第8話 白銀の皇女
レインはダルマハルへ向かってゆっくり馬を進めた。吹いていた風もやみ、辺りが急に静かになった気がする。すると、200メートルほど先にあるダルマハルの城門で動きがあった。
──歓声がやんだ……。
レインが目を細めると城門から騎兵の一団が出てくる。先頭を進む三人は父ロイドと母サリーシャ。そして、ハイゼル将軍だった。
──父上と母上だ!!
レインは思わず声を出しそうになった。二人の姿は遠目にも威風堂々としており、レインが憧れる姿そのままだった。だが、再会できることを喜んでいる場合ではない。
視線の先ではロイド、サリーシャ、ハイゼルが軍勢を左右に展開させてゆく。人馬に統率の乱れはなく、城門の左右に整然と陣を構築した。やがて、城門からまっすぐに伸びる道ができあがる。その道を今度は帝国軍旗をかかげた一団が進んできた。
『
──
レインは幼いころに父から聞いた話を思い出した。儀装馬車は皇族のみに使用が許されており、藩王の父ですら先帝ルキウスの戴冠式で見かけただけだという。儀装馬車が進むと、ロイド、ハイゼル、サリーシャも馬上で一礼する。親衛隊は馬脚をそろえて行進し、やがて止まった。
──あの馬車のなかにリリー殿下がいらっしゃる。
レインの唇は緊張で乾ききり、喉を鳴らす唾すら出てこなかった。すると……。
馬車の
──リリー殿下だ!!
レインは鼓動がどくんと高鳴るのを感じた。目を凝らしていると、リリーはこちらへ向かって歩き始めている。
──リリー殿下は歩いてこちらへ来られるのか!?
レインは驚きで目を丸くした。リリーは一歩一歩、白い大地を一人で進んでくる。ときどき立ち止まり、青い空を仰ぎ見ていた。近づいてくるたびに空気が張りつめてゆく。
──僕はどうすれば……。
レインの心は乱れた。レインの知る帝国式儀礼では、皇女が馬か馬車で目の前までやってくる。それを拝礼して迎えればよいはずだった。だが、向こうが歩いてくるとなると、どのように出迎えればよいのかわからない。いや、少し考えれば同じように出迎えればよいと気づきそうなものだが、動揺するレインにその冷静さはなかった。
──と、とりあえず僕も馬から降りなきゃ!!
レインは慌てて馬から降りた。慌てるあまり、足を乗せる
──落ち着け、父上や母上もご覧になっているのだぞ!!
気づけばリリーがだいぶ近づいている。向こうも立ち止まってこちらへ顔を向けていた。レインは
──仮にも僕は一軍の将。落ち着いて胸を張るんだ。リリー殿下に呆れられるぞ。
レインが歩き始めるとリリーも歩みを再開する。レインは必死になって心を鼓舞するが、近づいてくる皇女の威厳に気圧されてリリーを
二人の距離が30メートルほどに縮まるとレインは帯剣を抜いてその場に
──いよいよだ……。
足音が前方で止まる。レインの視界に革の
──リリー殿下がすぐ前にいらっしゃる。
レインは顔を伏せたまま声を張り上げた。
「リリー殿下におかれましては遠路のご来訪、
「……」
頭上から視線を感じるが返事はない。レインは帝国における最上の礼法でリリーを出迎えている。地に膝をつけるのは無抵抗を意味し、剣をささげるのは『わたしの生殺与奪をあなたに
──む、無視されているのかな……。
レインは
「レイン・ウォルフ・キースリング。一つ尋ねる」
「は、はい。なんなりと」
レインは恐縮してさらに深々と頭を下げる。声の主は威厳あふれる声色で尋ねてきた。
「そなたは帝国最高の儀礼でわたしを出迎えるが……もし
「そ、それは……」
レインは言葉に詰まり、
「か、考えておりませんでした……」
「……」
レインが正直に答えると少しの間をおいて再びリリーの声が聞こえてきた。
「レインは正直な人なのですね、ふふふ……」
リリーは呆れ気味に呟きながらも、どこか面白そうに笑う。先ほどまでの高圧的な雰囲気は消え失せており、レインは緊張と安堵が入りまじる複雑な心境になった。
「ごめんなさい。あなたの出迎えがあまりにも立派で圧倒されてしまいました。なんだか悔しくて……少しからかってみたくなったのです」
「……」
「許してくださいますか?」
「も、もちろんでございます!!」
レインはやはり頭を下げることしかできなかった。すると、剣に
「出迎え、
「はい……」
拝謁が許されるとレインは恐る恐る顔を上げた。そこには、澄みきった青空を背に、銀色の髪を風になびかせた女が立っている。気品あふれる優雅な
サファイアのように輝く
砂漠の強い
「痛々しい傷ですね……」
ふと、リリーは
「わたしの伴侶となる方に
「……」
リリーはレインが襲撃されたことを知っている。レインは深く恥じ入った。
──リリー殿下とお会いする日に襲撃され、手傷を負うなんて……とんでもない醜態だ。
「リリー殿下、恥は自分で
「失態だなんて思っておりません……さあ、立って」
リリーはレインの手を取って立ち上がらせる。ひんやりとした柔らかな感触に、レインは耳の先まで熱くなるのを感じた。赤面するレインを見たリリーはさくら色の口元を柔らかにほころばせる。
「レイン・ウォルフ・キースリング、堅苦しいのはここまでにしましょう。わたしはあなたの妻となるために来ました。
「!?」
「わたしも、親しみをこめてレインと呼びますから。さあレイン、ウルド砂漠を案内してくださらない? 白い砂の砂漠だなんて、素敵だわ……」
リリーは当然のようにレインの左腕へ両手を絡めてくる。銀髪が舞い、爽やかな香料の香りがレインの鼻孔をくすぐった。レインは寄り添うリリーを見下ろしながら戸惑うことしかできない。胸の中心が
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