第3章 婚礼前夜祭

第15話 予感

 ダルマハルを出発してから二日目の昼。戦列艦『キースリング』の甲板かんぱんに立ったレインは前方に巨大な城壁を確認した。城壁の向こうには爽やかな青みをびたウルディード城がそびえ立っている。


 希少きしょう価値かちの高い青の大理石で造られたウルディード城は、ウルド国の豊かさを物語る象徴だった。空よりも青い城郭を眺めながらレインは隣のジョシュへ指示を出す。


「ジョシュ、ウルディードが見えてきた。船速せんそくを落としてくれ」

「わかった……帆をしぼれ!! 減速しつつ、左に旋回!!」


 ジョシュが命じると『キースリング』はゆるやかに減速して左に旋回する。右舷には貿易船が停泊するみなとや人々で賑わう市場が見えてきた。人々のなかには『キースリング』に気づいて手を振っている人もいる。


──リリーはウルディードを気に入ってくれるかな……。


 レインは久しぶりの故郷を眺めながらふとそんなことを思った。しかし、いざウルディードへ到着してみると、レインは婚礼の準備に忙殺されてリリーと引き離された。


 帝国各地から集まった藩王や大貴族たちへの挨拶。前夜祭や婚礼の準備。新妻となるリリーと過ごすことはもちろん、外征から戻った両親とゆっくり語らうことすらできなかった。



×  ×  ×



 ウルディードへの来客は日を追うごとに増えてゆく。各地の藩王、大貴族が軍勢を引きつれて来訪してくる。レインは皇女の婚約者として挨拶するが、肝心のリリーは姿を見せなかった。


 みんな、会いたいのはレインではなくリリーだった。誰もが「リリー殿下はいずこか?」と訝しげな顔をする。そのたびにレインは「リリー殿下には婚礼の準備がございます」とていよく言って頭を下げた。しかし、その数が増えれば増えるほど不安になってゆく。


──どうしてリリーは一緒に挨拶をしてくれないんだ……。


 リリーはウルディードへ到着しからというもの、『婚礼の準備』があるとして用意された部屋から出ようとしない。気恥ずかしいのだろうか? と考えていたレインもいよいよ焦り始めた。


──婚礼を挙げるとなれば花嫁は張り切るもの……そう思っていたけれど、違うのかな……。


 自室へ戻ったレインは窓からウルディードの街並みを見下ろした。街中には見知らぬ軍旗もひるがえっている。レインには見慣れたウルディードが知らない街のように思えた。


──明日にはガイウス大帝が到着して前夜祭が開かれる。そして、明後日は婚礼だ……。


 もの思いに沈んでいると扉が叩かれて一人の男が入ってきた。男はレインよりも小柄な体格をしている。あどけなさが残る少年のような顔つきで、柔らかな栗色の髪がとてもよく似合っていた。


「ベル、どうした?」


 レインが尋ねるとベルは黙礼してレインの前までやってくる。ベルはジョシュやダンテと同じ幼馴染であり、ウルディードでは政務官を務めていた。


「レイン、忙しいのにごめんね。どうしても確認したいことがあって……」

「確認?」

「うん。レインは……リリー殿下と結婚するんだよね?」

「……どうしてそんなことを聞くんだ?」

 

 レインは質問の意図がわからずに眉をよせる。すると、ベルはおずおずとした口調で続けた。


「あのね、婚礼のあとには披露宴があるだろ? それにラト教の式典もある。そのときに着るドレスがないんだ」

「……」

「『キースリング』から運びこまれた荷物、到着した親衛隊や近侍隊の荷駄、全部を調べてみたんだけど、公式の場で着るリリー殿下のドレスがほとんど見当たらない」

「そんなはずはないだろ? ちゃんと全部を確認したのか?」

「ちゃんと確認したよ!!」


 リリーの花嫁衣裳を失くしたとなれば首が飛ぶ。ベルは焦り顔になると懐から小さな紙を取り出した。


「あのね、『キースリング』や他の砂船の搬入品目にはちゃんと『リリー殿下のドレス』、『近侍隊の礼服』って記載されているんだ。ちゃんと幾つかの木箱が運びこまれてる……でも、肝心の中身が見当たらないんだ」


 レインも搬入を記載した紙に目を通した。品目には『ドレス、礼服』と書かれている。


「ボクは衣装や饗応を担当しているから全部を確認したんだ……でも、どうしても見つけられない……ガイウス大帝の船で運びこまれるのかな……」


 ベルは不安そうに何度も紙を確認している。レインはリリーに付き従うクロエの顔を思い出した。 


「クロエは? リリー殿下の侍女武官には聞いてみたのか?」

「うん、聞いてみたよ」

「何て言ってた?」

「リリー殿下の衣装はこちらで用意するから気にするな……って」

「そっか……リリー殿下の侍女がそう言ってるなら、余計な心配はしない方がいいんじゃないかな……」


 頼りない返事だとわかっていても、レインにはそう言うことしかできなかった。ベルはやはり心配そうな顔つきで頷いた。


「わかったよレイン。できるだけの準備をするね」


 ベルは不手際が許されない。万全の状態で婚礼を迎えたいが、状況を考えると不可能だった。レインは肩を落として部屋を出ていくベルを見送った。


──そもそも、こんな急に婚礼を挙げる必要があるのか? 僕とリリー殿下は恋人ですらないのに……。


 レインにはリリーが結婚を望んでいるようには思えなかった。少なくとも、ウルディードに着いてからのリリーは部屋に引きこもるばかりでレインと会おうとすらしない。


──ベルの話だと『ドレスや礼服』が入った木箱はウルディード城に運びこまれた……でも、『ドレスや礼服』が見当たらないなら、木箱には入っていたんだ?


 疑ってはダメだ……と思いながらもレインはリリーのことを気にかけてしまう。リリーには婚礼とは別のがあるような気がしてならない。レインは嫌な予感に眉を顰めた。

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