第2章 傾国姫

第7話 陣頭に立つ者

 ダルマハルの城外。白い砂の大地には歩兵、騎兵、軍船で構成された大軍が整然と展開していた。陣地になびく無数の軍旗や砂漠を帆走する巨大な軍船には『狼』の紋章があしらわれている。すべてがウルド国の盛んな国威を示していた。


 皇女を迎えるためにこれだけの軍勢を短期間で用意した……人々が知ったら誉めそやすだろうが、大軍の最前列にいるレイン、ジョシュ、ダンテはどこか難しい顔をしている。三人は馬上で何事かを話しこみ、特にダンテは言葉の端々に静かな怒気を含ませていた。


「ジョシュ、あなたほどの男がついていながら何という失態です」

「すまない……」

「どれだけの軍勢を集めようとも、レインが刺客に襲われては意味がありません」

「ああ……」


 意気消沈するジョシュを見て、ダンテはさらに表情を険しくさせた。


「この結婚が祝福だけで終わると思っていたら大間違いです。他領国の藩王はんおう、帝都の大貴族、そして宮廷の皇族……レインの結婚を妬み、権力闘争のきっかけと考える人間もいるでしょう。誰がレインに害意を抱くか、わからないのです。そんなことも考えないで、レインの副官が務まりますか?」


 ダンテは淡々とジョシュを責め立てる。レインは苦しそうに黙りこむジョシュを見かねて口を挟んだ。


「そんなに言う必要ないだろ? ジョシュは僕を守ってくれた。立派に役目を果たしてくれたんだ。ダンテは少し大げさだよ。そこまで危惧することじゃない」

「レイン、本気で言っているのですか?」


 ダンテは呆れながらレインのひたいを見る。額の傷は縫い合わせたばかりで痛々しい。


「その傷は実際に襲われてできたものですよ?」 

「……」

「目に見える大軍より、たった一人の刺客の方が恐ろしい場合があると、お気づきになりませんか?」


 ダンテにしてみればレインとジョシュが危機感を欠如した主従に見える。歯がゆさも手伝って語気が強くなった。


「そもそも、『一人になりたい』だとか、このにおよんで感傷的になるのがおかしいのです。そんなにリリー殿下が恐ろしいのですか?」

「……」

「リリー殿下が噂通りの『傾国姫けいこくき』だとして、レインはおとなしくウルド国の領地と財産を奪われるおつもりですか?」

「そ、そんなことはない。僕はリリー殿下を伴侶として末永く……」

「そういったことを聞いているのではありません」


 ダンテはあるじであるレインにも遠慮しない。本心を包み隠さないで直言することが忠誠心のあらわれであり、友情だと信じている。


「『リリー殿下を利用してさらなる高みを目指す』……くらいの野心と気概は持つべきです。レインが神聖グランヒルド帝国の皇統に連なれば、藩王以上の栄達だって可能なのですから」


 ダンテの言い方は過激で野心的だった。レインはどちらかと言えば穏やかな性格で、ダンテの考え方が肌に合わない。眉をひそめて困り顔になる。


「ダンテ、僕はそこまで望んでいない。逆心を疑うような言い方はやめてくれ」

「逆心? レイン、わたしは自衛の話をしています」


 ダンテは呆れつつも、真剣な眼差しになった。


「現状に甘んじて上昇を望まない者は停滞する濁流にのまれて必ず滅びます。もし、レインを暗殺しようとたくらむ者がいれば躊躇せずに排除しなければなりません。結果として、リリー殿下が皇位につくことだってありえるでしょう」


 ダンテは暗に『レインの暗殺を企んだ人間はリリーの兄弟かもしれない』と言っている。レインにとっては想像したくもない恐ろしい可能性だった。そんなレインをよそに、ダンテは神聖グランヒルド帝国の現状を並べ立てる。


「リリー殿下の兄弟を年齢順に言うと、長兄アレン、長女マリア、次兄ソロン、次女リリー、末弟テオ。神聖グランヒルド帝国の皇位は男子継承、その次に女子継承ですから、リリー殿下は皇位継承権第5位になります。『リリー殿下はウルドという強国に嫁いで皇位を狙うのではないか?』と、勘ぐられることもありえます」

「それは、そうかもしれないけど……」

「レイン、リリー殿下が皇位につけばレインはその夫ですよ。立身出世も極まります」

「……」


 レインはダンテの大それた考え方に言葉が見つからない。すると、それまで黙っていたジョシュがぽつりと口を開く。


「誰だって関係ねぇよ」


 レインとダンテがジョシュを見ると、ジョシュは暗い眼差しをしながら剣の柄を強く握る。


「レインを狙った奴は必ず始末する。必ず斬る。それだけだ」

「「……」」


 ジョシュは声色までもが暗い。だが、言葉の端々から尋常ではない殺気が伝わってくる。やがて、ダンテが小さく笑みをこぼした。


「それでこそ、ジョシュ・バーランドです。わたしたちはウルドの狼。群れの統領を狙った愚か者が誰であれ、必ず報いを受けさせなければなりません」

「ああ。次はしくじらねぇよ」

「頼みますよ、ジョシュ」 


 ジョシュと頷き合ったダンテはレインの方を向いた。神経質そうな顔に柔らかな笑みを浮かべている。


「レイン、わたしはときどき思うのです。わたしやジョシュ、そして今はウルディードを守るベル。わたしたち三人がレインと一緒になって高みを目指したら、どこまで行けるのか……生まれたからには信頼する仲間たちと共に、思う存分能力を振るってみたい。そんなことを夢想するのです」

「……」


 ダンテはいつになく饒舌で、この場にいない幼馴染のベルの名前まで出した。ただ、その内容はやはり野心的でレインは返答に困ってしまう。すると、ダンテはジョシュにもそれとなく尋ねた。


「ジョシュ、あなたにもありませんか? レインを大将に頂いてこの大陸を縦横無尽じゅうおうむじんに駆ける……そんな未来を想像したことが」

「俺か? 俺はねぇな。俺はみんなと今まで通りウルドで過ごせれば、それでいい。だが……」


 ジョシュはちらりとダルマハルの方を見る。その眼差しはまだ少し暗いままだった。


「こうやって、一方的に結婚を押しつける帝都のやり方が気に入らねぇ。帝都の傲慢さがレインに危機をもたらすのなら、その根本を断ち斬ってやりたい」

「あはは、それはもう『戦争をする』と言っているのと同じですよ。わたしが言っていることとそう変わりません」

「そうか?」

「そうですよ。レインもそう思いませんか?」

 

 ダンテとジョシュが同時に視線を向けてくる。レインは二人の会話を聞きながらハイゼルの言葉を思い出していた。ハイゼルは、『結婚に反感を抱く者』と『要らぬ野心を抱く者』が現れると言っていた。


 レインには『結婚に反感を抱く者』がジョシュで、『要らぬ野心を抱く者』がダンテに思える。レインは老臣の忠告を思い出しながら苦笑した。


「二人とも、考え方が過激だよ。それより……」


 レインもダルマハルの方角へ視線を移した。雲一つない澄みきった青空の下、白い砂岩さがんでできた城壁と側防塔そくぼうとうが輝いている。レインは乾いた空気がかすかに震えた気がした。


「ダルマハルの気配が変わった……」

「「……」」

 

 レインが告げるとダンテとジョシュもダルマハルへ視線を向ける。そのとき、突如としてダルマハル城内で歓声が沸き起こった。歓声は風に乗って場外まで響いてくる。きっと、リリー殿下一行がダルマハルへ入城したのだろう。


「間もなくだね。ちょっと、行ってくるよ」


 レインは帝国式儀礼にのっとり、単騎で向かおうとする。そんなレインにダンテとジョシュが語りかけた。


「くどいようですが、危急のおりにはジョシュが一隊を率いてすぐに駆けつけます。リリー殿下と共に我が陣地までお引きください。けっして、ダルマハル方面へは向かわぬようにお願いいたします」

「何があっても俺たちがお前の盾になってやる。『神狼ガルム』のご加護があらんことを」


 二人の目つきは忠実な戦士のものへと変わっている。レインは二人を頼もしく思いながら頷いた。


「僕は戦いに行くわけじゃないよ。でも、ありがとう」


 身を案じてくれる友人がいる。そう思えるだけで、レインは緊張が少し解けた気がした。だが、ダルマハルで沸き上がった熱気は冷めることがなく、それどころか熱量を増してこちらへ向かってくる。レインは大声援が砂嵐のように迫ってくるのを初めて聞いた。


──あの歓声の中心にリリー殿下がいる。


 レインは歓声に耳を澄ませながらウルド砂漠を見渡した。白い砂丘には騎兵や歩兵、軍船の数々がひしめき合っている。砂漠を埋め尽くす軍勢は身震いするほどに壮観で、まるで戦史せんしに出てくる『砂漠の狼王ウルデンガルム』にでもなったかのように錯覚させた。


──僕だって、彼らの陣頭にいるんだ。恥ずかしい姿は見せられない。


「ジョシュ、ダンテ……行ってくる」


 レインは高鳴る鼓動を鎮め、静かに微笑みながら馬の腹を蹴った。

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