第19話 前夜祭01

 婚礼の前夜祭は笑い声と音楽が飛び交うお祭り騒ぎになった。酒宴会場となったウルディード城内の大広間には、ガイウス大帝やアレンたち、そして大勢の大貴族が詰めかけた。この日ばかりはウルディードが神聖グランヒルド帝国の帝都になっている。


 大貴族たちはレインのさかずきに途切れることなく美酒を注いだ。しかし、レインへの挨拶もそこそこにガイウス大帝や皇太子アレン、そして主役のリリーに祝辞を述べる。誰もレインなど眼中に無いという様子だった。


 ウルド国がどれだけ強国であっても所詮は辺境国家の一つにすぎない。それは、父ロイドや母サリーシャが腰を低くして大貴族たちに挨拶する姿を見ていればわかる。レインは両親に恥をかかせないように精一杯気を使っていた。


 レインとリリーの席には帝都から来たリリーの友人たちも一緒に座っている。彼らは誰もが大貴族の子女で、レインの知らない服装や音楽、絵画や装飾品の話しでずっと盛り上がっていた。会話についていけないレインは宴席のなかで孤立し、例えようもない孤独と不満を感じた。


 知らない内容の会話に相槌をうち、面白くもないのに笑う。酒が苦手なのも手伝ってレインは苦痛だった。一方、リリーは驚くほど酒に強い。どれだけ飲んでもケロッとした顔ですぐに杯をからにする。華奢な身体のどこに酒がしまわれるのか不思議に思えるほどだった。


 リリーが友人たちとの会話で盛り上がっている間、レインは賓客たちの席を回り、ひたすらお酒を飲まされ、リリーの分も頭を下げながら酒を注いだ。フラフラになって席に戻ってくると饗応きょうおうを担当するベルが心配そうな顔つきで近づいてくる。


「レイン、大丈夫?」

「ああ、大丈夫……」

「大丈夫じゃないだろ? ホラ、これ飲んで」


 ベルは小声でささやきながらグラスに入った黄色いジュースを手渡した。


「酔い醒ましの効果があるから……あと、少し風に当たってきなよ」

「ありがとう。そうするよ」


 レインがジュースを飲み干すと向かいの席に座る男がニヤニヤと笑った。この貴族はケラーという大貴族の息子でレインやリリーと年齢が変わらない。


「レイン殿は弱いようですな?」


 ケラーはわざと大声でレインへ話しかける。女の友人たちと話しこんでいたリリーも二人の方を向いた。


「ケラー、『酒も』とはどういう意味ですか?」


 リリーが尋ねるとケラーは「コホン」と咳ばらいをして話し始めた。


「それはですな……レイン殿は2年前、ガトランドで行われた武術大会でコテンパンにやられたのです。大会は参加者の総当たり戦でしたが、レイン殿は全敗という記録をお持ちなのです。わたしも一撃でレイン殿を倒しましてな」

「「「まあ!!」」」

 

 同席していた女たちは驚いた様子でレインを見る。リリーも目を丸くしてレインをを見つめていた。レインに注目が集まるとケラーは繰り返した。


「藩王殿は武芸も酒も苦手のようですな」

「……」


 ケラーの薄ら笑いを見たレインは嫌な記憶を思い出した。確かにレインは2年前の武術大会で全敗を喫した。だがそれは大会を主催する大貴族たちに「息子たちに勝ってはならない。息子たちに恥をかかせるとお前の両親が苦労するぞ」と釘を刺されていたからだった。両親を想うレインはその言葉を信じこみ、全敗という不名誉を甘んじて受け入れた。実力を発揮していれば簡単に優勝しているはずだった。


 ケラーは実力でレインを倒したと思いこんでいる。腹が立ったレインは反論しようとも考えたが、『負けは負けだ。それに、こいつだって僕とリリーの結婚を祝福しようとウルディードまで来てくれた……』と自分に言い聞かせた。レインが我慢していると隣でリリーが意外そうに首をかしげる。


「でも、レインは『砂漠の狼王ウルデンガルム』と呼ばれるロイド殿と勇将サリーシャ殿の息子。強くはないのですか?」

「いやいや……」


 ケラーはクククッと笑いをこらえながら続ける。


「リリー殿下、それは間違った考え方です。確かにロイド殿とサリーシャ殿は英雄ですが……鷹がトンビを生むこともあるのです。あ、レイン殿の場合は狼が犬を生むと言った方がよいですかな? 祝宴の席で言うのは申しわけありませんが、レイン殿は初陣もまだの様子。それはです。残念ながら、これは事実でございます」


 レインは初陣がまだだったが、それはケラーも同じだった。ケラーは帝国のために戦ったことがない。ケラーどころか、帝都の大貴族たちはいつもウルド国や辺境国家に外征を命じるばかりで、自分たちが犠牲を払うことはなかった。ケラーはそんな自分たちを差し置いてレインを侮辱した。


──僕が弱いだと?


 レインは膝に置いた手を強く握って怒りを抑えた。手の平に爪が食いこみ、理性が吹き飛ぶ寸前で落ち着いた男の声が聞こえてきた。


「ケラー殿、もうやめましょう。せっかくの宴席なのですから」


 レインが顔を上げると、目鼻立ちの整った金髪の青年が立っている。皇太子アレンに負けず劣らずの貴公子だった。



「リヒャルトお兄さま!! 来てくださったのですね!!」



 レインの隣でリリーが嬉しそうに声を上げた。


──お兄さま? リリーにはまだ兄弟がいたのか? そんなはずは……いや……この人は僕も知っているぞ……。


 レインが記憶を辿たどっているとリリーは立ち上がってリヒャルトと抱擁をかわす。リリーの顔は恋焦がれる想い人とやっと出会えたかのように輝いていた。リリーは満面の笑みでレインを見た。


「レイン、紹介するわ。この方はリヒャルト・ヴァンフリー。皇族に連なる名門、ヴァンフリー家の当主で、わたしの家庭教師をしてくれたの」

「……そうでしたか。僕はレイン・ウォルフ・キースリング。ヴァンフリー家の御当主と挨拶できて光栄です」

「こちらこそ。よろしく、レイン殿」


 レインがリヒャルトと握手を交わしていると赤ら顔のケラーが再び大声を上げた。


「そうそう。リリー殿下、先ほど申しました武術大会で優勝したのがリヒャルトさまなのです。リヒャルトさまこそ真の勇士!!」

「ケラー殿、大袈裟ですよ」


 リヒャルトは柔らかな笑みをたたえて謙遜してみせる。その顔を見てレインは思い出した。わざと負けた相手のなかにはリヒャルトもいた。リヒャルトは馬上で一回剣を合わせただけで剣を落とし、落馬しかけた。負けるのに苦労した相手だった。


──本人は僕に大逆転勝利をしたと思って雄叫びを上げていたっけ……。


 そう思いながらリヒャルトを見た。リヒャルトは実力でレインに勝ったと思っている。レインを気づかうような眼差しになった。


「レイン殿、勝負は時の運。あまり落ちこまないでください」

「あ、ありがとうございます……」


 レインは返事をしながらちらりとリリーを見た。リリーはリヒャルトから離れようとしない。


──リリーがこんなに嬉しそうにするなんて……どうしてなんだ?


 レインが不満に思っているとケラーがリヒャルトの席を作って座らせる。リリーもやっとリヒャルトから離れて自分の席に戻った。


「さあさあ、お座りください!! それにしても、あの大会はお見事でしたな!!」


 ケラーはチラチラとレインを確認しながら武術大会の話を続けた。レインに恨みでもあるのか、ケラーからは『レインを侮辱したい』という雰囲気がありありと滲み出ている。すると、リヒャルトが困り顔でケラーをたしなめた。


「昔の話しはもうやめましょう。それに、わたしは武芸よりも一人で静かに絵を描いている方が好きなのです」


 リヒャルトが遠慮がちに言うと女たちから「素敵」と感嘆の声が上がる。ケラーも感心した様子で頷いた。


「さすが、本当の武人はつつましい。それに教養人でもあられる。親の威光にすがるとは違う。そうは思いませんか? レイン殿?」


 『犬』とはレインのことだ。レインは震えるほどの怒りを覚えたが、怒ってしまえば前夜祭が台無しになる。下唇を噛んで怒りを抑えた。


「ええ……そう思います」


 レインがやっとの思いで答えると、リヒャルトが同情するように声をかける。『もうやめましょう』と言っていた本人が武術大会の話を続けた。


「レイン殿、武術大会でのことはどうか気にしないでください。人は何事にも得意、不得意があります。レイン殿も精進すれば、いずれ強くなることもあるでしょう」

「リヒャルトさまはお優しい。レイン殿、しっかりと今の言葉を覚えておくのですぞ。あきらめずに武芸に励めば少しは強くなれるかもしれません」

「……」


 レインは怒りで気が遠くなりそうだった。だが、その怒りを呑みこんで席を立つ。


「お気づかいとご指導をありがとうございます。あの……少し飲み過ぎました。夜風に当たってきます」


 レインは席を立って歩き出した。すると、後ろからケラーが「砂漠の犬コロ」と言うのが聞こえてくる。みんなの笑い声も聞こえてきた。ケラーは最後にこう付け加えた。



「わたしは、リリー殿下はリヒャルトさまと結婚すると思っておりましたぞ」



 ケラーは遠ざかるレインにも聞こえるように言っている。一瞬、レインはリリーの答えが気になったが足を止めなかった。すべてを無視して宴会場を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る