第17話 敵意

「お前の父ロイドは『砂漠の狼王ウルデンガルム』と称される藩王、母サリーシャは千里を駆ける勇将……だが、お前は何者だ?」

「……」


 ガイウス大帝は地の底から響くような声でレインを問いただす。レインは委縮するばかりで目を伏せることしかできなかった。当たり前のことだが父ロイドも、母サリーシャも助け船を出さない。もちろん、リリーも黙って見守っている。返答に困っているとガイウス大帝は質問を続けた。


「お前はリリーと結婚できるほどの男か?」

「……」

「余がなぜ、リリーの結婚を認めたかわかるか?」

「……そ、それは」


 困り果てていたレインはようやく顔を上げた。ガイウス大帝の後ろには下船してきた重臣たちも控えている。返答の仕方を間違えるわけにはいかなかった。


「皇帝陛下の御心みこころおもんばかるなど、臣下の身で畏れ多いこと。とてもできません」

「……ほう」


 レインが必死になって言葉を絞り出すとガイウス大帝はにやりと口元をほころばせた。


「お前がロイドのように強き藩王になり、サリーシャのように帝国に尽くすと考えたから結婚を認めたのだ」

「か、過分なお言葉を賜り光栄でございます」


 レインが恐縮すると笑顔だったガイウス大帝の眼光に突然威厳がみなぎり、辺りは一瞬にして緊張感に包まれた。


「レインよ……何があっても必ずリリーを守れ」

「はい。当然でこざいます」

「絶対だぞ。二言は許さぬ。明日の婚礼で神々に誓う前に、まずは今、余の前で誓ってみせよ」

「……」


──今、誓え!? ど、どういう意味だ??


 レインは戸惑って隣のリリーへちらりと視線を送る。しかし、リリーは微笑みを浮かべたまま見守っている。その柔らかな微笑びしょうが突き放しているように見えて、レインは例えようのない孤独を感じた。慌てて言葉を探し、緊張で乾ききった唇を動かした。


「リリー殿下の夫として、リリー殿下をこの身に代えても守り抜きます。我が父ロイドと母サリーシャの名と名誉にかけて誓います」

「よくぞ申した。余は目に見えぬ神々に誓う人間よりも、父母の名と名誉にかけて誓う人間の方を信頼する。ロイド、サリーシャ、頼もしい息子を持ったな」


 ガイウス大帝のいかめしい顔が再び笑顔に変わる。控えていたロイドとサリーシャも「ありがたきお言葉」と頭を下げた。


「さて……」


 ガイウス大帝は満足げに頷きながらレインの肩に手を置いた。皺だらけの手はとても大きく、レインは軍服の上からとてつもない重圧を感じた。


「リリーは余に似て気性の激しい部分もある。どうだ、リリーとは仲良くできそうか?」

「……」


 レインはやはり答えに困ってしまった。リリーと過ごした時間はたかが知れている。情けなく目を泳がせて、ちらちらとリリーを確認しながら答えた。


「リリー殿下はわたしを気にかけてくれるお優しい方です。仲睦まじく過ごせることと存じます」

「そうか……お前はロイドと違って口上が上手いな。リリー、レインはお前を想ってくれているか?」


 ガイウス大帝はレインに視線を落としたままリリーへ尋ねた。リリーの返答によってはそのままレインを捻り潰すようにも見える。レインのこめかみを冷や汗が伝うと、リリーの明るい声が聞こえてきた。


ガイウス大帝おじいさま、レインとは出会ったばかりですが、わたしを大切にしてくれます。一緒に乗馬もしましたわ。とっても優しく接してくれるの。優し過ぎてちょっと物足りないくらい」

「そうか、そうか。物足りないか……ふははははははははは!!!!」


 リリーが意味深に答えるとガイウス大帝は空を仰いで哄笑する。笑い声で大地が揺れ、空気が震えるかと思われた。ガイウス大帝は上機嫌になってレインの肩から手を放した。


「レインよ、花嫁を満足させるのも夫の勤めぞ」

「は、はい。努力いたします……」

「では、余は参るとするか。レイン、お前の家族となる兄弟たちにも挨拶いたせ」

「畏まりました」

「兄弟同士、手を取り合って神聖グランヒルド帝国を盛り立てるのだ」


 ガイウス大帝はそう言い残して儀装ぎそう馬車ばしゃに乗りこむ。レインはひたいの汗をぬぐってリリーの兄弟たちが下船するのを待った。


 

×  ×  ×



 なぜ老人に跪き、父母の名前を出してまで誓わなければいけないのか……一連のできごとを悔しさにまみれて見ていた人物がいる。それはジョシュだった。


──そもそも、てめぇらが勝手に決めた結婚じゃねぇか。


 ジョシュはレインを見ていられなかった。みんなの前で膝を屈し、ガイウス大帝の顔色をうかがう……君主であり友人のレインが惨めに見えて仕方なかった。しかし、自分だってレインの立場に置かれたら同じことをするだろう。そう考えると怒りで沸き立つ心を抑えこむしかなかった。


──レイン、お前はそれでいいのかよ。お前は『砂漠の狼王ウルデンガルム』になる男だぞ……。


 ジョシュが歯ぎしりしていると、隣から同調するような殺気を感じた。どきりとして隣へ視線を送るとソフィアがただならぬ気配で事態を見守っている。


──な、なんだ?


 ソフィアの横顔を見た瞬間、ジョシュの背中を悪寒が走った。ソフィアの視線は心臓を凍らせるように冷たく、今にも斬りかかりそうな雰囲気だった。立ち会ったときのような甘さは完全に消え、『リリーの冷たい狂剣バルサルカ』としての片鱗を見せている。


──ただごとじゃねぇ。ソフィアのはどこに向かってやがるんだ……。


 ソフィアの視線の先までは確認できない。ジョシュは不測の事態に備えてそっと帯剣に手をかけた。


──もし、ソフィアの害意がレインに向かうなら……。


 ジョシュの眼光も鋭くなった。言い知れない不安と緊張が儀仗兵と皇女親衛隊にも伝わってゆくころ、再び乗船橋じょうせんきょうがざわめいた。



「アレン皇太子殿下のお出ましである!!」



 かけ声とともにリリーの兄弟である皇子、皇女たちが次々と戦列艦『グランヒルド』から降りてきた。

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