第29話 僕の鉛筆

 物理講師の竹田先生は残念そうな顔をしている。

「結城くん。熱心に質問するし感心していたんだが、まさかこんなことをするとは……」

「ちょっと待ってください。僕は試験問題を盗んでません。盗んだなら僕が持っているはずでしょう? なんなら調べてもらってもいいですよ」

「正確には盗んだのではなく盗み見たというべきだったな」

「そうだとしたら、僕がやったという証拠はないじゃないですか。なんで僕がやったと思うんですか?」

「ちょっと理由は言えないが、君が昼休みに中庭を通ったことは分かっている。そして、先生が昼休みにちょっと部屋を外した間に警報が鳴った。教科主任の先生が部屋に駆けつけてみると、窓が開いていて、そこに作成したばかりの問題用紙があったというわけだ。竹田先生に確認したところ、問題が少しずれていたそうだよ。君が中庭に面した理科準備室の窓から覗き込んで試験問題を見たんじゃないのか?」

「中庭を通ったのは認めますけど、それだけじゃ、僕がやっという根拠が弱くないですか?」

「この校舎を出て、運動棟その他に行っていないことは分かってるんだ。それに、現場に残っていたこの鉛筆は君のものだろう? 否定するようなら警察で指紋を取ってもらうことになる。正直に言えば内々に済ませよう。他に誰が関わってる? この間、神官の格好をしたのも君の意志じゃないだろう。誰に命じられた?」

 確かにこのちびた鉛筆は僕のものだ。

「言いたいことは一杯ありますが、とりあえず、僕は本を返しに行っていたんです」

「いや、君は図書室には行っていない。嘘は良くないな」

「そうですよ。僕は地下の書庫に行ってたんですから。円城寺さんに確認してもらえば分かります」

 生活指導の先生は目が泳ぐ。

「あー、しかし、それは君が理科準備室を覗かなかったという証明にはならないぞ」

「すぐに教室に戻ったことはクラスの誰かに聞いてもらえば分かります。そして、僕が書庫に行ったかは、電話一本かければ分かることじゃないですか」

 生活指導の先生は渋々という様子で首から下げていたスマートフォンを手にしてタップする。

 耳に当てて話し始めた。

 事情を説明していたが、耳から外してスマートフォンを見つめて溜息をつく。

 その溜息の原因が生徒指導室に勢いよく登場した。

「見損なったぞ、少年」

 嬉しそうに円城寺さんが手をこすり合わせる。

「こんな面白い話があるなら、もっと早く連絡してくるべきだよ」

「僕もここに連れてこられて、疑いをかけられたばかりなのですが」

「事件発生が昼休みだろう? 二時間近くも空費するとは。なんと嘆かわしい。まあ、いい。まだ一年生は全員留めてあるのだろう?」

「いえ……」

 生活指導の先生の返事に舌打ちの音が響く。

 円城寺さんが平常運転なのは見ていて安心できるのだけど、強面の先生相手に大丈夫なのかな?

「で、なぜ少年が疑われている?」

 生活指導の先生が先ほどと同じ説明をした。

 円城寺さんが鼻を鳴らす。

「そんな根拠薄弱なことで生徒に疑いをかけて、頭は大丈夫か? 保護者が乗り込んできたら大変なことになるぞ」

 そこに扉が開いて年輩の女性が顔を出した。円城寺さんが手招きする。

「副校長、不祥事だよ」

 事情聞いた副校長先生の顔色が変わった。

 円城寺さんに善後策を問われても、にわかには考えがまとまらないらしい。円城寺さんが腕組みをする。

「では、私の意見を言おう。全員を留め置かなかった時点で犯人捜しは難航するだろう。一方で試験は来週だ。不正が行われているのに、今の問題で実施するわけにはいかない。ということであれば、取りうる最善の方法は、試験問題の再作成だ。幸い、土日がある。なんとか間に合うだろう」

 竹田先生が抗議をする。

「いや、そんな無茶ですよ」

「無茶ではないな。そもそも、準備室での問題作成は規則で禁止されているはずだろう。無人になる時間があるので、こういう問題が発生しかねないということで定められたものだ。それを遵守しなかったあなたに責任の一端はある。そうでしょう?」

 同意を求められた副校長は首を縦に振った。

「彼の単独犯なら別に作り直すことはないでしょう」

 なおも言い渋る物理の講師に円城寺さんは片手を広げて突き出す。

「いや、いくら言っても彼が犯人というのは無理がある。彼が本を返却したのは間違いない。書庫に本を返して戻る時間を考えたら、問題を見る時間はなかったはずだ」

「じゃあ、この鉛筆はなんですか? 彼は自分のものだと認めた感じでしたよ。それが、試験問題を置いてあった机の下から見つかったんです」

「その鉛筆は少年のものなのか?」

「確かに僕のものと同じメーカーのものですし、そこまで小さくなっているのはあまりないかもしれません。たぶん僕のでしょう」

 竹田先生が頷いた。

「ほら、彼も認めているでしょう。彼が残したんじゃなければなんで現場に鉛筆があったんです?」

「ああ、ちなみに少年を疑ったのは、どういう流れでそうなった?」

 生活指導の先生が顔をしかめる。

「本人を前にする話でもないと思いますが、それに他にも待たせている生徒がいるんです」

「だったら、帰宅させればいい。教室に行ってきたまえ。状況はあなたでも説明できるだろう?」

 声をかけられた教科主任の先生が肯定した。

 副校長が目配せすると生活指導の先生が部屋を出て行く。

「まあ、だいたいの流れは想像できるんだ。私が話すから違ったら訂正してくれないか。あなたが試験問題を見つけて、最初は犯人の見当がつかなかった。位置情報から少年が容疑者リストに挙がってから、こちらの講師が鉛筆を見つけたんじゃないのか?」

 教科主任の先生は驚く。

「どうしてそれが分かるんです?」

「そもそも、こんな小さな鉛筆が現場に落ちているわけが無いんだ」

「いや、書き写すのに使うかもしれないでしょう?」

「窓から覗き込んだ不安定な姿勢でメモを取る? そんなことをするならこれで一発だ」

 円城寺さんはスマートフォンを取り出した。

「だいたい、こんな小さくなった鉛筆を拾って、何百人という生徒の中の特定の一人が落としたものだと分かるのが異常なんですよ。順番が逆なんだ。別の機会、おそらく質問でもしに来たときに少年が忘れていったのを持っていた。たまたま、その少年が容疑者に上がったので、これ幸いと今日拾ったことにしたんじゃないですか? 警察に話すぞと脅せば少年が容疑を認めて、早々に幕引きができると考えて」

 竹田講師は平静を保とうとしていたが、手が震えている。

「そ、そんな。全部推測での言いがかりじゃないか」

「あなたが少年にやったことも同じだよ。それで私はその点の責任を追及しているわけじゃない。あくまで、あの場所で問題を作っていた。その責任を問うているだけにすぎない」

「だいたい、あんた、何者なんだ? 教員じゃないだろう?」

 副校長が割って入る。

「それは今は関係ないでしょう。竹田先生、問題を作り直してください。大島先生、教科主任として監督をお願いします」

 二人は生徒指導室を出ていった。

 副校長先生は円城寺さんに向き直る。

「これでいいでしょうか?」

 どういうことなのだろう。これじゃ、まるで円城寺さんの方が立場が上のようじゃないか。

「あの若い講師とは後でよく話した方がいいね。今回の事件は彼がまいたようなものだ」

「その点はまた別の機会に話をしましょう。ええと、あなたは?」

「一年の結城です」

「結城くん、あなたももう帰っていいわよ」

 そうですか、と教室に戻ろうとする。

 もうちょっと話をしたいと呼び止められることを期待したが、何もないまま生徒指導室を出ることになった。

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