第16話 ガイウス大帝

 明け方、地平線の彼方に砂嵐が巻き起こった。かと思えば、砂嵐の中から巨大な戦列艦がいくつも出現する。無数に現れた戦列艦は黒い津波のようにウルディードへと向かって押し寄せてきた。


 神聖グランヒルド帝国が誇る水陸両用の戦列艦は、敵戦艦や城壁を一撃で粉砕する投石機とうせきき弩砲どほうを搭載している。船団を率いるのは神聖グランヒルド帝国皇帝、ガイウス大帝だった。


 ガイウス大帝はリリーの兄弟たちと一緒に帝国正規軍を率いてきた。それは神聖グランヒルド帝国の武威ぶいを内外に示そうと考えているからだった。わざわざ南方のカリム海からウルド砂漠へと入り、ウルディードまでやってきた。


──ついにガイウス大帝がお出ましになられた……。


 城壁から艦隊を確認したレインは妙な胸騒ぎを覚えた。帝国艦隊がウルドへ侵攻する侵略軍のようにも見える。艦隊の投石機や弩砲から放たれた炸裂弾がウルディードの城壁や街並みを破壊する……そんな予感を感じた。


──僕はなんて想像をしているんだ……。


 レインは不吉な予感を抱く自分に呆れた。不安をかき消すように足早に軍港へと向かう。相変わらずリリーとは会えていないが、今日はそうもいかない。一緒にガイウス大帝を出迎える手はずになっている。それに、ガイウス大帝も参加する婚礼の前夜祭が予定されていた。



×  ×  ×



 軍港につくとソフィアが率いる親衛隊とジョシュが率いる儀仗ぎじょうへいが整然と隊列を組んでいた。最前列にはロイドとサリーシャの姿もある。

 

──父上、母上……。


 レインが足を速めると突然、声をかけられた。


「レイン・ウォルフ・キースリング」


 見るとクロエを連れたリリーが立っている。リリーは鮮やかな青色の宮廷ドレスを着ていた。隣ではクロエが黒い日傘をリリーに差している。


「おはよう、レイン」

「おはようございます、レインさま」


 リリーが挨拶をするとクロエも頭を下げる。レインは緊張しながらリリーの名前を呼んだ。


「おはよう……リリー」


 気さくに話しかけたいが会話が見つからない。レインはリリーをにすることで精一杯だった。下唇を噛みながら目を伏せる。緊張してばかりの自分が情けなく思えた。すると、リリーが優しげに微笑みかけてくる。


「ちゃんと名前を呼んでくれましたね。嬉しいです」

「……」


 リリーの笑顔は豪華な宮廷ドレスが霞んでしまうほど可憐で美しい。その顔を見たとたん、レインはやはり胸が苦しくなった。本当は『とても素敵な笑顔だ』と称賛したいが、どれだけ美辞麗句を並べても白々しく聞こえる気がした。


 リリーは帝都であらゆる称賛を浴び、恋愛も経験豊富だと噂されている。レインはそんなリリーに『世間知らずな子供』だと思われるのが怖かった。レインが気後れしているとリリーはレインの軍服に目をとめる。


「レイン、紋章が少し傾いていますよ」


 リリーはレインの軍服に手を伸ばし、胸元の紋章に触れた。普段は絶対にとめ忘れないピンをレインはとめていなかった。銀で縁取ふちどられた紋章が傾き、外れかかっている。


「『狼』の紋章が泣いていますよ……」


 リリーは慣れた手つきで紋章をとめ直す。手慣れた仕草を見下ろすレインの涼しげな目元が陰った。


──他の誰かの紋章もこうやって……。


 レインはリリーの手つきに男の影を感じた。そして、そんな自分を『結婚相手の過去をあれこれ想像するだなんて、僕はなんて暗い人間なんだ』と嫌悪する。黙りこんでいるとリリーがレインの胸をぽんと軽く叩いた。


「ほら、もう大丈夫です」

「ありがとうございます」

「わたしの紋章も変わるのね。『狼』の紋章だなんて素敵だわ」


 リリーは無邪気に微笑んでいる。その笑顔が眩しければ眩しいほどレインは暗い気持ちになった。


──リリーはなぜ僕との結婚を望んだのだろう。リリーの気性を考えると僕なんか選ばないはずだ。やはり、リリーには何か別の目的が……。


 リリーと出会ってからというもの、何かが心の隅に引っかかる。レインの暗い予感は消えることがなかった。



×  ×  ×



 軍港に鉄柵を引き上げる金属音が響き渡る。砂船すなぶね専用の城門が開くと、次々と巨大な戦列艦が入港してきた。戦列艦はどれもが『キースリング』と同程度の大きさで、統一された動きで港に停泊する。


 一番大きな戦列艦は『グランヒルド』という国名を冠した旗艦で、ガイウス大帝が乗船している。『グランヒルド』が停泊すると鋼鉄の乗船橋じょうせんきょうが轟音とともに立て架けられた。



「神聖グランヒルド帝国、ガイウス大帝のお出ましである!!」



 戦列艦『グランヒルド』のなかから大声で叫ぶ声が聞こえてくる。ソフィアとジョシュ、親衛隊や儀仗兵は一斉に剣を抜き放ち、帝国軍旗と一緒にかかげた。ロイドとサリーシャは片膝をつき、レインも同じようにひざまずいた。



「「「帝国万歳!! 帝国万歳!! 帝国万歳!!」」」



 親衛隊や儀仗兵が歓呼するなか乗船橋に人影が現れる。すると、レインの隣にいたリリーが駆け出してゆく。


ガイウス大帝おじいさま!! お待ちしておりました!!」

「おお、余の可愛いリリー。ウルド砂漠の暑さにまいってはおらぬか?」

「わたしはガイウス大帝おじいさまの孫。暑さなんかに屈しません!!」

「そうか、そうか。さすが余の孫だ」


 ガイウス大帝は上機嫌になり、ロイドやサリーシャにも声をかける。父ロイドの

「ウルディードまで行幸してくださり、誠に光栄でございます」という声がレインにも聞こえてきた。


 レインは跪いたまま、黙って声がかけられるのを待った。すると、ついにレインへも声がかかる。リリーに対する声色とは全く違う。地の底から響いてくるように低く、威厳に満ちあふれた声だった。



「レイン・ウォルフ・キースリング、顔を上げろ」

「……はい」



 レインが顔をあげると2メートルを優に越える老人がこちらを見下ろしている。ゆったりとした真紅の宮廷服をまとい、帝国の紋章である翼龍よくりゅうの装飾がほどこされた帝冠ていかんいただいていた。


「立て」

「は、はい!!」


 立ち上がってみてもレインはガイウス大帝を見上げることになった。ガイウス大帝は彫りの深い顔に白く長い髭を蓄えており、二つの大きな瞳はリリーと同じで青い。


「お前がレインか……」


 ガイウス大帝は巨体を折り曲げ、首を傾げてレインの顔を覗きこむ。レインは凄まじい存在感に圧迫されて押し潰されそうになった。

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