第26話 お祓い

 自習室の前に到達すると、円城寺さんは白衣のポケットから鍵を取り出し解錠する。

 中に入って見回すと天井を見上げた。

 スマートフォンを取り出すと何やら操作している。

 しばらくすると低い音がして、吹き出し口から冷風が下りてきた。

 部屋の中を歩き回ると、壁際の一つの机に座り、マグカップを置く。

 円城寺さんは僕を手招きすると椅子を持って来て横に座るように命じた。

 こうやって横並びに座るのは初めてだ。

「呆けていないでパソコンを繋いで起動するんだ」

 そう言われて慌てて作業をする。

 僕がパソコンを起動している間に円城寺さんは鼻歌を歌っていた。

 低い運転音がしなくなり、部屋の中に円城寺さんと二人きりということを強く意識してしまう。

 なにか、いい香りがした。

 ふわふわした気分で言われるがままに学習システムのコンテンツを次々と切り替える。

 いくつめかの操作で画面にエラーが表示された。

 右下のアイコンをクリックして接続状況を確認するとローカルエリアネットワークが存在しないと出ている。

 円城寺さんは僕の顔を覗き込んだ。

「再現したな。これで原因ははっきりした」

 息を吹きかけると届く距離にある顔にどぎまぎしてしまう。

「ええっと、添田さんも居ないし、全然分からないんですけど」

「原因はこれさ」

 円城寺さんはマグカップを持ち上げ、そのまま少し離れた机に置いた。

「なにを言っているんだという顔をしているな。下を覗いてみるといい」

 円城寺さんが片膝をついている横で身を屈めると机の下を見る。

 浅い引き出しの奥側に薄い金属製の箱が机の天板の下に張り付いていた。そこから複数の青いケーブルが伸びている。

 ちょっと窮屈そうにしながら円城寺さんが説明した。

「あれがこの部屋のスイッチングハブだ。この部屋のデータを集約して部屋の外に中継する。まあ、少年も、あれがどういうものかは知ってるな。そして……」

「熱に弱い」

 僕の言葉を聞くと円城寺さんは立ちあがると背伸びをする。

「これで分かったかい? 依頼者は冷え性だ。そして、この席はエアコンの吹き出し口から離れているので比較的寒くない。だから、この席が依頼者の定位置なんだと思う。そして、依頼者は家から熱い飲み物を持参してきて、邪魔にならない机の右手奥に水筒を置いていた。その真下にハブがあるとも知らずにね。水筒から熱が伝播してハブ本体の発するものと合わさり一定温度を超えると、正常に動作をしなくなるというわけさ。朝以外は水筒の温度が下がっているのと、エアコンが十分に効いて温度を保っているから熱暴走は発生しない。君と一緒のときは別の机を使っていたから当然、故障が発生するわけもないというわけだ」

「僕も現場を見ていたのに……」

「ただ見るのと、推理を働かせたうえで検証のために観察するのとは違うということだな」

 僕は一度ハブを見て、どうだと自慢げな円城寺さんを見上げた。のろのろと立ち上がる。

「自分の目が節穴のようで悔しいですけど、相変わらず凄いですね」

「それだけ年季を積んでいるということさ」

「でも、お陰で添田さんに被せられた汚名を晴らすことができます。席を変えるか、飲み物を置く場所を変更してもらえばいい」

 僕の喜びの声は円城寺さんによって遮られた。

「それだがな。それを明かしてしまうと結局は今まで依頼者が障害を発生させていたという事実が公になってしまう」

「でも本人も知らなかったことですよ」

「そうは言っても、実際に何度も迷惑をかけられた人はいるわけだし、依頼者もそういうことに責任を感じるタイプだろう?」

「それはそうですけど……」

「そこでものは相談だが、少年、依頼者のために一肌脱いでみるつもりはないかね?  いや、悪いようにはしないよ」

 実に信用ならない笑みを浮かべながら、円城寺さんは僕に迫る。

 僕には引き受けるという以外の選択肢はなかった。


 翌日の朝、いつもより早く家を出た僕は更衣室で白衣と浅黄色の袴に着替える。

 手には大幣。折れ曲がった紙のついた棒状のもので、よく神主さんが持ってるやつだ。

 しとしとと雨の降るなか、渡り廊下を通って旧館の通用口に向かう。

 自習室の扉を開けて中に入った。

 ざわざわ。ざわざわ。

 普段は静寂が支配する自習室になんとも言えないどよめきが起こる。

 端の席で添田さんが目を丸くしていた。

 しずしずと歩いて部屋の四隅で大幣を振る。

 口の中で声にならないようにつぶやいた。

「こんなことをして申し訳ありません。人助けなのでご容赦を」

 四か所目での動作を終えた瞬間に、天井の上の方からピシッと鋭い音が響き渡る。

 僕は大きく頷くとまた部屋の中から静かに出て行った。

 マジで恥ずかしくて死にそう。

 扉を閉めると同時に体育棟に駆け戻って着替え、自分の教室へと向かった。

 この日以来、自習室でネットワーク障害が発生することはなくなる。

 当たり前だ。

 円城寺さんとハブの位置を動かしたのだから発生するわけがない。

 ご丁寧に『移動厳禁。呪われます』という達筆の張り紙までされている。

 ただ、これだけでは未来しか解決しないと円城寺さんは強く主張した。

「依頼人があらぬ疑いをかけられているのだろう? それを解消しなくては効果が半減してしまう。しかし、呪いを解くのは探偵の仕事じゃない」

「降霊会中の事件を解決するミステリってあった気がしますけど」

「そうかい。でもこっちは本物の呪いなんだ。そうそう、少年。弓道着姿をチラリと見たが良く似合っているじゃないか」

 そんな不毛な会話の結果がインチキ神主姿の僕というわけ。

 仕上げの鋭い音を発生させたのはもちろん円城寺さんだ。

 こうして除霊探偵結城が爆誕した。なんだよ除霊探偵って。

 一躍、僕は明渓学園内での有名人となってしまった。

 まあ、添田さんからはもの凄く感謝されたし、少しだけ振る舞いが明るくなったことは良かったと思う。

 そして、この行動で面倒事が僕のところにやってくる恐れもあるので、円城寺さんが考えた予防線も張っておいた。

 僕の能力ではなく、とある筋からお借りすることができた大幣の力だという説明は、やっかみや僕への疑いを軽減することに役立つ。

 それでも僕の精神的な負担は決して小さくなかった。

 その点については円城寺さんがインチキ神主をすることに対して報酬を提供することで折り合いをつける。

 なんと、僕とデートしてくれるというのだった。

 その言葉を聞いたときは思わず声が裏返ってしまう。

「デ、デートォ?」

「ああ。ただ、もちろん、私の立場もあるからな。後ろ指をさされない程度のささやかな内容になる。世間的にはお試しデートの真似事ということになるがそれでもいいかい?」

 僕に否やなどあろうはずもない。

 そのデートだが、実際のところは、青龍軒でラーメンを御馳走してもらうことだった。それでも別にがっかりしたりはしていない。

 母以外の女性と二人きりで飲食店に入るという経験は、僕の短い人生においても初めてのことである。

 建前としては、書庫の整理を手伝った僕への労いということになっていた。

 これでも、僕と円城寺さんの性別が逆だと世間的には色眼鏡で見られかねないが、まあ、店が街の安い中華料理屋である。

 色恋が絡む場面では使わない方が無難という程度の認識は僕にもあった。

 ただ、円城寺さんにはそんな知識も無いと思われていたらしい。

 ラーメンが運ばれてくるのを待ちながら、水の入ったコップにプリントされているビール会社の剥げかけたロゴを見ていた円城寺さんが口を開いた。

「少年。将来、女の子を食事に誘うこともあるだろうが、こういう店はやめておけ。いくら安くて美味くても引かれること間違いない」

 運ばれてきたラーメンを食べながら講義は続く。

 席の選び方、食べるペース配分、スマートな会計の仕方など。

 最後に余計なことを付け加えた。

「今回の依頼人を誘うときに参考にするんだぞ」

「なぜ、僕がそんなことをするんですか?」

「なぜも何も、今日は少年のデートの予行演習なのだが」

「ええ。僕が成人して卒業したら、円城寺さんを誘うための適切な振る舞いを指導していたんじゃないんですか?」

 やけくそで大胆なことを言ってみる。

 円城寺さんが眼鏡の奥で片眉を器用に上げた。

「どうやら、意思疎通に重大な齟齬があったようだね。まあ、その点についてはまた日を改めて話をしよう。食事も終えたことだし、店を出ようか」

 財布を出そうとしたら怒られる。

「私は君の小遣いの数十倍の稼ぎがある。それに今日は少年への報酬なんだ。遠慮をするな」

「初デートで割り勘にしようとするだけで次は無いと思われるってネットに書いてましたけど」

 円城寺さんは額を押さえた。

 さっさとレジのところで二人分を払ってしまう。

 店を出ると、梅雨の中休みのむうっとした熱気がまとわりついた。

「それじゃあ、もうすぐ期末試験だ。頑張って勉強しろよ。終われば楽しい夏休みだ。ちなみに私に夏休みはないから、何か面白い話があれば部活ついでに話にきても構わない。じゃあな、少年」

 円城寺さんはさっと駅の方向に歩き出してしまう。

「ご馳走様でした」

 後ろ姿に頭を下げて顔を上げると、頭の横で右手を投げやりに振っていた。

 まあ、夏休みには来るな、と言われたわけじゃないしな。

 これからも謎解きや後始末に協力していくうちに親密度があがるかもしれない。

 そんな妄想をする僕の目の前にぱっと飛び出てくる人影があった。

「ねえ、お兄ちゃん。今の誰?」

 好奇心に目を輝かせる瑛次が生意気な顔をする。

「へえ。年上のお姉さんが趣味だったのか。でも、青龍軒でデートは無いと思うよ」

 瑛次にヘッドロックを決めながら、母さんには言うなよと念を押した。

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