リリーは少し困ったように笑うと再びテオの頭をなでた。
──リリー殿下の兄弟は、みんな仲がよいのだな……。
レインには兄弟がいない。再会を喜び合う姉弟を見て羨ましく感じていると今度は後方から鋭い声が飛んだ。
「テオ、早く馬車に乗れ!! 皇帝陛下が待っておられるのだぞ!!」
リリーと同程度の長い銀髪をなびかせた青年が
「お、お兄さまごめんなさい!!」
怒鳴られたテオはビクッとしてリリーの影に隠れる。すると、すかさずアレンが微笑みを
「すぐ怒鳴るのはソロンの悪い癖だよ。テオはまだ子供なんだ」
「兄上はテオに甘いのです。リリー、お前もテオを甘やかしすぎだ」
「ソロンお兄さま、申しわけございません。ほら、テオ。早く馬車に乗って……」
「う、うん……」
リリーはテオをガイウス大帝の乗る
「アレンお兄さまにソロンお兄さま。遠路はるばる足をお運びくださいまして、本当にありがとうございます」
リリーが頭を下げると後ろにいるクロエも黙礼する。
「リリーも元気そうで何より」
アレンは嬉しそうに頷いているが、ソロンは不機嫌そのものだった。レインはそんなソロンに近づき、恐る恐る挨拶をする。
「ソロン殿下、初めまして。わたしはレイン・ウォルフ・キースリング……」
「……」
レインが挨拶を始めるとソロンは無言で睨みつけてくる。その瞳はリリーやアレンと違って黒かった。
「……ふん」
ソロンは口元を歪めて冷笑し、レインを無視して
「レイン、ソロンは人見知りが激しくてね。どうか弟の無礼な態度を許して欲しい」
「皇太子殿下、わたしは何も気にしておりません。気にかけてくださり、ありがとうございます」
「……君は寛容な男だね。それじゃあ、前夜祭と婚礼を楽しみにしているよ」
アレンはレインの肩を軽く叩いて儀装馬車へ向かった。
──最後はリリーのお姉さんに挨拶すればいいだけだ。あと少しでこの緊迫した空気も終わる……。
レインがそう考えているとリリーがレインの横に立った。
「レイン、これからマリアお姉さまが降りてくるけど、絶対にお姉さまの目を見ないで」
「え?」
「いいから、約束して」
「わ、わかったよ」
レインはわけががわからないまま頷いた。するとすぐに
──も、喪服? なぜ喪服を着ているんだ??
レインが戸惑っているとリリーが前を向いたままポツリとつぶやいた。
「マリアお姉さまはお父さまが亡くなってからずっと喪服を着ているの」
「そ、そうなんだ……」
レインは驚きつつも姿勢を正してマリアを出迎える。黒衣の一団が船から降りてくるとリリーはクロエと一緒に近よってゆく。すると、マリアを取り巻く人物たちが一斉に道を開け、リリーへ向かって頭を下げた。
「マリアお姉さま、お久しぶりです!! 来ていただいて光栄ですわ!!」
「……」
リリーが声をかけるとマリアはゆっくりと振り向いた。その
「こちらがレイン・ウォルフ・キースリング。わたしの夫となる方です」
「マリア殿下、お初にお目にかかります。わたしはレイン・ウォルフ・キースリングと申します。このたびはウルディードまでお越しくださり、誠にありがとうございます」
「……」
レインはリリーの忠告通り、マリアの顔を見ないようにして挨拶する。マリアは小さく頷いて儀装馬車へ乗りこんだ。
──や、やっと挨拶が終わった……。
すべての挨拶が無事に終わるとレインはようやく胸をなで下ろした。先帝ルキウスにはリリーを含めて5人の子供たちがいる。
皇太子、アレン・ルキウス・グランヒルド・ミトラス。
第二皇子、ソロン・ルキウス・グランヒルド・アムルダ。
第三皇子、テオ・ルキウス・グランヒルド・テンティウス。
第四皇女、マリア・ルキウス・グランヒルド・イリス。
第五皇女、リリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤ。
神聖グランヒルド帝国においては誰もが絶対的な権力者だった。重圧から解放されたレインが解放感に浸っているとリリーがレインの右手をそっと握った。突然のことで驚くレインにリリーが微笑みながら語りかける。
「わたしの家族に会えたわね……」
「うん、光栄だよ。紹介してくれてありがとう」
「……」
家族を紹介されるのは嬉しいことだった。レインが素直に喜んでいるとリリーは手を握る力を強める。その強さに意図を感じてレインはリリーを見下ろした。
「リリー?」
「レイン、あなたはわたしと結婚する。
リリーはレインを見上げながら切なげに瞳を潤ませる。だが、艶やかなさくら色の唇から放たれた言葉はとても恐ろしいものだった。
「あなたとわたしで帝国を支配することができるわ」
「……」
レインは冷たい手で心臓をなでられた気がした。幻聴だったのではないかと耳を疑った。恐ろしくて聞き返すことはできないが、初めてリリーの本音を聞いた気がした。言葉を失っているとリリーが面白そうに顔を覗きこんでくる。
「レインはウルドの狼なんでしょう? その牙は何のためにあるの?」
「……リリー、冗談が過ぎるよ」
リリーは笑顔だが目は笑っていない。青い瞳が冷たく輝いている。レインがやっとの思いで答えると、リリーはレインの腕に両手を絡ませて強く抱きかかえた。レインは右腕に柔らかな感触を感じて固まった。
──リ、リリーは何を考えているんだ……。
未来の夫としてリリーの失言を注意するべきだ……と考えていても言葉が出てこない。それどころか、レインの鼓動は高鳴り視線はリリーの白い首筋やしなやかな身体を追いかけてしまう。リリーはそんなレインの心を見透かすように唇を動かした。
「ごめんなさい、レイン。あなたが緊張しているのを見ていると可愛くて……またからかってみたくなったのです」
リリーは動揺するレインに甘くささやきかけながら妖艶な笑みを浮かべる。その後ろでは
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