第3章 婚礼前夜祭
第15話 予感
ダルマハルを出発してから二日目の昼。戦列艦『キースリング』の
「ジョシュ、ウルディードが見えてきた。
「わかった……帆を
ジョシュが命じると『キースリング』はゆるやかに減速して左に旋回する。右舷には貿易船が停泊する
──リリーはウルディードを気に入ってくれるかな……。
レインは久しぶりの故郷を眺めながらふとそんなことを思った。しかし、いざウルディードへ到着してみると、レインは婚礼の準備に忙殺されてリリーと引き離された。
帝国各地から集まった藩王や大貴族たちへの挨拶。前夜祭や婚礼の準備。新妻となるリリーと過ごすことはもちろん、外征から戻った両親とゆっくり語らうことすらできなかった。
× × ×
ウルディードへの来客は日を追うごとに増えてゆく。各地の藩王、大貴族が軍勢を引きつれて来訪してくる。レインは皇女の婚約者として挨拶するが、肝心のリリーは姿を見せなかった。
みんな、会いたいのはレインではなくリリーだった。誰もが「リリー殿下はいずこか?」と訝しげな顔をする。そのたびにレインは「リリー殿下には婚礼の準備がございます」と
──どうしてリリーは一緒に挨拶をしてくれないんだ……。
リリーはウルディードへ到着しからというもの、『婚礼の準備』があるとして用意された部屋から出ようとしない。気恥ずかしいのだろうか? と考えていたレインもいよいよ焦り始めた。
──婚礼を挙げるとなれば花嫁は張り切るもの……そう思っていたけれど、違うのかな……。
自室へ戻ったレインは窓からウルディードの街並みを見下ろした。街中には見知らぬ軍旗もひるがえっている。レインには見慣れたウルディードが知らない街のように思えた。
──明日にはガイウス大帝が到着して前夜祭が開かれる。そして、明後日は婚礼だ……。
もの思いに沈んでいると扉が叩かれて一人の男が入ってきた。男はレインよりも小柄な体格をしている。あどけなさが残る少年のような顔つきで、柔らかな栗色の髪がとてもよく似合っていた。
「ベル、どうした?」
レインが尋ねるとベルは黙礼してレインの前までやってくる。ベルはジョシュやダンテと同じ幼馴染であり、ウルディードでは政務官を務めていた。
「レイン、忙しいのにごめんね。どうしても確認したいことがあって……」
「確認?」
「うん。レインは……リリー殿下と結婚するんだよね?」
「……どうしてそんなことを聞くんだ?」
レインは質問の意図がわからずに眉をよせる。すると、ベルはおずおずとした口調で続けた。
「あのね、婚礼のあとには披露宴があるだろ? それにラト教の式典もある。そのときに着るドレスがないんだ」
「……」
「『キースリング』から運びこまれた荷物、到着した親衛隊や近侍隊の荷駄、全部を調べてみたんだけど、公式の場で着るリリー殿下のドレスがほとんど見当たらない」
「そんなはずはないだろ? ちゃんと全部を確認したのか?」
「ちゃんと確認したよ!!」
リリーの花嫁衣裳を失くしたとなれば首が飛ぶ。ベルは焦り顔になると懐から小さな紙を取り出した。
「あのね、『キースリング』や他の砂船の搬入品目にはちゃんと『リリー殿下のドレス』、『近侍隊の礼服』って記載されているんだ。ちゃんと幾つかの木箱が運びこまれてる……でも、肝心の中身が見当たらないんだ」
レインも搬入を記載した紙に目を通した。品目には『ドレス、礼服』と書かれている。
「ボクは衣装や饗応を担当しているから全部を確認したんだ……でも、どうしても見つけられない……ガイウス大帝の船で運びこまれるのかな……」
ベルは不安そうに何度も紙を確認している。レインはリリーに付き従うクロエの顔を思い出した。
「クロエは? リリー殿下の侍女武官には聞いてみたのか?」
「うん、聞いてみたよ」
「何て言ってた?」
「リリー殿下の衣装はこちらで用意するから気にするな……って」
「そっか……リリー殿下の侍女がそう言ってるなら、余計な心配はしない方がいいんじゃないかな……」
頼りない返事だとわかっていても、レインにはそう言うことしかできなかった。ベルはやはり心配そうな顔つきで頷いた。
「わかったよレイン。できるだけの準備をするね」
ベルは不手際が許されない。万全の状態で婚礼を迎えたいが、状況を考えると不可能だった。レインは肩を落として部屋を出ていくベルを見送った。
──そもそも、こんな急に婚礼を挙げる必要があるのか? 僕とリリー殿下は恋人ですらないのに……。
レインにはリリーが結婚を望んでいるようには思えなかった。少なくとも、ウルディードに着いてからのリリーは部屋に引きこもるばかりでレインと会おうとすらしない。
──ベルの話だと『ドレスや礼服』が入った木箱はウルディード城に運びこまれた……でも、『ドレスや礼服』が見当たらないなら、木箱には何が入っていたんだ?
疑ってはダメだ……と思いながらもレインはリリーのことを気にかけてしまう。リリーには婚礼とは別の目的があるような気がしてならない。レインは嫌な予感に眉を顰めた。
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