第25話 コーヒーの味

 管理者権限なしに見られる範囲に限られるが、変な挙動をしているものはない。

 ネットワーク通信も安定している。

 再現しないとなると対処が難しい。

 答えが見つからず、横を見ると添田さんは体に手を巻き付けていた。

 弱々しく微笑む。

「ここはエアコンの吹き出し口の下でしょ。ちょっと寒くて」

「時間かかっちゃってごめん。もう確認することはないしエラーが発生しないようだね。出ようか」

 添田さんは急いでデータを保存しパソコンをシャットダウンした。ケーブルを抜いて鞄にしまいながら立ち上がる。

 先に立ち上がっていた僕が水筒を取って渡そうとした。ほんのりどころじゃなくて容器はかなり熱い。

 水筒を仕舞った添田さんと二人して外に出た。やはり視線が僕らを追いかける。

 扉を閉めてから聞いた。

「体が冷えやすいんだね。気がつかなくてごめん」

「ううん、付き合ってくれてありがとう。今日はエラーが出なくて良かった。結城くんが居てくれたからかな?」

「それならいいけど……。やっぱり僕では分からないみたいだ。時間ができたら知り合いに聞いてみるよ。それじゃ、放課後にまた部活で」

 急に二人でいることを意識してしまい、唐突気味に別れを告げた。

 小さく手を振る添田さんを残し、走って新館まで移動すると階段を駆け上がる。

 まるで付き合っているカップルが待ち合わせて一緒に勉強しているように見えていたのではないか。

 自意識過剰と言われそうな考えが浮かぶ。

「お兄ちゃん、今日はなんで朝早くから出かけるの? 怪しいなあ」

 今朝、出がけに瑛次にそんなことを言われたせいだろう。

 深呼吸をして心を落ち着かせた。

 平静を取り戻すと今度は自分では解けなかった謎を円城寺さんがどう紐解いてみせるのかが気になってくる。

 授業中はうわの空で先生が話す内容が頭に入ってこなかった。

 添田さんが自習室のネットワーク障害を引き起こすというのはどういうことなのだろう?

 ようやく授業が終わった。

 円城寺さんがどのように解き明かすのかが楽しみでならない。

 二段飛びで階段を駆け下りると旧校舎に向かって走っていった。

 地階への階段は少し石が摩耗しているので、歩いて降りる。

 ここで滑って頭を打ち不慮の事故で亡くなったりしたら、謎が気になって成仏できそうにない。

 廊下を進んで書庫の入口まで進んだ。

『許可なきものの入室を固く禁ず』

 この張り紙があるということは円城寺さんは在室しているということだ。自分でも何か認識が間違っている気がするが逸る心は抑えられない。

 ノックをして入室する。

 カウンターを見ると円城寺さんは居なかった。

 あれ?

 不審に思っていると奥の小部屋からマグカップを持った円城寺さんが出てくる。どうも給湯室があるらしい。

 僕を認めると相変わらず気だるげな声を出した。

「少年。本の返却かい?」

「いえ、新たな謎をお持ちしました」

 僕の言葉が生気のない彫像に命を吹き込む。

「それは期待していいんだろうね?」

 円城寺さんは嬉しそうに笑うとカウンターの前の席を僕に勧めた。

 椅子に座るかと思った円城寺さんは手にしたマグカップをカウンターに置くと、立ったまま僕に問いかけてくる。

「少年、君も飲むかい?」

 掲げたマグカップからはコーヒーの香りがしていた。

 お誘いを断る理由はない。

「それじゃあ、お願いします」

 円城寺さんはカウンターの下から取り出したカップに、同様に取り出した瓶からインスタントコーヒーを入れる。

 観光地土産にありそうな緩い絵柄のマグカップだ。

 小部屋に行くとすぐに戻ってくる。

 椅子に座ると僕の前に持ってきたマグカップを置いた。

「悪いが、ミルクも砂糖もないのでブラックだぞ」

 いえいえ、そんなことは気にしません。今までにない好待遇ですから。これは少しは僕の評価がまた更に上がったことを意味するのではないか。

 そんな淡い期待を抱きながら、添田さんの件を要約して話そうとした。

 円城寺さんは手を振ってそれを止める。

「少年。君の判断は不要だ。依頼者との会話を思い出せる限り逐語的に話してくれたまえ。君にこの謎を話そうとしたそもそものきっかけからだ」

「長くなりますけどいいですか?」

「構わん」

 そう仰るならと、僕はコーヒーを一口すすって舌を湿らせると、以前の電車の中から話を再現した。

 今朝、自習室から出て別れたところまで話をすると円城寺さんは手を出して僕の話を止める。

「少年、この謎のからくりはともかく君が鈍感ということは良く分かったよ」

「確かに、僕には解けませんでしたが、鈍感というのはちょっと……」

「いや、そうではない。まあ、いいか、本筋ではないしな。それではなぜ通信障害が発生したのか考えてみようじゃないか」

「え。これだけの話で分かったんですか?」

「まあ、仮説はあるよ。さて、パソコンで通信ができなくなるのは、依頼者が自習室を利用したときだけだ。それ以外のときには発生していない。そうである以上、原因は依頼者にあると考えざるを得ないな」

「でも、今日は起きませんでしたよ」

「そう。その点は確かに重要なところだ。今まで発生していた事象が起きていない。まあ、一旦それは脇に置いておこう。他の気になる点もチェックしておこうじゃないか。通信障害が発生したときに事務職員はまだ出勤しておらず、現場を確認できていない。事務職員の出勤後にはネットワークは復旧している。ここは大事な気がしないか?」

「誰か機器に詳しい人が悪戯を仕掛けていて、添田さんが部屋を離れた後に復旧しているとか?」

「その可能性は否定できないな。しかし、相当強力な悪意を有していなければ、ここまでしつこくはしそうにないと思うがね。一方で、それほどの悪意の割にはやっていることが軽くて、動機と行動が釣り合っていないな」

「それでも呪われているという変な噂を流されて困っていますけど」

「鼻で笑えばいいのさ」

「誰もが円城寺さんほど強いわけじゃないですよ」

「言ってくれるじゃないか。まあ、いい。ところで、依頼人は魅力的かい?」

「なぜ、そんなことを?」

「動機だよ。年頃のお嬢ちゃんを困らせているんだ。まずは色恋のいざこざを疑ってみるというのも的はずれではないだろう。どうだ、少年?」

 そんなことを聞かれても困るんだけどな。返事ができないでいるとたたみかけてくる。

「そんなに深刻に考えることはない。年頃の男子が三人集まれば、普通に身近な女子のランキングぐらいするだろう。雨夜の品定めというやつだな」

「それ、紫式部に殴られませんか?」

「大して変わらないよ。それはさておき、聞かせてもらおうか、少年の評価というやつを」

「倒置法使われても答えられませんよ」

 円城寺さんは軽く舌打ちした。

「ガードが固いな。仕方ない、動機は後回しにするか。実行可能性を考えてみよう。もし、痕跡を残さずに、任意のタイミングで障害を発生させることができるなら相当の凄腕だ。依頼人のパソコンを破壊するなり、内臓カメラで盗撮するなり、もっと致命的なことができるだろうな。そう考えると、誰かが依頼人を嵌めようという説は弱い」

 円城寺さんがマグカップからコーヒーを飲んだ。タイミングを合わせて僕も口をつける。ブラックなので苦くて少し酸味が残る。

「となると、原因は依頼人周辺にあると考えざるをえないな」

「でも、それじゃなんで昼間は起きないんですか?」

「それも大事なポイントだね」

「歩いてくる途中で生じた静電気が悪影響を及ぼしているというのはどうでしょう?」

「それなら朝一番に発生しないと理屈に合わない。それに静電気でノートパソコンに故障が発生することもありえるだろうが、ネットワーク通信にまでその影響が及ぶとは考えにくい」

「それでは円城寺さんの答えは?」

 僕の問いにニヤリと笑う。

「まあ、仮説はあるが、折角学校内の事件なんだ。現地でちょっとした実験をしよう。少年、ノートパソコンは持っているかい?」

 鞄の中にあると回答すると円城寺さんはコーヒーの残りを飲み干して立ち上がった。

 僕もすっかり冷めきったものを飲む。

 すると、ひょいと手が伸びてきてマグカップを取り上げられた。

「あ、自分で洗います」

「気を遣うことはない」

 円城寺さんは奥の小部屋に消える。

 少しすると先ほどまでコーヒーを飲んでいたステンレス製のマグカップを手に戻ってきた。

 盛んに湯気が上がっているマグカップに蓋をする。

「さて、行こうか」

 僕の視線に気づいていそうなのにそれには応えず、円城寺さんはさっさと歩き始めた。

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